やっておいたからの報い
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
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なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
夢子はここ数日、胸に足かせのような思いを抱えていた。
田口——営業部の「やっておいたから男」。
仕事は他人に押し付けて、成果だけはさらりと自分のものにする。
だからMPは上がらない。台帳には、乾ききった数値が虚ろに並ぶばかり。
(……あの人に、給料泥棒という“罪”償ってもらいたい。)
夢子は強く思った。
ただの悪意ではない。正義感でもない。
MPすり抜ける幽霊社員がのうのうと歩き回ることが、どうしても許せなかったのだ。
◆営業部長・高橋を巻き込む
昼下がり。夢子は資料を片手に営業フロアを訪れた。
そこには、でっぷりとした体格の営業部長・高橋がいた。
声も態度も豪快で威圧感満載で「数字こそ正義」を絵に描いたような人物だ。
「部長、少しお時間をいただけますか」
「おう、夢子ちゃんじゃないか。どうした?」
夢子は小さく声を潜める。
「実は……田口さんの仕事ぶりについて、確認したいことがありまして」
高橋は眉をひそめた。
「夢子ちゃん。なにか掴んだのか?嗅ぎつけるの早いよな。
田口?アイツ、数字はそこそこだが……まあ確かに妙に影が薄いな。いるのかいないのか分からん社員だ」
夢子は頷いた。
「ぜひ一度、本人に“何をやっているのか”を確認していただけませんか」
高橋はニヤリと笑う。
「ほう。面白い。あいつを問い詰めてやろうじゃねえか」
◆問い詰めの場
数時間後、営業会議室に田口が呼ばれた。
高橋が机を叩き、開口一番に言った。
「田口! お前の“やっておいたから”って口癖、具体的に何をやってるのか説明してみろ!」
田口は相変わらず涼しい顔だ。
「え? いやあ、もう色々と、やっておいたよってことですよ。部長。」
高橋が目を剥く。
「バカ言うな! “色々”じゃわからん! たとえば先週の見積もり、誰が作った!」
田口はにっこり笑い、平然と答えた。
「え?あ~あれですか、やっておいたから」
「だから誰が!」
「やっておいたからです」
「それ、説明になってないぞ。分からん。」
◆言い訳の応酬
高橋はさらに畳み掛ける。
「じゃあ、この前の契約書の確認は? あれもお前が?」
「ええ、もちろん。やっておいたから」
「だが確認印は佐藤が押してるぞ!」
「ええ、だから佐藤に“やっておいたから”って伝えておいたんです」
「それは“やらせた”ってことだろ!」
「いえいえ、“やらせる”と“やっておいた”は同じ意味です」
夢子は横で吹き出しそうになった。言い訳が言い訳になっていない。論理の迷路に入り込み、聞けば聞くほど滑稽である。
◆シュールな崩壊
追及は続く。
「じゃあ営業先とのアポ取りは?」
「やっておいたから」
「誰に?」
「先方に」
「具体的には?」
「やっておいたから」
まるで「やっておいたから」という言葉が社内の呪文になり、意味の沼へと沈んでいくようだった。
すると突然、天井の蛍光灯がチカチカと点滅し、会議室のホワイトボードに自動で文字が浮かび上がった。
《やっておいたから》
「おい、何だこれ……」
「七不思議か?」
夢子は心臓が跳ねるのを感じた。まるで制度そのものが、田口の虚無を笑っているようだった。
◆田口の最終防衛
高橋は痺れを切らして怒鳴った。
「田口ァ! お前、本当は何もしてないんじゃないのか!」
田口は少しだけ困った顔をし、しかしすぐにまたにこやかに言った。
「いえいえ、私は“やっていないことをやっておいた”という役割を果たしているんです」
夢子は耳を疑った。
(やっていないことを……やっておいた……?)
高橋は頭を抱えた。
「もう何を言ってるのかわからん!」
その後、会議は強制的に打ち切られた。
だが奇妙なことに、社内チャットの掲示板に自動投稿が流れた。
> 【田口がやっておいたから】
誰も投稿者を特定できなかった。
以来、社内では困ったタスクがあると、誰かが冗談半分にこう呟くのが流行り始めた。
「大丈夫だよ、田口がやっておいたから」
社員たちは笑い飛ばす。だが夢子はそのたびに、背筋が冷えるのを止められなかった。
MP台帳を開くと、田口の数字は相変わらずゼロに近いまま。
(この人は“燃料”を差し出さないまま、会社に居座り続ける……)
夢子は心の中でつぶやいた。
「……やっておいた報いは、いつ来るんだろうね」
その夜、コピー機が一枚の紙を吐き出した。
そこには大きく、こう印字されていた。
《やっておいたから、もうやらない》
夢子はその言葉に、薄ら寒い笑みを浮かべるしかなかった。




