ヒロインじゃないのに王太子と結婚させられそう
ラヴォンド伯爵家の一人娘であるティアナは、どこにでもいる令嬢だ。
そんな彼女には幼馴染みがいる。この国の王太子である。
もちろん平凡な伯爵令嬢でしかないティアナは王太子の婚約者ではない。
そもそも彼は少女漫画のメインヒーローである。すべてを兼ね備えたヒロインと結ばれる未来が確定しているのだ。
「ティアナ、俺と一緒に図書館に行こう。貸切だぞ」
……だというのに、王太子オルキス・アコニットという男はいつまでもティアナに構っているのである。
♢♢♢
王宮勤めの貴族と一口に言っても、直接政治に口を出せるほどの家門とそれをヨイショする家門に別れるもの。
稀にどちらでもない、隅っこで息を潜めて日々をやりくりするだけの弱小貴族もいるが――ティアナの生家であるラヴォンド伯爵家がまさにそれである。
三度の飯よりも数字を愛する血筋ゆえか、先祖代々財務省で働いている有名な家系だ。
もちろん数字を眺められればそれで満足なので、大臣だったことは一度もない。ずっと財務官Bのモブ的立ち位置である。
そんな家門の令嬢がどうやって王太子の幼馴染みポジについたのか?
答えは簡単。ティアナも数字ジャンキーなので、幼いころから王宮図書館に入り浸っていたからだ。
(忘れもしない、あれは私がただのティアナだったころ……)
ラヴォンド一族らしく幼いころから数字を愛していたティアナ。
家にある蔵書は早々に読み終え、さらなる数字を求めて王宮図書館に行くのは当然の流れだった。父であるラヴォンド伯爵の勤務時間中、あらゆるデータや数学の書物にかじりついていたティアナはそれはそれは幸せな日々を過ごした。
だがそれは、王太子オルキスと出会ったことで終わりを迎える。
夜を捕まえたような黒い髪に錫色の切れ長な瞳。走ってきたのか、少し息切れしている姿さえ絵になる。
ため息が出そうなほど綺麗な顔に、ティアナは鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。一目惚れではない。前世の記憶を思い出したのだ。
「オルキス・アコニット王太子……!」
「俺が分かるのか?なら話は早い。家庭教師に追われているから匿ってくれ」
爽やかな笑顔でクソガキみたいなことを言い出した少年を、ティアナは知っていた。
もちろんこの国の王太子だからではなく、前世でドハマりしていた乙女ゲームの推しだったからだ。
勉強が大嫌いで頻繁に授業から逃げる癖に、天才肌で一度見ただけで大抵のことは平均以上できてしまう。常に自信にあふれていて、マイペースだけど打算的というギャップに射抜かれた。
そんなわけで推しからの頼みに、ティアナは当然のように返事する。
「ごめんなさい。殿下をかばって図書館に入れなくなるのは避けたいので」
「…………は?」
まさか断られるとは思っていなかったのだろう、オルキスは豆鉄砲を食らったように唖然としている。
漫画では見られなかった表情ににんまりするも、それだけ。
(推しは推しだけど、それは前世の話。Bit以外で構成された存在に興味はないわ)
それに今世の推しは数字である。
ちなみに終わりのない円周率が一番好きだ。不規則で永遠に続く数字……とても良い。
「オルキス殿下!!また授業をおさぼりになって!!」
教育係らしき女性の声が遠くから聞こえる。
焦ったような顔をして、オルキスはティアナが本を読んでいる机の下に隠れた。普段だったら丸見えだっただろうが、今はティアナのドレスがいい感じに遮蔽物になっている。
一般王宮勤めの貴族の娘にとって、王宮図書館に入るのは難しい。王太子の勉学を邪魔したという罪で、苦労して手に入った閲覧権を奪われるわけにはいかない。
ティアナは顔をしかめて立ち去ろうとするも、オルキスがそれを止める。
「上手く誤魔化してくれたら、ここの本を借りられるようにしてやる」
