玉入れをやりたい!!
あれから数日が経ち、いよいよ待ちに待った体育祭の日がやってきた。
もちろん僕のテンションは最高潮だ。何しろ、体育祭だ。誰だって気持ちが昂るというものだ。
「はあ……」
「よっしゃっ! 頑張ろうぜ幸田くん!!」
僕が歓喜のため息をついている傍で、川上さんはいつもの三倍増しの明るさで鼓舞してくる。前髪をどかして赤色のハチマキをおでこに巻いている姿は、女子としての矜持よりも体育祭に賭ける熱意が大きいことを表していた。……なんだか暑苦しい気がする。
正直どうでもいいけど、一応補足。僕たちの体育祭では、赤、青、黄の三つの色に分かれて競い合う。ちなみに僕と川上さんのクラスは赤組。去年に引き続いて同じ色だったので、わざわざハチマキを買わずに済んだのは幸運だった。
さて、僕たちは次の競技の準備のため、列に並んで座っていた。グラウンドでは大玉転がしを行っていて、三つの色とも巨大なボールを懸命に転がしている。小学生のころは気づかなかったけど、こうして観察してみると実にシュールだ。
その大玉転がしが終わり、僕たちの出番がやってきた。順位はというと、黄組が一位、赤組が二位、青組が三位。総合順位でいえば、黄組、青組、赤組の順番である。つまり、僕たちは最下位というわけだ。
だからこそなのか、ほぼ全ての競技に参加している川上さんは俄然燃え上がっていた。
「さあ行こうぜ!!」
体操服の袖を肩までまくり上げ、川上さんは大声を張り上げながら入場する。当たり前だけど、みんなそこまでやる気十分というわけではないので、かなり目を引いていた。……昼休憩後、一発目に行われる二人三脚がますます憂鬱になってきた。
玉入れのカゴを中央にして、一定の距離を取って白線で描かれたサークル。その外側を囲むように、僕たち選手は立っていた。僕の隣には当然のごとく川上さんがいる。彼女は近くに転がっている赤玉を握り締めていた。
「では、始めます! 3、2、1……ゼロ!!」
スターターピストルの大きな音が校庭に鳴り響く。それと同時に僕たちは玉入れを開始した。
「ふぅん!」
気合の入った声とともに、川上さんが投げ入れている。対して、僕は力と気の抜けたスローイングをぶちかましていた。まあ当然ほとんど入らないけど、どうでもいいから問題なし。
「でええやぁぁぁ!!」
人間の声帯から発されたモノとは思えない、獣の鳴き声が隣から聞こえる。適当に玉を拾いながら彼女の背中側に回って様子を覗くと、かなり衝撃的な光景があった。なんと、川上さんの投げ入れた玉は八割以上カゴの中に入っていたのだ!
「すげえ……」
素直に感心する。彼女が体育祭で一騎当千ばりの無双っぷりを見せていたので、運動神経抜群であることは知っていた。それでも、繊細な技術が必要な玉入れでも活躍できるとは思っていなかった。
僕は半ば放心状態で川上さんの投球する様子を眺めていると、動きが突然ピタリと止まった。疑問に思っていると、彼女は腰をギュンと後ろに反らしてその勢いで両手を地面についた。本来なら見ることのない、逆さまの顔が僕を見つめている。
「うわっ!?」
川上さんはその体勢を維持したまま、手足をバタバタと動かして僕の近くまでやってきた。まるでホラーゲームに出てくるモンスターのようだった。……普通に動こうよ。
「ねえ! どうして投げないの!? 勝ちたくないの!?」
結構辛そうな姿勢なのに、割と大声で僕に叫んできた。さすがと言うべきなのか、呆れるべきなのか……。とにかく、なんで普通に立たないんだ……。
一番目立たないであろう玉入れをせっかく選んだのに、これじゃあ注目されてしまう。僕はさっさと終わらせるべく、彼女が一番望むであろう答えを言うことにした。
「い、いや、参考にしてたんだよ。あんまりにも入らないもんだから、どうしてそんなにポンポン入るのか不思議でさ。少しでも真似できればと思って」
