MP逃れの天才
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
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なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
夢子はある日、ふと思った。
(……田口さん、本当に何もしていないんだろうか?)
平岩部長の言葉が胸に残っていた。
“社長に燃料を差し出さない奴は害虫だ”。
だが夢子は、どこか腑に落ちなかった。
田口は営業部で「動いている」ように見える。
実際、外回りのバッグを抱えて出ていく姿も見かけるし、社内でも同僚に声をかけている。
完全に幽霊社員というわけではない。
だからこそ、夢子は観察を始めた。
◆田口観察日記・一日目
午前九時。営業部フロアにて。
田口がにこやかに声をかけている。
「いやあ、昨日の資料? やっておいたから」
相手の若手社員は一瞬ぽかんとし、次に「あ、ありがとうございます!」と頭を下げた。
夢子は小首をかしげる。
——いや、でも昨日、あの若手が遅くまで残って作業していたのを見たぞ。
「やっておいたから」という一言が、まるで魔法の呪文のように、相手の認識をすり替えていく。
その場では誰も反論しない。なぜなら、田口の顔は自信に満ちていて「自分がやった」と信じ込ませる力があるからだ。
◆二日目
昼休み。自販機前。
田口が缶コーヒーを片手に言う。
「プレゼンの会場予約? やっておいたから」
同席していた女性社員が安心した顔で頷く。
——だが、その三時間後、会場予約がされていないことが判明し、大騒ぎに。
結果的に別の社員が慌てて電話をかけ、会場を確保した。
だが奇妙なことに、騒ぎが収まった瞬間、田口はまたもや口を開いた。
「いやあ、ギリギリだったけど、やっておいたから」
周囲の社員は混乱しつつも、結局それ以上は追及しなかった。
夢子は背筋が冷たくなるのを感じた。
(この人……まるで、自分が“影”をすり替えて存在してるみたい……)
◆三日目
午後、会議室。
営業部の数字が芳しくないという話題で、営業部の部長を含めメンバーが集まっていた。
その場でも田口は堂々と手を挙げ、
「この前の大型契約? やっておいたから」
と発言した。
会議室がざわめく。だが、次の瞬間、別の社員が慌てて訂正する。
「あ、いえ、それは私が……」
しかし部長は、田口の自信満々な笑顔を見て、なぜか訂正を聞き流してしまう。
結果、会議の議事録には「田口:大型契約成功」と記されてしまった。
夢子は唖然とした。
(あの人……“実体”がない。まるで仕事の幽霊みたいに、他人の成果に寄生してる……)
◆夢子の気づき
観察を続けて、夢子ははっきりと理解した。
田口は「仕事をしていない」わけではない。
正確には「仕事を他人にやらせておいて、自分がやったことにする」だけの存在なのだ。
その結果、田口のMPはまったく増えない。
なぜなら——MPは「受けた責任の重さを数値化したもの」を反映するものだからだ。
他人の労働や成果を盗んでも、本人は何も責任を負わず結果、社長の肉体は一ミリも潤わない。
だから田口は「社長に燃料を差し出さない害虫」だったのだ。
(……そうか。だから増えないんだ……)
夢子は妙に納得すると同時に、背筋がゾクリとした。
翌週、社内でちょっとした事件が起きた。
大きな営業成果が部署全体で評価される日、社長は壇上でスピーチを行った。
「いやあ、みんなのおかげで、会社も私もまだまだ元気にやっていける。」
会場が笑いと拍手に包まれる中、田口が一歩前に出て声を張り上げた。
「社長! その案件、僕がやっておいたから!」
一瞬の静寂。
次に爆笑が巻き起こった。
「あはは、また田口さんだよ!」
「やっておいたからマン!」
その場は笑い話で終わったが、夢子は気づいていた。
社長の顔は、その瞬間だけ妙に険しかったのを。
社長は田口を“視界の隅”に留めながら、そっとマイクを握り直した。
「……やっていない者の燃料は、ゼロだ」
その言葉に、会場の笑いが少しだけ冷めた。
夢子は鳥肌が立った。
(社長は……見抜いてる……!)
◆夢子の結論
その夜、夢子はMP台帳を開き、田口の項目を眺めていた。
「田口 本日の増加数 MP:0.3」
その数字はほとんど動かず、止まった時計のように虚ろだった。
(田口さんは、社長に燃料を渡さない。
だから害虫扱いされる。
でも、それは“悪意”じゃなくて、“虚無”なんだ……)
夢子は冷たい画面を閉じ、深くため息をついた。
「虚無もまた、制度には計測されるんだね……」
オフィスの蛍光灯がチカチカと瞬き、コピー機が勝手に動き出す。
出てきた紙にはなぜか太い文字で、こう印刷されていた。
《やっておいたから》
夢子は苦笑するしかなかった。
「……これも、七不思議のひとつに数えていいかもね」




