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第7話 行政停止の線

※ハッピーエンド確約。暴力描写ひかえめ。糖度は後半ほど増えます。


 午前。

 小書庫。

 私は殿下――カイル様と向き合い、“止める紙”を作っていた。


「対象は三つ。調達課、倉庫管理課、支払課」

「はい」


 私は文案を並べる。短く、固く、抜け道を塞ぐ言い回し。


『王命。総勘定合意第二〜三段に基づき、当該三課の新規発注・出庫・支払を本日正午から停止。例外は書面稟議の一点のみ。口頭決裁は不可』


「印は密度高く」

「束で共起。——同じ朝、同じ二人、連続押印」


 朱が咲く。

 紙が重くなる。

 “止まれ”の重さ。


「掲示は?」

「北・南・官庁通り。三方同時」


 殿下は頷く。こめかみを指で押す。痛みは残っている。でも、声は運用の温度。


「皆は君を忘れる」

「はい」

「私は忘れない」

「知っています」


 いつもの確認。これで、私の足は前に出る。



 官庁通りの掲示板は高い位置にある。

 側近の方が梯子を支え、私は“行政停止”の紙を留めた。

 釘の音。

 通りの空気が少し冷える。


「止めるって?」

「正午かららしい」

「口頭は不可、だってよ」


 ざわめきが散る。その隙間を縫って、宰相補佐官ヴァロが現れた。小さな笑み。目は笑わない。


「勇ましい。止める紙か」

「王命の運用です」

「紙で人は止まらないよ。現場は回る。皆のためにな」


 出た。口癖。私は胸の内で印をひとつ足す。証拠の語彙。


「正午、三課の窓口に立ちます。——標準の説明を」

「好きにするといい。口は塞げない」


 ヴァロは去った。去り際、靴音だけが速かった。



 調達課。窓口は混んでいた。

 私は「正午から停止」の紙を窓口板に差し込み、時刻を指で示す。


「新規発注は、稟議書があれば受理します。口頭は不可。——標準です」

「急ぎなんだが」

「紙をください」


 人はため息をつき、走る。走って紙を取りに行く。窓口の空気が整う。

 “止める”は冷たくて、でも安全だ。


 そこへ、ヴァロの伝令が割り込んだ。

「宰相府の口頭決裁を通せ!」

 はい出ました。予想表。


「王命は口頭を不可と定めています。——控え欄、こちら」

 私は“勘定外の申し出・記録用”紙を差し出す。

「決裁者名、時刻、内容。今ここで」

 伝令は言葉につまずき、目をそらし、帰っていった。紙を持たずに。



 倉庫管理課。

 セレン様が立会い。兵が二名。

 私は掲示の写しを提示し、出庫停止の線を引く。カウンターの縁に、糸のような朱。


「停止線、越えないでください」

 係員が困った顔で笑う。

「でも現場は回さないと——」

「紙で回してください。伝票が標準。口頭は不可」


 そこへ、ヴァロ本人が来た。

 薄い指輪。退屈の笑み。


「線遊びか。——私の口で許す」

「王命は紙にしてください」

「王命、王命。便利な言葉だ。紙が血を流すとでも?」


 彼はカウンター内側へ一歩踏み込む。朱の線を靴で跨ぐ。

 セレン様が無言で前へ出た。剣には触れない。身体だけ警告を覚えている。


「宰相補佐官、線を越えました。——越線記録を作ります」

 私はさらりと告げ、紙を取り出す。

「氏名、職、越線時刻、目的。宰相府の業務は紙で守られる。口頭は不可」


 ヴァロの笑みが、ほんの一音ぶれる。

 冗談の顔が、仕事の顔に戻る。

「……受付印、貸してくれ」

「貸与は不可。標準です」


 セレン様が短く言った。

「外で話そう、補佐官殿」

 声は優しい。道は優しくない。



 支払課。

 窓口の鈴。銅の音。

 私は「本日正午以降の支払は一時停止」と読み上げ、代替手順を貼る。


『例外:検収済みかつ連番完備の請求のみ。口頭不可。控え写しを添付』


 係の女性が手を挙げる。

「これ、明日になったら元に戻ります?」

「紙が増えた分だけ、戻りません。安全側に固定されます」


 私はにこりと笑う。安心は、運用の言い換えだ。


 そこへ、再び伝令。

「宰相府の一括支払命令だ、通せ!」

「命令書をください」