満足したのか、川上さんはブリッジのポーズを保ったまま、いつもよりも弾けたスマイルをした。
すると、彼女は信じられない行動を取った。彼女は足を蹴り上げてさらに両手を地面から突き放し、宙に舞ったのだ。空中で捻りを入れて僕の方へ身体を向けると、足から見事に着地を決めてみせる。……なんというか、凄いなぁと思いました。
「なるへそなるへそ、そうだったんだぁ。なら――」
会話をしている最中、川上さんが目にも止まらぬスピードで僕の背後を取った。その事実を認識するのにかかった時間が約二秒。その間に、彼女は後ろから僕の腕を取ってきた。こうなると、脳の処理が全く追いつかなくなる。
「え……え!?」
「私が手取り足取り教えてやるぜい」
さっきから思ってたけど、その変な口調はなんなんだ。体育祭効果でテンション上がりすぎだろ……いやそんなのどうでもいい。問題は――。
身体が密着している。背中に彼女の上半身がピッタリとくっつき、自分のそれとは明らかに異なる暖かさを感じた。
友達なんて一人もいない僕は、当然女子と身体的接触の経験なんてない。でも、こういう話を聞いたことがある。女子の身体は男子の身体と比べて、信じがたいほど柔らかいと。このまま一生、それを感じないまま終わるのではないか。僕はそう思っていた。
しかし、そうはならなかった。今、僕は確かに女子の身体に触れている。なるほどなるほど、これが女子の身体か。確かに聞いていた通り、めちゃくちゃ柔らか……くない!! 硬い!! え、なんだこの硬さ!?
信じられなかった。僕が背中から感じる川上さんの身体は、まるでアスファルトの道路のようだった。ゴツゴツしているわけじゃないので痛みはないが、滑れそうなくらいに平らだ。悲しいことに、あるはずのモノがそこには無かった。
僕がそんなふうに彼女に失礼ながら哀れみを覚えていたのをよそに、川上さんは投げ方について真剣にレクチャーし始めてくれていた。
「要するにさ、こうズバッと行ってドカンと行けば、ズココーンてな感じでカゴに弾が吸い込まれていくの。ね、聞けばチョー簡単でしょ?」
「……うん。まあ聞く分には簡単そうだよね」
腕をぶんぶんと振り回されながら、とてもシンプルな説明をしてもらった。
「でしょでしょ! じゃあやってみてよ!」
「う、う~ん……分かったよ」
身体の自由を取り戻したあと、促されるまま転がっていた赤い玉を適当に手に取ってみる。あんな雑なアドバイスでできるとは思えないけど、とはいえさっきのように手を抜くのは人間性を疑われる。真剣にやらないとな。
役に立たない助言は頭の中から綺麗さっぱり消去し、カゴを見つめる。そこまで遠くはない、しかし近いとも言えない絶妙な距離だが、やってやれないことはないはずだ。今まで入れなかった分、ここで入れてみせる。
「……よし! 入れ――」
『ブー!!』
「……うん?」
『終了です! 選手の皆さんは投げるのを辞めてください!!』
今まさに投げようと振りかぶった瞬間、ブザーが鳴り響いた。周りにいる人たちが投げる手を止めていく。僕はしばらく現実が受け入れられず、フリーズしていた。
『結果発表です! 赤組四十二個! 青組五十三個! 黄組五十五個! よって勝った組は、黄組です!!』
黄組が歓声に沸く。序盤こそ我らが赤組がリードしていたが、最終的には逆転されてしまったようだ。
「うう~! 嘘だぁ~!!」
這いつくばって地面を殴りつける川上さんを見て、少々の罪悪感を抱いていた。サボりの言い訳をするためにテキトーな嘘をついてしまった僕にも責任があるからだ。……まあ、僕に指導するために途中で玉入れを辞めてしまった川上さんにも責任があるよね。
ただ、性格が悪いのは承知の上だけれども――。本気で悔しそうにしている彼女の姿は、ちょっと面白かった。