第6話:記憶の扉が開くとき
――ギィィィィィ。
石の扉が、重たく軋みながら開いていく。
その奥に広がっていたのは、現実ではない“記憶の世界”だった。
懐かしいはずの光景。
けれど、そこに立った瞬間、胸の奥を鋭く抉られるような痛みが走った。
焼け焦げた草の匂い。ひび割れた地面。崩れ落ちた家々。
ここは、俺がすべてを壊した場所。
――俺が犯した罪が、すべて始まった夜。
(……やっぱり、来ちまったか)
逃げたかった。
見たくなかった。
けれど、もう逃げることは許されない。
ゆっくりと歩みを進めるたびに、空気が重くのしかかる。
気がつけば、周囲は闇に包まれ、ただ赤い炎だけが夜空を染めていた。
そして――。
その中心に――“俺”が立っていた。
両手に、黒い魔力を纏いながら。
「アイン……?」
幼い声。震える声。
振り返ると、そこに立っていたのは、かつて同じ村で暮らしていたイリーナだった。
白い髪を振り乱し、怯えた目で、俺を見つめている。
目の前の光景が、容赦なく当時の記憶を引きずり出す。
――あの夜。
俺は、感情に呑まれていた。
怒り、恐れ、絶望。
積もり積もった負の感情に押し流され、封じられていた魔力が暴走した。
そして、制御できずに――村を、仲間を、すべてを焼き尽くした。
これは、誰のせいでもない。
俺自身が、やったんだ。
俺の、罪だ。
「どうして、こんなことを……」
イリーナが、声を震わせながら問う。
「……どうして、私たちを……」
答えられなかった。
その時も、今も。
喉が痛いほどに何かを叫びたかったのに、声にならなかった。
「みんな、あなたを信じてたのに」
「あなたが、守ってくれるって……信じてたのに!」
イリーナの瞳から、大粒の涙が溢れる。
それは炎の光に照らされ、異様なほど鮮明だった。
胸が、張り裂けそうだった。
(違う……守りたかったんだ。怖かったんじゃない。……ただ、守りたかっただけなのに)
(なのに、俺は……!)
イリーナは、よろよろと後退りながら、呟くように言った。
「アインなんて……いなくなればよかったのに」
その言葉が、刃となって心を切り裂く。
そして、彼女の姿は火の粉とともに、闇へと溶けていった。
何もかも、俺から消え去るように。
⸻
残されたのは、俺一人。
罪だけを抱えて、立ち尽くしていた。
「……っ、クソッ!」
地面を拳で叩く。
乾いた石畳が砕けた。
だけど、痛みは何も感じなかった。
それよりも、胸を引き裂く後悔と絶望が、全身を蝕んでいた。
(もし、あのとき力を制御できていたら――)
(もし、もっと冷静でいられたら――)
(もし、恐れずに誰かに助けを求めていれば――)
何度も何度も、考えた。
けれど、結果は変わらない。
すべてを壊したのは、俺だ。
⸻
と、その時だった。
周囲の空気が凍りつく。
ひとり、取り残された俺の前に、黒い鎧を纏った“影”が立っていた。
黒い鎧に身を包み、冷たく、蔑むような目で俺を見下ろしている。
『哀れだな、アイン・クラウス』
その声は、耳ではなく、脳に直接響いてくる。
『後悔し、悔い、嘆いたところで、何も戻りはしない』
黒き影の俺は、一歩、近づく。
『力を恐れ、暴走させたのは誰だ? すべてを焼き払ったのは誰だ?』
『他でもない――お前だ』
その言葉は、真実だった。
否定できる余地など、どこにもなかった。
『それでも、また力を欲するのか? また、同じ過ちを繰り返すのか?』
「……違う」
掠れた声で、絞り出す。
「二度と、同じことはしない……!」
『ほう?』
黒い影が、嗤う。
『お前にその覚悟があるか? また力を使えば、また何かを壊すかもしれないぞ?』
『守るつもりで、壊してしまうかもしれない。それでも、なお力を振るうか?』
胸が締めつけられる。
怖い。
また、あの日のようにすべてを失うのが。
だけど。
(俺は、もう逃げない)
(守れなかった過去を、二度と繰り返さないために――)
「……俺は」
言葉が喉に詰まる。
逃げたい。消えてしまいたい。
でも、それでも。
「……俺は、あの日から逃げない」
震える声で、それだけを絞り出す。
『ならば、選べ。過去を背負い、力と共に生きるか――』
影が手を伸ばす。
『それとも、二度と何も守れぬまま、朽ちるか』
選択を――迫られていた。
(続く)