「口で——」

「口は朝露で消えます」


 伝令は黙った。私自身が朝露の体現者だ。説得力、というやつ。



 正午。

 三課の時計が、同じ音で鳴る。

 私は秒針を見て、紙の角を揃える。


「——停止、発動」


 窓口の動きが落ちる。慌てる足音が増える。

 でも、事故は減る。

 線は人をつまずかせるためではなく、落ちないために引く。


 ヴァロがまた姿を見せた。背後に宰相派の吏。

「混乱だ。皆のために、今だけ口頭を——」

「『今だけ』は常に続きます。紙でください。控え欄、こちら」

 私は同じ言葉を繰り返す。冷たくも、乱暴でもなく。標準で。


「王太子は、自分でここに立たない」

 挑発。

「殿下は覚えている方に立っています。私は忘れられる方に立ちます。——役割分担です」


 ヴァロの目が、私の顔をまっすぐに見た。

 珍しい。

 彼は普通、誰も見ない。


「君の名は」

 来た。

 私は首を振る。


「朝になれば、忘れます」

「……そうか」

 ほんの一瞬、彼の目の底に疲れが滲む。

 悪事の疲れか、仕事の疲れか、そこは紙に残らない。



 午後、王命掲示の前。

 殿下が合流。額に薄い汗。目の奥に火花。

 でも、声はいつも通り。


「停止は回っているか」

「はい。口頭は全滅。稟議の列が伸びました」

「列は悪くない。列は記録になる」


 私は頷いて、束を差し出す。

 越線記録。口頭申し出の控え。“皆のため”の回数。

 殿下は一枚目を読み、短く息を吐いた。痛みが引く息。


「押す」

「はい。——束で共起」


 朱が連続する。

 大きな輪、小さな輪。

 束全体が一つになる。


「皆は君を忘れる」

「はい」

「私は忘れない」

「知っています」


 確認。短いのに、世界が戻る。

 私の胸は温かい。殿下の指先は少し冷たい。二つを合わせると、ちょうどいい。


「夕刻、宰相府へ行政停止の告知を手渡す。——送達の儀式だ」

「送達、了解。受領印は三箇所。副控えは二部。立会いはセレン様」

「完璧だ」


 殿下が目を伏せ、ほんの一瞬だけ笑う。

 業務連絡の声色。

 けれど、その笑いは業務外に半歩、はみ出していた。ずるい。



 夕刻。宰相府前。

 石段。影が長い。

 私は封筒を三つ。殿下は王命の写し。セレン様が立会い。


「宰相府宛——行政停止の告知。受領印をお願いします」

 門番は固まる。内へ走る。

 出てきたのは、ヴァロ。予想どおり。


「受け取ろう。皆のために、ね」

「ありがとうございます。印は三箇所」

「二箇所でどうだ」

「三箇所です」

 私は微笑む。笑顔は薄く。

 減らさない笑顔。


 ぽん、ぽん、ぽん。

 受領印の音。

 紙に、赤い道が増える。


「これで、人は止まらない」

 ヴァロは最後にそう言った。

「紙で止まらない人は、紙で記録されます」


 返した私の声は静かで、よく通った。

 石段の上の鳩が一羽、羽を鳴らす。やけに大きく聞こえた。



 夜。小書庫。

 “総勘定合意・第四段”の見出しを貼る。

 行政停止・送達完了。

 越線記録×1。

 口頭申し出控え×6。

 受領印3。


「押す」

「はい」


 朱が咲く。

 紙がまた重くなる。

 重さは、明日の保証。


「殿下」

「なんだ」

「朝になれば、私は忘れられます」

「ああ」

「殿下は」

「忘れない」


 確認。

 それから、私は一拍だけ間を置いた。

 業務外の半歩。

 今日の殿下の笑いに、借りを返す半歩。


「——忘れられないように、もっと紙を増やします」

 殿下は少しだけ目を見開いて、それから笑った。

 痛みが、笑いの影で薄くなる。


「なら、私は全部覚える」


 ずるい。

 でも、最高に安全な約束だ。


「次は?」

「明日、裁きの正午へ線を引く。——宰相その人へ届く線だ」


「了解。文案、用意します」


 夜風。遠い鐘。

 朱が乾く音が、今日の終わりを教える。

 紙は残る。

 彼も残す。

 それなら私たちは、続きを書ける。

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