第9話:静かなる帰還、そして
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封印の間を後にして、俺たちはダンジョンの中をゆっくりと歩いていた。
魔力を使い切ったリリスは、まだふらつきながらも前を向いて歩こうとしている。
俺は彼女の隣に立ち、無言で肩を貸した。
「……ごめんね」
小さな声が聞こえた。
けれど俺は、すぐに首を振った。
「謝るなよ。パーティーだろ?」
俺の言葉に、リリスは少しだけ目を見開いて、はにかむような笑みを浮かべた。
彼女の肩越しに見えるダンジョンの景色は、戦闘の名残で荒れていた。
瓦礫、焦げ跡、ひび割れた床。
けれど不思議と、不安はなかった。
戦いを乗り越えた証が、そこに刻まれている。
そう思うと、自然と胸が温かくなった。
足を一歩進めるたびに、俺たちが積み重ねた時間が背中を押してくれる気がした。
(……ここまで、来たんだ)
封印の間での戦い。
動けなかった自分を、リリスは支えてくれた。
だから今度は、俺が彼女を支える番だった。
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ダンジョンの出口が見えたとき、遠くから人影が駆けてくるのが見えた。
制服を着た教師たち――そして、担当教官のミランダ先生だった。
「アイン、リリス! 無事!?」
ミランダ先生は、走り寄るなり俺たちを抱きとめる勢いで近づいてきた。
その顔には、明らかな安堵の色が浮かんでいる。
「はい。……何とか」
息を切らしながら、俺は答えた。
リリスも小さく頷く。
ミランダ先生は俺たちをじっと見て、そしてため息をついた。
「よく……よく生きて帰ってきたわ。本当によくやった」
その言葉に、胸が熱くなる。
俺たちは、生き延びたんだ。
「先生……」
「それにしても、驚いたわ。巨大な魔力反応近くにリリスの魔力も感知されたもの」
「本来、このダンジョンにいるはずのボスとは、明らかに違っていたわ」
ミランダ先生は、難しい顔で続けた。
「データ上では、もっと小型で、魔力量もずっと低いはずだったの。今回感知された個体は……異常な成長を遂げていた可能性がある」
「……そんなことが起こるんですか?」
俺が尋ねると、ミランダ先生は頷いた。
「稀にだけど、ダンジョン内部で特殊な魔力の影響を受けて、モンスターが異常進化することがあるの。けれど、ここまで極端なのは私も初めて見るわ」
リリスと俺は顔を見合わせた。
つまり、意図的なものではなく、自然に起きた異常――ということらしい。
「とにかく、今回は例外的なケースだったとしか言いようがないわ。今後、詳しく調査することになるでしょう」
ミランダ先生はそう言って、俺たちをねぎらうように微笑んだ。
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外に出ると、既に日が傾き始めていた。
オレンジ色に染まった空の下で、俺たちはようやく深呼吸をした。
風が頬をなで、どこか懐かしい匂いがした。
その瞬間、心の底から実感した。
(帰ってきたんだ)
リリスも、小さく肩を落としながら、空を見上げていた。
彼女の髪が、夕陽に照らされて銀色にきらめく。
ふと、その手元に目をやると、まだ彼女はあの大きな魔法石を持っていた。
「これ、どうする?」
リリスが尋ねる。
両手で包み込むほどの大きさの、青白く光る魔法石。
まるで氷の塊のように、冷たく輝いている。
「普通は……学校に提出、だろうな」
「……そうだね。でも」
リリスは、魔法石をじっと見つめた。
その表情に、微かな寂しさが滲んでいた。
「これ、私たちが……頑張った証なんだよね」
ぽつりと呟くその声が、妙に胸に響いた。
確かに、ただのアイテムじゃない。
あの死闘を超えて手にしたものだ。
俺たちだけの、証。
「……だったら、リリスが持っておけばいいさ」
俺は笑って、言った。
「元々、魔法石は倒した魔法師に与えられるものだろ」
リリスは驚いたように目を瞬かせ、そして――ふっと笑った。
その笑顔は、どこまでも純粋で。
まるで、氷が溶けて春の陽気が訪れるような、優しい笑みだった。
「うん。……ありがとう、アイン君」
魔法石は、俺たちの間で静かに光っていた。
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学園に戻ると、すぐに医務室へと運ばれた。
治癒魔法とポーションで応急処置を受ける間、俺たちは言葉を交わさなかった。
疲れていたのもあるが、互いに言葉にする必要がないくらい、わかり合えていた。
リリスは隣のベッドで、目を閉じながら小さく呼吸を整えている。
青白い顔だったが、それでもどこか安らかな表情だった。
(……強いな、お前は)
心の中で呟く。
俺も、あの時の自分を超えていかなきゃならない。
怖くても、立ち止まってはいけない。
(また、戦うことになるかもしれない)
(けど、俺は……)
静かに、拳を握った。
胸の奥に、確かな火が灯っている。
それは、簡単には消えない希望だった。
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医務室の窓から、夜の星空が見えた。
今日という一日が、静かに幕を閉じていく。
だが――
この静寂の裏側で、何かが動き出している気配があった。
暗い空の奥、誰にも見えない場所で、静かに蠢く影。
それは、やがて俺たちの運命を大きく揺るがす《大いなる災厄》へと繋がっていく。
まだ誰も、その全貌を知らない。
けれど。
俺たちは、もう歩き出した。
あの日の自分を超えるために。
仲間と共に、前へ。
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(続く)