第6話 王命掲示
※ハッピーエンド確約。暴力描写ひかえめ。糖度は後半ほど増えます。
朝の空気は冷たくて、紙の匂いがよく分かる。
私は小書庫で、王太子殿下――カイル様と並び、最後の確認をしていた。
「掲示は北門と南門、同時。文言もう一度」
「はい」
私は読み上げる。短く、固く、感情を混ぜない。
『王命。標準照合は王命下にある。宰相府は協力機関。九番倉庫の現地照合と第二倉庫の物量確認は本日正午。総勘定合意に基づく。虚偽は罪』
「よし。押す」
二人で印を重ねる。小さな音。なのに紙が重くなる。不思議。けれど、この“重さ”が私たちの味方だ。
「皆は君を忘れる」
「はい」
「私は忘れない」
「知っています」
いつもの確認。これで心臓が落ち着く。殿下は今日も痛みが残っているのに、歩幅は崩さない。ほんと、ずるい。
◇
北門は風が強い。掲示板の前に人が集まっていた。
近衛隊長セレン様が釘を打つ。乾いた音が街に広がる。
「王命だってよ」
「宰相府は“協力”側?」
「広間で言ってたのと逆じゃない?」
――口で言ったことと、紙に書いたこと。今日はわざとズラしている。広間は演目、紙が本番。これが殿下のやり方だ。
「南門は?」とセレン様。
「殿下が直行です。側近の方と」
「分かった。……気をつけろ」
私の名前を呼びかけて、セレン様は喉の奥で飲み込む。覚えていないのに、守る型だけ手が覚えている。身体って、たまに優しい。
◇
南門側。殿下は無言で文を留めた。
通りすがりの職人さんが足を止める。
「王命の掲示、早いな」
「なら、監査は正午ってことか」
ざわめきが“紙の方”へ傾くのが見える。今日の目的は、まずそこ。
◇
正午前、宰相府の回廊は音を吸い込むみたいに静か。
宰相補佐官ヴァロが現れ、口角だけ笑った。
「大胆だね。王命で上書きとは」
「運用を正しました」と殿下の側近。
「いい言い方だ。……正午、立会いはする。皆のためだ」
――出た、“皆のため”。彼の口癖。紙と一緒に並べると、それ自体が証拠の一部になる。
◇
第二倉庫。昨日と同じ扉が、今度は王命の鍵で開く。
油と革と穀物の匂い。――“ある匂い”だ。見た目の数は、帳簿どおりに揃っている。
「経路図も併せてください」
私は別紙を広げる。偶数ラインで運ばれ、最終が九番。そして九番は――空っぽ。
「ここ。“空の倉庫へ満載の記録が流れ続ける”形です。数字がそう言っています」
沈黙。紙の上で朱が光る。
ヴァロは肩をすくめた。
「配置換えがあった。古い図で騒ぐな」
「じゃあ配置換えの王命番号をお願いします」
側近がすぐ重ねる。早い。私より早い。
「後で出す」
――また“後で”。それ、罠の言葉です。
「今ここで記録します。控え欄、空けてあります」
私は“勘定外の申し出・記録用”の紙を差し出す。小さな朱の判は、殿下と私しか意味を知らない。
ヴァロの指が止まった。笑みが薄くなる。視線が逃げ道を探す。逃げ道、今日は全部“紙”で塞いである。
「九番も確認します」
セレン様が短く言った。
◇
九番倉庫。扉は古く、音は軽い。中は空。昨日のまま。
棚はある。伝票はある。物はない。
「台帳では満載」と書記官。
空洞の響きが、言い逃れを削る。
「入庫命の控え番号を」
私は繰り返す。淡々と。業務の声で。
――沈黙。遠い鐘。埃の舞い方まで、ゆっくりになる。
側近が前へ出る。
「王命掲示に基づく現地照合の記録。――本日、第二倉庫は満載、九番は空。宰相補佐官ヴァロ、配置換え命の提示なし。総勘定合意へ組み込み」
セレン様が押印。私も押印。二重押印。紙がまた重くなる。露に負けない重さだ。
「王太子は政治を知らない」
ヴァロの声は低く、爪は白い。
「紙でやる政治を知っている」
側近が返す。殿下の声の代わりに。
◇
夕刻前。小書庫。壁に“総勘定合意”の板を掛けた。項目が増えるたび、朱の輪も増える。
「第三段まで入力完了。偶奇ルート矛盾、九番空、配置換え命・未提示、宰相側の語彙癖」
「押す」
殿下の指先は冷えているのに、朱は熱い。印が重なる音が小さくて、すごく頼もしい。
「殿下、合図の確認です」
「紙は熱で縮む」
「了解」
殿下は痛みをまだ抱えている。目の奥に火花。それでも立つ。私は、その背中を“業務”で支える。恋心は、今は引き出しにしまっておく。――仕事が終わったら、開ける約束。
「次は“行政停止”の線を回す」
側近の声は実務的だ。逮捕じゃない。紙で止める。王都は紙で動く。
「準備を」
「はい」
私は胸の真ん中が温かいまま、紙を揃えた。
朝になれば、私は忘れられる。
けれど、紙は忘れない。殿下も忘れない。
――それなら、続けられる。仕事も、恋も。