さすがの観察眼だ。
このわずかの間でティアナの興味だけではなく、王宮から本を持ち出せない身だと当てがついている。おそらく上位貴族の知り合いにティアナの姿が該当しなかっただろう。
悔しいけど、魅力的な提案だ。三秒迷って、ティアナは渋々頷いた。
「約束ですよ」
その日から、二人の交流は始まった。
一冊しか持ち帰れないティアナは結局図書館に入り浸り、そこにオルキスが逃げ込んでくる。最初は本に夢中で無視を決め込んでいたティアナも、やがてオルキスと会話をするようになった。
それはお互いが成長し、貴族学園に入る年になっても続いた。
「――それで最近、ゼロの存在に興味を持ってな。この概念を覆せば、今当たり前のように行われている計算が無意味になるだろ?つまり、数字がこの世から消える」
「数字は永遠不滅ですが??それに最初から数学という学問の形成に携わるのも乙というものです」
「俺の顔は完璧な黄金比だ。数学がなくなったら俺だけを見ていればよくないか」
「ちょっと何をおっしゃっているのか分かりません」
何が楽しいのか分からないが、漫画本編軸に入ってからもオルキスはティアナのところに逃げ込んでいた。
おかしい。確かヒロインがちょっかいをかけられていたところを、たまたまさぼっていたオルキスが助けたという出会いだったハズ。オルキスがずっと私のところに駆け込み寺をしてはイベントが起こらないのではないか。
「あの、殿下はもう少し他の生徒にも目を向けた方が良いのではないでしょうか。私と違って、学ぶことにそこまで興味はないのでしょう?」
「心配してくれるのか?ティアナは優しいな。大丈夫、俺は君さえいれば十分だから」
「必要条件もちゃんと視野に入れてくださいね??」
「俺にとっては必要十分条件だから」
「ああ、授業から逃げ続けた対価がここに……」
ティアナは思わず頭を押さえた。ちゃんと先生に教わらないで、教材をパラ読みしているからこうなるんだ。
意味が分からないことを言いながら、恍惚の表情を浮かべている。怖いので早急にヒロインに引き取って欲しい。
「……ひとまず、授業に出ましょうか。このままだと数式でしか話せない王になってしまいます」
「じゃあ、ティアナが教えてくれ」
「悪化しますが??」
ティアナとて常識がある。いい加減にオルキスを何とかしないと原作が崩壊してしまう。必要十分条件を話し出すメインヒーローの少女漫画、嫌すぎる。
何よりオルキスがヒロインと結ばれないとこの国は大変なことになる。漫画では話を盛り上げる要素でしかないが、自分の身に降りかかるとなれば普通に一国の存続の危機だ。そうなったら落ち着いて数字を愛でることもままならない。
それだけはラヴォンドの名に懸けて阻止しなければならないのだ。
だが、そんなティアナの言葉を受けて。
オルキスは楽しそうに目を細めてたいそう艶やかな笑みを浮かべた。
「望むところだ。ティアナが好むものを、全部俺に詰めるといい。君が一番好きなものになってやるよ」
オルキスはするりとティアナの手を取って、その白い手の甲にキスをした。素肌に触れた暖かくて柔らかい感触に、ティアナの思考は停止する。
おおよそただの幼馴染みに向けるとは思えない熱量に、背中が粟立つ。
「知識も思考も心も、俺のすべてがティアナで満たされる……素敵な提案だと思わないか?」
薄っすら開かれたオルキスの錫色が笑っていない。本気だ。
品行方正……ではなくとも、清廉潔白で健全な性格だったのに、いつからこんなにほの暗い目をするようになったのだろう。
モブでしかないティアナは原作と関わらず、前世の分も含めて好きなことだけをしていたかった。メインヒーローなんかが近くにいたらそれが叶わない……そう理由つけて、やっと目を逸らせた恋心だったんだ。
(なんで推しのままで終わらせてくれないの……!)
