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第5話 フェイク破局

※最終的にハッピーエンドです。暴力描写は軽め。


 夕刻。

 広間。

 光が高い。視線が刺さる。

 今日の役目は、別れを演じること。


 音楽。

 拍手。

 笑い。

 王都の噂が集まる場所。


 王太子カイルが現れる。

 礼装。

 冷たい横顔。

 目は、こちらを見ない。


 胸が疼く。

 分かっている。

 合図だ。

 痛甘の回。

 国のため。

 紙のため。

 恋のため。


 司会が声を張る。

「本日のご挨拶——」


 カイルが手を上げる。

 静まる。

 彼の声は、澄んでいた。


「先日の婚約破棄について。——改めて、私の独断であったと明言する」


 ざわめき。

 非難。

 同情。

 宰相派の目が光る。


「相手方に、非はない。礼儀を欠いたのは私だ。——よって、王命の監査においても、彼女への任命は行わない」


 突き刺さる言葉。

 演技だ。

 知っている。

 それでも痛い。

 心は、演目の外に出やすい。


 宰相補佐官ヴァロが口角を上げた。

 “座”が動く。

 支持の切り離し。

 予定通りの反応。


 リラは広間の端。

 姿を小さく。

 忘れられる女として、いる。


 侍女が囁く。

「かわいそうに」

 忘れている声。

 知らないふりの優しさ。

 朝になれば、完全に空白。


 カイルが続ける。

「以後、王城の標準照合は、宰相府の裁量に委ねる——」


 嘘だ。

 書面では違う。

 今朝までに二重押印。

 “標準照合は王命下に置く”。

 紙の上で、内容は反転している。


 彼は紙を掲げない。

 口で嘘を言う。

 紙が真実を持つ。

 二層構造。


 ヴァロがわずかに頷いた。

 勝った顔。

 広間の空気が、彼に傾く。


 痛みが刺す。

 胸の、内側。

 それでも、立つ。


     ◇


 退場の導線。

 カーテンの陰。

 人が流れる。

 笑いが遠ざかる。


 影の中で、一瞬だけ並ぶ。

 肩が触れない距離。

 声は出さない。

 紙だけ、手渡す。


 小さな束。

 “フェイク破局の記録”。

 条文は短い。

 ——公開の場での発言は演目である。

 ——目的は監査の安全。

 ——王命の“標準照合”は継続。

 ——双方同意。二重押印。


 カイルの指先が、わずかに震える。

 頭痛の波。

 それでも、朱を押す。

 輪が咲く。

 私も押す。

 二人の輪が重なる。


 合図は要らない。

 紙が、合図。


「——」


 口が動く。

 音はない。

 ありがとう。

 多分、それに近い形。


     ◇


 広間の外。

 回廊。

 石の冷たさ。

 空は薄い紫。


 群衆のざわめきが追ってくる。

 断罪、という言葉。

 身の程、という笑い。

 宰相派の舌。


 近衛隊長セレンが立っていた。

 目が揺れる。

 知らない女を守る歩幅。

 身体が覚えている。


「……大丈夫か」


「標準です」


 会話は短く。

 彼は頷く。

 守る型で、歩幅を合わせる。


「殿下は?」


「業務に戻られるそうです」


「そうか」


 短い返事。

 言葉以上に、足音で分かる心配。

 身体の記憶は、嘘をつかない。


     ◇


 夜。

 小書庫。

 扉の隙から、灯の線。

 中は静か。


 カイルは椅子に座っていた。

 肘をつき、額を押さえている。

 氷袋。

 薄い汗。

 呼吸が浅い。


「殿下」


「……すまない。遅くなった」


「問題ありません」


 書見台に、新しい紙。

 “フェイク破局の記録”。

 朱が乾き、輪が強い。


「痛みは」


「費用だ。払い切る」


「半分は私が払います」


 彼は笑った。

 声が出るほどには、余裕が戻る。


「広間の顔は、ひどかった?」


「完璧でした。——ひどいほど、完璧」


「君の胸は?」


「少し痛みました。演目の外で、心が動きます」


「……すまない」


「謝罪は不要です。——続きのために、必要でした」


 静かになる。

 紙の匂い。

 朱の匂い。

 夜の音。


「進捗を」

 カイルが業務の声に戻る。

 救われる。

 この声が、世界の形を維持してくれる。


「九番倉庫——空。第二倉庫——満載。偶奇の経路矛盾。ヴァロの語彙。『皆のため』『標準外』『後でいい』。全部、総勘定合意に束ね済み」


「よし。——明日、宰相府の帳簿監査に入る。正午、王命を掲示」


「掲示板は北門と南門。同時刻で。紙の密度を上げます」


「同時押印だ。——“露を逃れる確率”を上げる」


 彼は椅子から立つ。

 目の奥に、まだ火花。

 それでも、紙へ歩く。

 印章を取る。

 二人で、押す。


 輪が咲く。

 重なる。

 束は、一つになる。


     ◇


 小休止。

 窓を開ける。

 夜風。

 遠い鐘。


 リラは湯を沸かす。

 薬草の匂い。

 カップが二つ。

 氷袋の水滴が、机に落ちる。


「殿下」


「なんだ」


「明日の言葉。——掲示の文言、整えました」


 紙を渡す。

 短く。

 冷たく。

 陳述だけの言い回し。

 感情は一切書かない。


 彼は読む。

 頷く。

 筆を入れる。

 余白を削る。

 密度を上げる。

 運用の手つき。


「これでいく」


「はい」


 彼は湯を一口。

 痛みの波が、少し遠ざかる。


「……広間で、君を傷つけた」


「演目です」


「それでも」


「殿下」


 言葉を切る。

 息を整える。

 目を見る。

 短く、正確に。


「朝になれば、皆は私を忘れます」


「ああ」


「殿下は」


「忘れない」


 確認。

 いつもの長さ。

 いつもの温度。

 それが、誓いになる。


 黙る。

 紙を重ねる。

 朱を見つめる。


「——次の“痛み”を、減らします」

 リラは小さく続けた。

「広間の言葉。冷たさの質を調整します。手続きの冷たさに寄せる。個人的な冷たさは、削る」


「頼む」


 彼は少し笑う。

 救われる笑い。

 痛みは、まだそこにある。

 けれど、歩ける程度。


     ◇


 深夜。

 最後の押印。

 “総勘定合意・第三段”。

 宰相府の監査予告。

 王命掲示の同時刻。

 九番の空・二番の満載・経路矛盾。


「押す」

「はい」


 輪が咲く。

 紙が重い。

 重さは、続きの保証。


 窓の外。

 東の色が、薄く変わる。

 朝露の前。

 世界が、まだリラを覚えている時間。


「殿下」


「なんだ」


「今日の合図は」


「紙は熱で縮む」


「了解」


 短く笑う。

 笑いは、記憶より長く残る。


「——行きましょう。国を動かしに」


 彼は頷く。

 歩き出す。

 覚えている男の歩幅で。


 紙が残る。

 朱が光る。

 朝が来る。


――つづく――

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