不良社員とMPの迷宮
数ある物語の中から、本作を手に取っていただき、心より感謝申し上げます。
この小さな物語が、あなたの日々にほんの少しでも彩りを添えられますように。
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なお、全く別ジャンルの物語も公開しております。気分転換に違う世界を覗いてみたいときは、ぜひそちらもお楽しみください。
人事部の朝は、いつも通り淡々と始まる。
夢子はデスクに座り、MP台帳の数字をじっと眺めていた。
——今日も社長は元気そうだ。
しかし、数字の流れを追ううちに、ひとつの異常に夢子は眉をひそめる。
営業部の田口。
彼は仕事をこなしている。顧客訪問も提案も報告も、きっちりやっているように見える。
周囲からの評判も上々。
……にもかかわらず、MPの増え方が妙に鈍い。
夢子は画面を拡大し、データを確認する。
——この人、MP制度をすり抜けている……?
午前中、コピー機の紙詰まりや自販機の二重発生現象を眺めながら、夢子の頭は田口のことばかり。
コピー機が突然紙を逆流させても、田口は平然と書類を整理する。
自販機からジュースが2本出ても、彼は一本だけ飲んで、もう一本は無表情に机に置く。
社長室の照明が光を変化させても、彼だけは微動だにせず、現象が他人事のようだ。
——これは…不良社員だ。
夢子は震える指で「田口」の名前をハイライトさせ、そのまま部長席へ歩いた。
「部長……ひとつ確認していいですか?」
平岩部長は、眼鏡を外して書類を放り出す。
「おう、どうした」
夢子は、田口の台帳画面を差し出した。
「……この人、仕事はしているのに、MPが増えません」
部長は画面を一目見て、鼻で笑った。
「たまにいるんだよ。そういうやつはさ」
そして椅子にもたれ、指先で机を軽く叩く。
「何もしてないのが、一目で分かる。
MP制度のいいところだよ」
淡々とした声。
——まるで、“不良社員”という烙印を押すことが当然だとでも言うように。
夢子は唇を噛んだ。
(……サボってるのが数字で可視化されるのは、確かに便利。だけど——)
心の奥に重たい違和感が沈んでいく。
(絶対に、このやり方は間違っている……)
夢子は迷った。
けれど、胸の奥にこびりついた違和感をもう抑えきれなかった。
「部長……ひとつ、どうしても聞きたいんです」
平岩部長は書類から顔を上げる。
「ん?」
夢子は唇を震わせながらも言葉を吐き出した。
「田口さんは……社長のために“燃料”を差し出さないだけです。
でも、それがそんなに悪いことなんですか? 社長の若返りに貢献しないことが……罪なんですか?」
一瞬、空気が張り詰めた。
部長の眼鏡に蛍光灯の光が反射し、表情が読めない。
次の瞬間、低い笑い声が落ちてきた。
「……お前、面白いことを言うな」
「部長……?」
「罪かどうか? そんなの決まってるだろう」
部長は椅子をぎしりと鳴らし、前に乗り出した。
「社長が老いるということは、会社が老いるということだ。
会社が老いるということは、我々全員の“椅子”が腐っていくということだ。
……つまり、社長に貢献しないやつは、全員の椅子を腐らせる“害虫”なんだよ」
夢子は息を呑んだ。
——害虫。
その言葉の響きが、胸の奥を冷たく刺した。
「燃料を出さない奴は、“いるだけで害”なんだ。
だからこそMPは正直にゼロを示す。制度は正しいんだよ」
部長は淡々とした声で結論づけると、机に置かれたハンコをコトリと鳴らした。
それがまるで田口の存在に“判決”を押す音のように聞こえた。
夢子は俯きながら、心の中で呟いた。
(……本当に、それでいいの?
人間を、燃料タンクみたいに数値化して……出さない者は害虫だなんて……)
夢子は小さくため息をつく。
MPが増えない社員は、社長の若返りに貢献していない。
社長の笑顔や元気は夢子の操作に直結するはずなのに、田口は蚊帳の外だ。
昼休み。夢子はデスクでコーヒーを飲みながら、策略を練る。
——MPを微妙に操作して、周囲でシュール現象を起こすしかない。
午後。夢子は台帳に手を伸ばす。
ほんの少しMPを振るだけで、田口の周囲に小さな不運を演出する作戦だ。
まず、コピー機。
田口が書類を取りに行くと、紙が微妙に逆流する。
彼は「あれ?」と首をかしげるが、特に気にせず整理を続ける。
次に自販機。
ジュースを買うと、なぜか2本出る。しかし田口は無表情で一本だけ飲み、もう一本は机の上に置いたまま。
社長室の照明も、彼の動きに反応せず、通常通り光が変化する。
——ああ、ますます“MPすり抜け”だ。
夢子は眉をひそめつつも、どこか滑稽さに微笑む。
「……これじゃ、懲らしめる意味もないじゃない……」
しかしブラックユーモアはここで発動する。
田口の周囲で起きる現象は、社員たちを混乱させ、笑いを誘う。
コピー機の紙が逆流するたび、近くの社員が転がるように笑う。
ジュースが2本出るたび、周囲の同僚は「タイミング完璧!」と盛り上がる。
田口本人は無表情で、まるで現象が他人事のように受け流す。
夢子はため息をつきながら心の中で呟く。
「不良社員め……社長に貢献せず、シュール現象だけ盛り上げる……ブラックユーモアすぎる……」
さらに微調整を加え、MPポイントをわずかに操作。
コピー機の紙がくるくると舞い、自販機のジュースがわずかに机の端に転がる。
田口は少し戸惑うが、淡々と片付ける。
周囲は笑い、オフィスはいつの間にか騒がしいカオス状態に。
夢子の心の中は、笑いと絶望が交錯する。
——不良社員は、逆にシュール現象をさらに強化している。
社長の顔はいつも通り元気だが、MP貢献ゼロの田口だけが無表情のままだ。
夕方。夢子はデスクに座り、深く息をつく。
「社長に貢献せず、なぜ仕事はできるの……ブラックユーモアの極致だわ……」
コピー機が最後の紙を吐き出し、ジュースが勝手に転がる。
オフィスは静かに、しかし確実に、MPのブラックユーモアに満ちた一日を終えたのだった。
夢子は窓の外をぼんやり見つめる。
「明日も、迷宮の続きを見せてくれるんだろうな……」
MP制度の迷宮は続く。社長は若返り、社員は無意識に動く。
しかし田口だけは、淡々と業務をこなし、社長貢献ゼロのままシュール現象の中心に居座る――不良社員の存在は、夢子にとって小さなブラックジョークであり、オフィスの秘密の七不思議のひとつだった。