Bit体からヒトゲノムになったって、ティアナが好きになったオルキスは変わらない。
むしろ実際に話して、もっと好きになってしまった。数字に偏った話もまじめに聞いてくれて、本を読んでいるときは黙って傍に座るだけ。
話を合わせるためにわざわざ勉強して来ているのも知っていたし、駆け込み寺は最初だけでいつしかちゃんと時間を作って来ていたのも気づいていた。
それでもティアナは頷けない。彼女が転生者で、オルキスにはヒロインという運命がいると知っているので。
……メインヒーローとは、ねじれの位置にあるモブとは一生交わらない存在だ。
「い、いやぁ……私は自由な思考こそ理系には大事だと思うので」
♢♢♢
「いい加減にしてよっ!」
図書館に響く、今にも泣きそうな女の声。
絹のような金髪に涙で今にも溶けそうな青い瞳。彼女こそオルキスの運命であり、この世界のヒロインだ。
か弱く泣き崩れる姿すら可憐で、さしずめティアナは悪役令嬢と言ったところか。モブから格上げである。
「貴女がいるせいで、オルキスは私と話してもくれないの……!私が、私があの人の婚約者になるというのにっ!」
などと現実逃避をしている場合ではない。
ティアナだって泣きたいくらいだ。前世から好きだったというのに、思いを告げるようになったって結ばれない。オルキスは王になるべき人で、彼女はしがない伯爵令嬢だから。
それに対して、ヒロインは定められた相手らしくすべてを持っている。家柄も勢力も、容姿も才覚もすべて兼ね揃えているのだ。
好きと言う感情だけでなれるほど、王太子妃という立場は安くない。
「貴族学園を卒業するのと同時に、オルキス殿下と正式に婚約される予定なんですよね?」
「だったら、何よ」
「あと一年もすれば、彼は貴女のもとに帰ってくるということです。誰しもがそうなると考えているのに、何を焦っているのですか?」
至極当然な態度で言えば、ヒロインは驚いたようにティアナを見た。
みるみるうちにその顔は晴れていき、頬が嬉しそうに赤らんだ。
「そ、そうよね! 私がどうかしていたわ。貴女は幼馴染みだもの。結婚したらオルキスだって気軽に話せなくなるだろうし、今のうちに思い出を作っているのかしら」
悪気がないにせよ、ヒロインの言葉がティアナの胸に刺さる。
さっきからお互いに事実を並べているだけなのに、どうしてこんなにも苦しいのだろうか。
そっと胸を抑えたそのとき、地を這うような低い声がティアナの名前を呼んだ。
「二人とも、なんの話をしているんだ?」
「っ、オルキス!」
「……殿下」
図書館なのに、まるで自分の部屋のような態度でオルキスが立っていた。
そしてティアナの傍までやってくると、当然のように隣に座る。ヒロインの顔が引きつった。
「楽しそうじゃないか、俺も交ぜてくれないか?」
オルキスがどんな顔をしているのか、怖くて見れない。
だって絶対に怒っている。声で分かる。
「……」
「…………」
無言の時間が恐ろしい。
とっさに言い訳が出ないのか、それともどこまで聞かれていたのか分からないのか。ヒロインは青ざめて目を泳がせている。
その沈黙に埒が明かないと思ったか、先に場を動かしたのはオルキスだった。
「目、腫れてるな」
「っ、ちょっと、嫌なことがあって。でももう解決したから!心配しなくて大丈夫よ」
ヒロインがそういえば、オルキスは貼り付けたような笑みを浮かべた。
「それはよかった。さすがは学園の人気者だ。情報が耳に入るのが早いな」
「え……?」
話が噛み合っていない。
そう感じたのはヒロインも同じようで、ぽかんとオルキスを見つめ返していた。
「婚約の話、もうなくなったから」
「……………………え?」
「………へ?」
そして何の脈絡もなく投げられた爆弾に、ティアナとヒロインはそろって己の耳を疑った。
(なくなった……婚約の話が??)
