夢子、営業部長の餌食(反撃編その2)
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
もし気に入っていただけましたら、ブックマークや感想をお寄せいただけると、作者にとって大きな励みとなります。
なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
朝のオフィス。コーヒーの香りとコピー機の軽い音が漂う中、高橋営業部長がいつもより早く出社してきた。
「ふん…今日は絶対に夢子に邪魔されないぞ」
自分に言い聞かせるように肩を張る。だが、その瞬間、夢子はデスクの向こうで微笑みながら画面を覗き込んでいた。
夢子の目はいつも通り冷静で、だがどこか楽しげだ。
(今日も高橋さんを少し遊ばせてもらおう)
パソコンを立ち上げ微かにMPを調整する。
小さな数値の変化が、オフィスの日常にシュールな現象を生み出す。
最初の事件はコピー機。
高橋が資料をコピーしようとした瞬間、紙送りが奇妙に詰まる。
「な、なんだ…またか…?昨日に引き続き…」
コピー機の前で苦戦する高橋。手を差し伸べる夢子。
「大丈夫ですよ、高橋部長。こういうときは紙を上から順に…
……コピー機ひとつに手こずって、会社の流れを止めてしまったら大変ですものね」
少し嫌味を混ぜつつも優しく指導する声に、高橋は思わず肩の力を抜く。
心の中では「何だ…この安心感…」と混乱するが、同時に小さな罪悪感も芽生える。
次に、会議室。
プレゼン用のパワーポイントを接続すると、画面が微妙にちらついた。
「ええっと……プロジェクターの調子が……?」
高橋は眉をひそめ、ケーブルを何度も差し直す。
そのとき、夢子は席の離れた場所から静かに目を細めた。
――ほんのわずかに指先を動かし、数字をめくるような仕草。
次の瞬間、スライドの順序が勝手に入れ替わった。
高橋は慌てて手元を確認するが、操作した覚えはない。
(なぜだ……俺は何もしていないのに……)
周囲の社員は異常に気づかず、ただ淡々と作業を続けている。
だが高橋だけは、背筋に冷たい汗を感じていた。
――夢子が近くにいると、何かが“思う通りにいかない”。
ランチタイム。
高橋が食堂で弁当を広げると、フォークや箸が微妙に滑るような感覚が襲う。
「…おかしい、箸が…」
夢子は遠くの窓際で、書類を整理するふりをしつつ、MPを操作。
ほんの少しの微調整で、高橋の緊張感を増幅させる。
だが不思議と、社員たちは普通に弁当を食べている。
高橋は、無意識に夢子の存在を意識し、手が止まる瞬間が増えていた。
午後、外線電話の対応。
高橋が顧客に説明しようとするたび、言葉が微妙に詰まり、舌がもつれる。
「す、すみません……ええっと……」
夢子は紅を引いた唇に、わずかな微笑を浮かべた。
声色は柔らかいが、そこには艶めいた棘が潜んでいる。
「落ち着いて、高橋部長。こういうときは一呼吸置けばよろしいのです。
……だって、ほんの一言で契約が消えてしまったら――あなたも会社も、とても困りますものね」
甘い囁きのように響くその一言が、部長の心をさらに不安定に揺らす。
(俺……夢子に操られているのか……?)
高橋は思わず背筋を伸ばしたが、その奥底には小さな敗北感が芽生え、彼女の微笑に絡め取られていった。
夕方、社内の廊下でシュール現象の連鎖。
高橋が歩くと、照明が微妙にチカチカし、コピー機の紙送りも再び小さな詰まりを起こす。
夢子は影から見守りつつ、微笑みを浮かべる。
「ふふ、高橋部長、これが日常ってものです」
パソコンを開きMPを微調整すると、部長の歩調や呼吸までわずかに乱れる。
一日の終わり。
高橋は誰もいないオフィスに取り残され、デスクに座り込んでいた。
額に手を当て、重い吐息を漏らす。
「……今日は、何もかもがうまくいかなかった」
その声は虚ろに、広いフロアに吸い込まれていく。
――同じ時刻。
別の階の窓際で、夢子は静かにメールを整理していた。
スクリーンの淡い光に照らされ、紅の唇がかすかに動く。
「些細なことでも……MPとシュール現象を操れば、人の動きはこれほどまで変わるのね」
その呟きは、誰にも届かぬまま夜に溶けていった。
ブラックユーモアの連鎖。日常の中で、夢子は自分の見えない“支配力”を静かに楽しむ。
社員たちは気づかない。高橋も、今日一日どこかで夢子の掌に導かれていたことを、まだ知らない。
しかしその手の内は、確実に社内の秩序を微調整し、静かに、しかし恐ろしく守っていた。
ラスト、夢子のデスク。台帳に目を落とし、微笑む。
「うふふ、MPを知らずに操られる人々……面白すぎるわ」
今日という日も、これで静かに閉じる。
社内に漂う微妙な混乱も、夢子の微笑も、夜の闇に溶け込んでいった。




