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第8話 裁きの正午

※ハッピーエンド確約。暴力描写ひかえめ。糖度は後半ほど増えます。


 朝。

 空気は乾いて、紙の角がよくそろう。

 私は小書庫で、殿下――カイル様と並び、正午の段取りを最後まで詰めた。


「掲示は三箇所同時。北門、南門、裁定院」

「はい」


 私は“裁きの正午”用の文を読み上げる。短く、固く、逃げ道を塞ぐ。


『王命。正午、裁定院前にて総勘定合意の開示。対象:調達・倉庫・支払の三課に関する経路矛盾、九番空、配置換え命未提示。宰相府は立会い義務。口頭反論は不可。書面反論のみ受理。』


「次。呼出状だ」

 殿下の声は低い。痛みが残っているのに、音はぶれない。

 私は二通を机の真ん中に置く。


『宰相ダラント殿、宰相補佐官ヴァロ殿——王命により正午、裁定院前へ出頭。反論は書面。受領印三箇所。未到は行政停止範囲の拡張を意味する。』


「押す」

「——束で共起」


 朱が咲く。

 紙が重くなる。

 ここからは、紙の重さで押し切る。


「皆は君を忘れる」

「はい」

「私は忘れない」

「知っています」


 いつもの確認。心臓が落ち着く。今日の私は、少しだけ怖い。だから、確認はありがたい。



 官庁通り。

 梯子。釘。掲示。

 風。噂。足音。


「正午、開示だってよ」

「口で言い逃れできねぇのか」

「書面だけだ」


 通りの空気が、紙の方へ傾く。

 私は「呼出状」を封に入れ、宰相府の戸口へ持っていく。

 門番の顔が強張った。紙は人を強張らせる。効いてる証拠だ。


「受領印を三箇所、お願いします」

「……少しお待ちを」


 内へ走る。

 出てきたのは、ヴァロ。

 退屈の笑み。目は計算。


「受け取ろう。皆のためにね」

「ありがとうございます。印は三箇所」

「二でどうだ」

「三です」


 ぽん、ぽん、ぽん。

 印の音は、私の鼓動より落ち着いている。

 落ち着きは勝ち筋。


「宰相は?」

「正午に行く。皆のためだ」

「書面をお忘れなく」


 ヴァロは笑って、笑っていない目で封を押し返した。

 帰り際、彼の靴音はほんの少し速かった。焦りの音。



 正午前。

 裁定院の石段。

 私は掲示板の前で紙をそろえ、**“総勘定合意・第五段”**の見出しを出した。

 人が集まる。視線が張りつく。

 セレン様が立会い。兵が二名。殿下の側近が控える。


「開示の手順を」

 私は読み上げる。

 陳述→証票→照合→反論書面の受理。順番を崩さない。崩させない。


 鐘がひとつ。

 石段の上に、黒い衣の列。裁定官。

 彼らは無口。紙にしか話しかけない種類の人たち。今日はそれでいい。


 宰相ダラントが現れた。

 威圧の歩幅。

 視線は冷い。

 ヴァロが半歩うしろ。

 笑いは薄い。


「王命による開示を始めます」

 私は一歩前に出る。声はよく通った。業務の声。


「まず、経路矛盾。第二倉庫から九番倉庫へ“満載の記録”が流れている。九番は空。——ここに照合記録」

 紙をめくる。朱が光る。

 立会い者の名。時刻。倉庫の匂いのメモまで書きたくなるが、余計な感想は載せない。今日は陳述だけ。


「次に、配置換え命の未提示。——控え番号、発令者名、閲覧稟議、いずれも無し。宰相補佐官ヴァロ殿に今ここでご提示いただきたく」

 私は用紙の控え欄を示す。

 ヴァロの目が動く。逃げ道を探す動き。逃げ道は紙で塞いである。


「反論は書面で、と王命が」

 宰相ダラントが言った。声は低い。

「はい。書面でどうぞ」


 彼はヴァロを見た。

 ヴァロが懐から薄い紙を出す。

 早い。用意していた。

 私は受け取り、朱の横に置く。

 殿下の側近が目を走らせる。

 セレン様が時刻を書き込む。

 裁定官の一人が、端の余白を目で測る。

 紙だけの戦い。


「『倉庫配置は口頭にて変更し』」

 私は読み上げ、そこで止める。

 口頭。来た。

 紙に“口頭”と書かれている。矛盾の香り。


「——『追って正式書を提出する』」

 私は顔を上げる。

 ヴァロは肩をすくめた。

「急だったのでね。皆のためだ」


 私は微笑む。

 薄く。減らさない笑顔。


