表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/9

第6話 王命掲示

※ハッピーエンド確約。暴力描写ひかえめ。糖度は後半ほど増えます。


 朝の空気は冷たくて、紙の匂いがよく分かる。

 私は小書庫で、王太子殿下――カイル様と並び、最後の確認をしていた。


「掲示は北門と南門、同時。文言もう一度」

「はい」


 私は読み上げる。短く、固く、感情を混ぜない。


『王命。標準照合は王命下にある。宰相府は協力機関。九番倉庫の現地照合と第二倉庫の物量確認は本日正午。総勘定合意に基づく。虚偽は罪』


「よし。押す」


 二人で印を重ねる。小さな音。なのに紙が重くなる。不思議。けれど、この“重さ”が私たちの味方だ。


「皆は君を忘れる」

「はい」

「私は忘れない」

「知っています」


 いつもの確認。これで心臓が落ち着く。殿下は今日も痛みが残っているのに、歩幅は崩さない。ほんと、ずるい。



 北門は風が強い。掲示板の前に人が集まっていた。

 近衛隊長セレン様が釘を打つ。乾いた音が街に広がる。


「王命だってよ」

「宰相府は“協力”側?」

「広間で言ってたのと逆じゃない?」


 ――口で言ったことと、紙に書いたこと。今日はわざとズラしている。広間は演目、紙が本番。これが殿下のやり方だ。


「南門は?」とセレン様。

「殿下が直行です。側近の方と」

「分かった。……気をつけろ」


 私の名前を呼びかけて、セレン様は喉の奥で飲み込む。覚えていないのに、守る型だけ手が覚えている。身体って、たまに優しい。



 南門側。殿下は無言で文を留めた。

 通りすがりの職人さんが足を止める。


「王命の掲示、早いな」

「なら、監査は正午ってことか」


 ざわめきが“紙の方”へ傾くのが見える。今日の目的は、まずそこ。



 正午前、宰相府の回廊は音を吸い込むみたいに静か。

 宰相補佐官ヴァロが現れ、口角だけ笑った。


「大胆だね。王命で上書きとは」

「運用を正しました」と殿下の側近。

「いい言い方だ。……正午、立会いはする。皆のためだ」


 ――出た、“皆のため”。彼の口癖。紙と一緒に並べると、それ自体が証拠の一部になる。



 第二倉庫。昨日と同じ扉が、今度は王命の鍵で開く。

 油と革と穀物の匂い。――“ある匂い”だ。見た目の数は、帳簿どおりに揃っている。


「経路図も併せてください」

 私は別紙を広げる。偶数ラインで運ばれ、最終が九番。そして九番は――空っぽ。


「ここ。“空の倉庫へ満載の記録が流れ続ける”形です。数字がそう言っています」


 沈黙。紙の上で朱が光る。

 ヴァロは肩をすくめた。


「配置換えがあった。古い図で騒ぐな」

「じゃあ配置換えの王命番号をお願いします」

 側近がすぐ重ねる。早い。私より早い。


「後で出す」

 ――また“後で”。それ、罠の言葉です。


「今ここで記録します。控え欄、空けてあります」

 私は“勘定外の申し出・記録用”の紙を差し出す。小さな朱の判は、殿下と私しか意味を知らない。


 ヴァロの指が止まった。笑みが薄くなる。視線が逃げ道を探す。逃げ道、今日は全部“紙”で塞いである。


「九番も確認します」

 セレン様が短く言った。



 九番倉庫。扉は古く、音は軽い。中は空。昨日のまま。

 棚はある。伝票はある。物はない。


「台帳では満載」と書記官。

 空洞の響きが、言い逃れを削る。


「入庫命の控え番号を」

 私は繰り返す。淡々と。業務の声で。

 ――沈黙。遠い鐘。埃の舞い方まで、ゆっくりになる。


 側近が前へ出る。

「王命掲示に基づく現地照合の記録。――本日、第二倉庫は満載、九番は空。宰相補佐官ヴァロ、配置換え命の提示なし。総勘定合意へ組み込み」


 セレン様が押印。私も押印。二重押印。紙がまた重くなる。露に負けない重さだ。


「王太子は政治を知らない」

 ヴァロの声は低く、爪は白い。

「紙でやる政治を知っている」

 側近が返す。殿下の声の代わりに。



 夕刻前。小書庫。壁に“総勘定合意”の板を掛けた。項目が増えるたび、朱の輪も増える。


「第三段まで入力完了。偶奇ルート矛盾、九番空、配置換え命・未提示、宰相側の語彙癖」

「押す」


 殿下の指先は冷えているのに、朱は熱い。印が重なる音が小さくて、すごく頼もしい。


「殿下、合図の確認です」

「紙は熱で縮む」

「了解」


 殿下は痛みをまだ抱えている。目の奥に火花。それでも立つ。私は、その背中を“業務”で支える。恋心は、今は引き出しにしまっておく。――仕事が終わったら、開ける約束。


「次は“行政停止”の線を回す」

 側近の声は実務的だ。逮捕じゃない。紙で止める。王都は紙で動く。


「準備を」

「はい」


 私は胸の真ん中が温かいまま、紙を揃えた。

 朝になれば、私は忘れられる。

 けれど、紙は忘れない。殿下も忘れない。

 ――それなら、続けられる。仕事も、恋も。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