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霧島陽子、MP活用トレーニング

数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。

この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。

もし気に入っていただけましたら、ブックマークや感想をお寄せいただけると、作者にとって大きな励みとなります。

なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。

朝のオフィス。

まだ人の少ない時間帯、夢子は自分のデスクでいつものようにMP台帳を眺めていた。

無数の数値が細い列をなし、会社の“気配”を数式に変えて静かに点滅している。

シュールな光景だが、夢子にとってはこの上なく落ち着く朝の儀式だった。


そこへ、颯爽とした足取りで現れたのは霧島陽子だった。

かつてMP制度の恐怖に怯え、出社さえままならなかった彼女が、今は真っ直ぐ夢子のデスクへと歩いてくる。


「おはようございます、夢子さん。今日はちょっと練習してみたいんです」


その声には、かすかな震えと、同じくらいの決意が混ざっていた。

夢子は目を輝かせ、台帳を閉じる。


「いいですね、霧島先輩。今日からあなたも――MPを“操る側”です」


霧島は席につくと、慎重に社員たちのMP数値を確認しはじめた。

コピー機の紙詰まり、廊下でのシュール現象、社長の健康指標、問い合わせの集中時間帯……

これまで彼女を怯えさせてきた“異常”の数々が、いま目の前では整然と数字になって並んでいる。


「まずは、問い合わせ処理から試してみましょうか」

夢子がさりげなく促すと、霧島は緊張の面持ちで画面を食い入るように見つめた。


「交通費精算のミス……これを少しMP調整で解決できる?」


夢子は唇の端を上げ、いたずらっぽく笑う。


「ええ、ほんの少し数値をずらすだけです。怒鳴り声になる前に、相手の注意力と呼吸を“撫でて”あげるんです。風向きを変えるイメージですよ」


霧島は小さくうなずき、受話器を手に取った。

相手先は数日前、申請額の差異で怒鳴り込んできた経理担当。受話器の向こうから、開口一番、不機嫌な声が響いた。


『おたくの処理、またズレてるんですけど!?今月何回目ですか?』


霧島の指先が、そっとMPの数値を撫でるようにスライドする。

――通話ライン上のMP値が、わずかにゆらぎ、空気が一段やわらぐ。


「お忙しいところ申し訳ありません。こちらでも今、すぐ状況を見ています。少しだけ、お時間いただけますか?」


声のトーンも、わざと半音落としていた。

その瞬間、電話の向こうの怒気が、ほんの少しだけ息を漏らすように緩む。


『……まぁ、はい。早くお願いしますよ。毎度毎度こまるんだよね…』


霧島はMP操作を続けながら、淡々と数字を読み上げる。

「こちらの申請内容が6,400円。そちらの入力は……6,000円になっていますね。もしかすると、申請フォームの自動計算が途中で……」


『あっ……ちょっと待ってください……あー……』


相手の声が一気にトーンダウンする。

『……すみません、こっちのExcelの設定、先月のままでした。俺のミスですわ……すいません、全部こっち側でした』


夢子の唇が、横で静かに吊り上がる。


「いえいえ、大丈夫です。こちらも再確認させていただきますので。無事に処理が終われば問題ありません」


『いやあ、ほんと助かりました……てっきり、またそっちの手違いかと……ごめんなさいね』


「いえ、こちらこそ、ご丁寧にありがとうございます」


受話器を置いた瞬間、通話ライン上のMP値が静かに収束する。

まるで嵐が通り過ぎたあとの海のように、空気が穏やかだった。


霧島は数秒遅れて、ぽかんとした顔になる。


「……今の、怒鳴られる流れだったのに……嘘みたい」


夢子は満足げに腕を組み、目だけで笑った。


「ね? 怖い数字じゃないでしょう。ちょっと風向きを変えるだけで、人の怒りもスッとほどけるんですよ。MPは“話の温度”を変える魔法みたいなものです」


霧島は受話器を見つめながら、思わず笑い声を漏らした。

先ほどまでの苦情処理が、まるで綿菓子のようにあっけなく消えたのだ。

「……えっ、うそ」


霧島が目を丸くする。

まるで魔法のような滑らかさだった。


夢子は満足げに腕を組む。


「ね、怖い数字じゃないでしょう? 慣れれば会社は“手のひらサイズ”になりますよ」


その言い方には軽妙なユーモアが混ざっていた。

霧島は笑い、緊張が少しずつ解けていく。


続いて彼女は別の数値へと視線を移した。廊下のMPライン。

夢子がそっと囁く。

「今、通りかかった新人さんの動きを0.2MPずらすと――」


操作した瞬間、新人がほんの少しタイミングを外し、廊下の照明が微妙に点滅した。

その光に反応するように、社長室の健康モニターの数値がぴたりと安定する。

誰も気づかない、けれど確かに世界が“整った”瞬間だった。


霧島は吹き出しそうになりながら肩をすくめる。


「なにこれ……ちょっと楽しい」

「そうでしょう?」夢子が微笑む。「MPって、怖いだけじゃないんです。慣れればゲーム感覚ですよ」


二人はさらに数件の調整を続けた。

社員の微妙な不満、コピー機の用紙切れのタイミング、会議室の温度のずれ――

これらをほんの数値の“指先のタッチ”で、霧島は次々と調整していく。


ふと、廊下の方から声が聞こえた。


「……なんか今日、空気がやけにスムーズじゃない?」


社員たちは理由もわからず、いつもより軽やかに業務を進めている。

まるでオフィス全体が見えないオーケストラに指揮されているかのようだった。


霧島は、かつて交通費精算のミスで怒鳴り込んだ自分を思い出す。

MPの“異常”に怯え、ただ反応することしかできなかったあの日。

だが今は違う。

自分がその“異常”のトリガーを握っている。


「これなら……人事部の仕事も怖くない……いや、むしろ面白いかも」


夢子は内心でにやりと笑った。

(ふふ、いい調子です、霧島先輩)


「こうして先輩もMPマスターになっていく。恐怖を塗り替えて、楽しみながら会社を動かす――これがMP制度の醍醐味ですよ」


霧島は深く息を吸い、まっすぐに夢子を見た。

「私、ちょっとこの世界がわかってきた気がする」


その言葉に、夢子は何も答えなかった。ただ、小さくうなずくだけ。


ふたりの間に、密やかで奇妙な連帯感が生まれていた。

社員たちは誰も気づかない。

だが、この会社の“体温”はすでに霧島の指先ひとつで変わり得るのだ。


昼前、社長がコーヒーを取りに給湯室へ向かう途中で、偶然にも床の水たまりを避けるように一歩ズレた。

その一歩が、後の業務スケジュールの波をほんの少しだけ柔らげる――そんな細やかな因果が、今日も静かに生まれていた。


霧島はその光景を横目に、小さく微笑んだ。

「数字って……こんなに世界を動かすものなんですね」


夢子も、満足げに同じ方向を見る。

「ええ、静かに、でも確実にね」


オフィスには、淡い朝光がまだ差し込んでいた。

その光の中で――

不条理とユーモア、そして密やかな共鳴が、今日も静かに鳴り響いている。


MP制度が生んだ恐怖は、ふたりの指先によって、

静かに“快楽”と“支配”の遊戯へと姿を変えつつあった。

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