お弁当をあげてみたい!!
昔から友達がいなかった。会話ができないわけじゃないけど、自分から話しかけることが凄い苦手で、そうしているうちにいつの間にか一人で過ごすようになっていた。
そんな日々がずっと続くんだと思っていた。高校二年生になって初めての席替えをした、あの日までは。
「ねえねえ幸田くんは部活何入ってるの?」
僕の席が窓際の一番後ろ――いわゆる主人公席に変わると、その隣の席になった川上さんが話しかけてきた。
川上さんと話したことはないから、どういう人かはよく分からない。でも、とても明るい女子ということは分かっていた。友達と大きな声で楽しそうに話している姿は、一人で読書ばかりしている僕とはまるで真逆だ。
そんな彼女が弾けるような笑顔で僕に話しかけてきた。まあ、でも大した意味は無いんだろう。会話したことがない人とお隣さんになったからなんとなく世間話をしようと思っただけで、特別な意図はないはずだ。だって、みんなそうだったから。
「あ、部活には入ってなくて……。か、川上さんは?」
この学校はほとんどの人が何らかの部活に所属している。なんでも、昔はあった『全ての生徒が部活に加入しなければならない』というルールの名残がまだ残っているらしい。ただ、僕はどの部活にも興味が無いし、早く家に帰ってゲームをしたかったので、帰宅部に落ち着いている。
だから、たぶん川上さんはどこかの部活に入っているのだろう。僕は一応聞き返しながらそんなふうに思っていた。でも、彼女の答えは想像を上回っていた。
「……帰りのホームルームが終わったら荷物をまとめて教室を出て、下駄箱から靴を取り出してそれを履き、校舎から出たあとにカフェでコーヒーに舌鼓を打ちながら世界情勢について考える。もし仮にそれを部活と呼ぶのであれば――」
「帰宅部だよね?」
「え?」
「というか、何か聞いたことあるような――」
「……そんなことないよ、オリジナルだよ」
本当にオリジナルならわざわざオリジナルとは言わないのでは。そんなツッコミは置いておくとしても、ちょっと恥ずかしくなってきた。知ってるネタだったからついツッコんじゃったけど、実質初対面なのに失礼だったかも。
「ていうかさ、幸田くんも帰宅部なんだね。……ってことはもしかしなくても放課後暇な感じ?」
「あ、まあそうだね」
あまり気にしてないみたいだ。それどころか、さっきよりも機嫌がいいような気がする。
「じゃあじゃあ、希少な帰宅部同士仲良くしようね! はい握手!」
「え」
「ほれほれ!」
川上さんがにっこりと微笑みながら手を差し伸べてくる。え、なんでここで握手? さっぱり思考回路が理解できないよ! え、本当に握手していいの? あとでセクハラだとか言われないよね?
どうすればいいのか全く分からなくて、僕はあわあわしていた。ちなみにこの時点でもう十秒以上は経っていたが、未だに川上さんは表情を全く変えないまま手をこちらに出していた。凄い粘ってくるなこの人。気迫すら感じるよ。
根負けした僕は恐る恐る手を差し出し、川上さんの手をゆっくりと握った。凄い柔らかかった。女子の手に触れたのなんて小学生以来――いや幼稚園だったっけ? とにかく覚えてないほど遠い昔のことだったと思う。
「よしよし! じゃあそういうわけでよろしくね!」
「あ……うん。よろしく」
腕を上下にぶんぶん振られながら、僕はこのとき、全く期待していなかった。仲良くしようだとか言っておいて、実際は必要最低限の事務的な会話しかしない光景がありありと目に浮かぶ。
そう、僕は全く分かっていなかったのだ。川上さんが想像を遥かに上回ってくる、とんでもなくおかしな人だということを。
昼休み。僕は昼食を食べるとき、教室にはいない。一人ぼっちの僕には、クラスメイトたちの楽しげな会話が耳に入ってくることが苦痛で仕方がない。だから、いつも適当な空き教室で食べている。もちろん一人で。今日もそうなるはずだった。
「ヤッホー! なんでこんなところで食べてるのー?」
購買で買ったサンドウィッチ――じゃなくてサンドイッチを口にしようとしたところで、川上さんは扉を開けて中に入ってきた。驚きのあまり、サンドイッチを落としそうになった。なんで、はこっちのセリフなんだけど? どうして僕がここにいるって分かったんだ?