「王命は、口頭不可です。この書面は『口頭でした』と証言しています。——つまり、無効です」


 ざわめきが走る。

 裁定官の顔は動かない。

 石段の影が少し濃くなる。


「続けます。九番空。現地照合の記録、ここに」

 私は紙を重ね、朱の輪を指で押さえる。

 輪は乾いて、よく光る。


「宰相閣下。——反論の書面をお願いします」


 ダラントは一瞬だけ目を細め、それから懐から封を出した。

 分厚い。

でも、重さが足りない。印が少ない。

 私は受け取り、朱の横に置く。

 側近が目を走らせ、静かに首を横に振った。


「印が……一つです」

「王印がない」

 セレン様が短く告げる。

 裁定官の一人が、杖の先で紙の端を軽く叩いた。叩く音が、石段に小さく跳ねる。


「反論不備として仮受理。——補正命令を付けます」


 私は手早く欄外に書く。

 “補正:王印または二重押印を要す。期限、本日夕刻”

 殿下の側近がうなずく。

 この国は、紙で人を止め、紙でやり直させる。やり直しには印が要る。


「最後に、『皆のため』の使用回数。——過去三日で十七回。口頭決裁の誘導語として記録」

 私は別紙を掲げる。

 人は言葉の癖を持つ。癖は、習慣。習慣は、手口。

 淡々と並べる。感情は載せない。


「以上。総勘定合意・第五段へ編入し、王命下の行政停止範囲を宰相府・調整課まで拡張します」


 ざわめきが二度、波を打った。

 ヴァロの爪が白い。

 宰相ダラントの呼吸が、ほんの一瞬だけ深くなる。

 セレン様が前へ。


「王命に基づく告示。本刻より、調整課の新規決裁を停止。例外は書面稟議のみ。口頭不可」


 鐘が正午を打つ。

 石の上で、音が澄んだ。

 時間そのものが印になる。



 解散の波が動く。

 宰相とヴァロは背を向け、内へ消えた。

 彼らは紙を持たずに勝てない。だから、紙を作りに行く。

 私は石段の端で、束を抱えた。

 肩が少し軽い。少しだけ、ね。


「よくやった」

 背後から殿下の声。

 振り向くと、額に汗。目の奥に火花。

 でも、笑っていた。業務外の半歩。


「痛みは」

「費用だ。払い切る」

「半分は私が払います」

 私も同じことを言う。

 言ってから、少し笑う。二度目だ。贅沢。


「次は、補正期限の管理。——夕刻までに彼らが出せなければ、線をもう一段、宰相の任命権まで回す」

「了解。文案、作っておきます」


「皆は君を忘れる」

「はい」

「私は忘れない」

「知っています」


 確認。短く。

 でも、今日は一言だけ、足してもいい気がした。

 業務外の半歩。ほんの、半歩。


「——忘れない殿下が、好きです」


 殿下の瞳が、ほんの少しだけ揺れた。

 火花の奥で、別の光が瞬いた。

 彼は目を伏せ、いつもの声で答える。


「覚えておく」


 ずるい。けれど、それで充分だ。



 午後。

 小書庫。

 第五段の板に、朱が増える。

 受領印×3。反論不備×1。補佐官反論(口頭記載)×1(無効)。補正命令発出×1。

 紙の重さが、机を沈める。


「押す」

「——束で共起」


 輪が咲く。重なる。乾く。

 外はまだ明るい。夕刻まで時間がある。


「戻ってくると思う?」

「戻ってきます。紙を持って」

「その紙は」

「穴が空いているはずです。——印の密度、語彙の癖、日付のずれ」


 殿下は頷き、こめかみを押さえた。

 痛みの波が一度。

 引いて、また戻る。

 それでも、声は安定。


「夕刻、もう一度、裁定院だ。第六段に入れる」

「了解。……殿下」


「なんだ」


「朝になれば、私は忘れられます」

「ああ」

「殿下は」

「忘れない」


 確認。

 私は深く息を吸い、束の上に両手を置いた。

 この紙は、明日も覚えている。

 だから、続きが書ける。



 夕刻までは短い。

 それでも、ひとつだけ私用を挟んだ。

 朱の端に、小さな点。

 誰にも読めない、私だけの印。

 “ここで、あなたと並んだ”という意味。


 紙は熱で縮む。

 心は、紙で広がる。

 ——正午は過ぎた。

 裁きは、続きで完成する。


――つづく――

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