高橋部長、今日は何も起こらない
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
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なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
朝。高橋営業部長は机に座り、昨日の不条理現象の恐怖を思い返していた。
(今日こそ…静かに、何事もなく…)
深呼吸をし、メールを確認する。コピー機もプロジェクターも、昨日のように乱れる気配はない。
午前中の会議も、部長は慎重に話す。
資料は一切乱れず、パワポもスムーズに映る。
(…あれ?何も起こらない…)
部長は不安を覚える。何か大きな罠が待っているのではないかと、常に背筋をピリリとさせていた昨日までと違い、今日は全くの平穏。
社員からの問い合わせもいつも通り処理されるだけで、特に問題なし。
コピー機も紙詰まりなし、電話も通常通り、社長室の照明も微妙に揺れることはない。
部長はつい、同僚に小声で囁く。
「…今日も、何か…あるんじゃないかと警戒していたんだが…」
同僚は肩をすくめるだけで、答えはない。
昼休み。部長は少しリラックスして社食に向かう。
(昨日までの恐怖は…なんだったのか…)
しかし心の奥底で、何か静かな緊張感が残る。
「静かすぎる…逆に怖い」
午後の営業報告も、部長の小さな確認ミスも、スルリと回避される。
コピー機もプロジェクターも、デスク周りの書類も、全て予定通りに整う。
部長はただただ首をかしげるだけ。
(何も…起こらない…一体、何が…?)
業務終了。部長がふと夢子の机を見ると、ノートに小さく「有給」と書かれた文字が見える。
(…あ、今日…夢子、有給…!?)
昨日までの不可解な現象の元凶は、もしかして夢子が関わっていたのか――そんな考えが、頭の片隅にふとよぎる。
今日、何も起こらなかったことを思い返すと、昨日のカオスは夢子の存在が引き金だったのかもしれない。
紙が飛び散り、コピー機が暴れ、電話が勝手に鳴ったあの一連の不条理――それが夢子の微かな“手の気配”と関係していたとしたら…。
(…もし、そうだったとしたら…絶対に怒らせてはいけない…!)
部長は背筋を正し、肩の力を抜こうとするが、思考は自然と数日前の出来事へと戻る。
あのとき、交通費精算のミスで夢子に怒鳴り込んだことがあった。
あの瞬間の怖さを、部長は決して忘れられない。
(今日の件で、夢子の恐ろしさは身に染みてわかった…あの時の態度のせいで、もう一度怒らせるわけにはいかない…絶対に謝らなければ…)
微かに冷や汗が背筋を伝い、顔は蒼白からわずかに青白いまま。
しかし同時に、少しだけ安堵の表情も浮かぶ。
小声で、誰にも聞こえないように囁く。
「…ふぅ、今日は無事だった…あとでちゃんと、あの件も謝ろう…」
部長は思わず息を吐く。
(…今日一日、俺は何もできなかった…いや、何も起こらなかった…それも夢子の計算なのか…)