いやいや、そんなまさか。
一国の王太子の婚約が、そんな簡単に変わるはずがない。これはそう、先ほどのティアナたちの話を聞いて、意地悪をしているだけなんだ。
「オルキス、どういうことなの?!婚約前の交友関係には口を出さないけど、だからって私に何をしてもいいって思わないで!」
椅子を倒しながら、ヒロインは立ち上がる。
大きな音に、図書館にいた人々の視線が集まった。
「まるで俺の婚約者か恋人だ。――王室は、誰一人としてその婚約を認めていないというのになぁ?」
「……え?」
オルキスの話はとまらないし、その内容に野次馬も息を呑んでこちらに耳を傾ける。
嫌な、予感がする。
ティアナは無意識のうちに腰を浮かせてその場から逃げようとしたが、流れるように手を繋がれて動けない。……恋人繋ぎだ。
「殿下っ」
「そもそも、俺は最初からずっとお前との婚約を断ってきた。書状は届いていないのか?」
「それは――」
ヒロインは真っ青になって俯く。
その体は小刻みに震えていて――誰がどう見ても図星の反応だった。
それを冷めた目で見つめながら、オルキスは続ける。
「俺と婚約関係にあると大々的に広めて、無理やり進める気だったな?たしかにお前の家門がその気になれば、王家も強く出られない」
「……あら、オルキスも分かっているじゃない」
言い逃れはできないと吹っ切れたのか、ヒロインは少し冷静さを取り戻したようだった。
「私は貴方の王妃になる。オルキスがどんなに嫌でも、絶対に私のものにするわ。弱った王権じゃ抵抗できないんだから」
「それは残念だ」
ちっとも思っていない声色だが、ヒロインはそれだけでも満足したように微笑む。
だがそんなヒロインの前に、オルキスはポケットから封筒を取り出した。――あれは、王室の紋章だ。
「夢を最後まで見せてやれなくて悪いな。そこに書いてある通り、お前の家門はもうなくなっているんだ。王妃になるための根回し、ちょっとやりすぎたんじゃないか?」
ハッとしたようにヒロインが手紙に飛びついて、震える手でそれを開ける。
そして最後まで目を通す前に、信じられないと言った様子で悲痛な叫び声を上げた。
「これは嘘よ!!私を騙そうとしているのね!!ありえない、そんな筈はないわ!!この国で一番尊い私の家門がつぶれるなんて、そんな!!」
「行き過ぎた賄賂に、支出を行うための不正。おかげで弱った王権でも処罰を下せて、この国で一番尊い家門の権力を支配下に置けたんだ。お前には感謝しないと」
絶句。
まさか少女漫画の世界で、ヒロインの勢力が全て不正によって成り立っていたものだなんて。
唖然と野次馬同様に目の前の光景を眺めていたティアナだが、ふとオルキスと目が合った。未だに手は繋がれたままで、逃がさないと言わんばかりに力が籠められる。
私が一体何をしたって言うんだ。王権とかの話に、一介の伯爵令嬢は関係ない。お願いだから解放して欲しい。
「この日をどれだけ待ったか……これでやっと、ティアナと婚約できる」
「………………????」
存在感を消して天井の角度を考えていれば、ティアナは無理やり意識をオルキスに向けさせられた。
待ってほしい、この美しい人は、今なんて言ったの。
「……あの、急展開すぎませんか」
「何を言ってるんだ。ティアナが書庫に眠る数十年分の記録を全部改めたから、証拠を見つけて権力を取り戻せたんじゃないか」
そこじゃない。
いや、それも普通に初耳だしちょっと意味が分からないけど、それよりも婚約。そう、婚約だ。
百歩譲って偶然権力を取り戻せたとして、なんで相手がティアナなんだ。ティアナはしがない伯爵令嬢で、何もかも平凡。今回の件で褒美貰えたらいいなくらいの、間違ってもオルキスと釣り合う女じゃないのに。
混乱する中、オルキスは手を離して、ゆっくりとティアナを抱き寄せた。
骨がきしむほどの力で苦しいが、ティアナはそれどころじゃなかった。
「君が天才でよかった。全部話したら、陛下も俺たちの婚約を許してくれたよ」
誰のことを言っているんだと、ティアナは叫びたくなった。
でもきつく抱きしめられて、漏れたのは声にならない悲鳴だけ。本当に数字を愛でていただけなのに、なんでメインヒーローと結婚させられそうになっているんだろう。
シリアスだった気持ちを返してくれ。嬉しさより困惑が勝っているんだ。好きな人からの告白がこんな状況なんてデータ、爆誕していいわけがない。
ないけど!!!
「ティアナの気持ちを聞かせてくれ。そろそろ俺を見る気になったか?」
そう言われたら、頷くしかないじゃない!!
それはそうと必要十分条件を口説き文句に入れるのは違うと思う。
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運命の赤い糸が視えるんですが、大魔術師さまに無理やり上書きされそう
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