「どうやらその反応……私の尾行に気付けなかったみたいだね?」
「尾行……?」
そんなことされてたのか。なんかちょっと怖い。
「うん。ま、私のステルス能力はずば抜けてるからねー」
川上さんは僕の前の席に腰を下ろし、手に持っていた紫色の弁当袋を僕が使っている机に置いた。え、同じ机を二人で使って食べる気なの? いや、そもそも本当に一緒に食べるの?
「じゃじゃ~ん! これが私の手作り弁当でーす!」
僕の戸惑いなどお構いなしに、川上さんは弁当を開いてその中身を見せてきた。白飯、ウインナー、唐揚げ、レタスとトマトのサラダ、豚カツ、ブロッコリー、鳥カツ、卵焼き。心なしか肉がやたらと多いような気がする。
「あ、か、川上さんは料理が得意なの?」
「得意っていうか……そもそもそんなに難しいことじゃないしねー」
「そ、そうなのかな……」
「うん。パイチューの最後の一粒を取り出すくらい簡単だよ」
「……僕はわりと苦戦するタイプです……」
料理に対してさらに苦手意識が増したところで、僕はサンドイッチを食べ始めた。ツナマヨが入っているサンドウィッチは不味くはないけど美味しくもない。
そんな感じで黙って食べていると、なんだか妙な違和感があった。その違和感の正体を確かめるために目を向けると、川上さんは弁当に手を付けずに僕を見つめていた。……食べてるところをずっと見られるのって、なんか居心地悪いな。
「……う~ん。幸田くんさ、ちょっと食べる量少なくない? それで午後の授業乗り切れるの?」
「だ、大丈夫。僕は少食だから」
「健全な男子高校生らしくないなぁ~」
じゃあ僕は不健全なのだろうか。一応これでも高校は休んだことないんだけど。
「そうだ! じゃあさ私の弁当あげるよ!」
川上さんは箸で唐揚げを掴み、それを僕の方へ差し出してきた。どこに置くつもりなのかと思っていたら、空中で箸が止まった。……もしかしてそのまま食べろってこと? いやいやそんなわけないよな。
「ほれほれ! 何遠慮してんの? グイっていっちゃいなよ!」
完全にビールを飲ませるときの擬音だけど、本当にこのまま食べさせる気みたいだ。今日初めて会話した人に取る態度じゃないと思うんだけど、この人は一体どうしちゃったんだろう。もしかして誰かと勘違いしてるんじゃないかな?
「あ、あの、僕の名前は幸田康人です……」
「ご丁寧にどうも。私は川上志保です!」
勘違いじゃないみたいだ。どうしよう。でも、せっかくの厚意を無下にするのは感じ悪い気もするし……あ、そうだ!
「あ、だったらここに置いてください……」
僕はサンドイッチを急いで食べ終えると、残った包み紙を川上さんの前に置いた。彼女はちょっとしたフリーズのあと、僕の意図を理解して唐揚げをそこに置いてくれた。
「なるほど。幸田くんは唐揚げを紙で食べるタイプなんだね」
「……箸とフォークと爪楊枝が無ければ」
僕は唐揚げを紙で包むように持ち上げ、口に近づける。あ、そういえばまだお礼を言ってなかったな。
「あ、ありがとう。それじゃあ、いただきます」
「うんうん。いただいちゃってー」
野性味あふれる美味しそうな匂いを嗅ぎながら、僕はその唐揚げをかじった。咀嚼し、丁寧にじっくりと味わう。うん、これは――
「お、美味しい……」
「おお! やっぱり!?」
「う、うん。ジューシーで衣がパリっとしててすごく美味しい」
お世辞じゃなくて本当に美味しい。正直、意味不明な言動もあってちょっとアレなのかなとも思っちゃったけど、しっかりと美味しい。凄い。
「そうだよねー? ほっぺたがドロドロに溶け落ちるくらい美味しいよね?」
「……凄く不味そうな表現だね……」
「とりあえずこれも食べなよ~」
唐揚げを食べ終えると、今度は鳥カツを置かれた。これは美味しいのかな……おお、やっぱり美味しいや!
「でしょー? じゃあ次はこれ!」
どんどん置かれていく食べ物を僕は次々と食べていった。サンドイッチの味気無さに比べて、川上さんの作った料理は最高に美味しい。もう美味しいとしか言いようがない。
僕が美味しい美味しいと語彙力の無さを隠しもせずに食べている姿を、川上さんはただただ嬉しそうに眺めていた。
「お、おお……おおう……し、死ぬ、死ぬぅ……」
川上さんの腹の音が十分間隔で鳴っている。僕にお弁当をあげすぎたことが原因となって、彼女は飢餓状態に陥っていた。ちなみに僕は食べ過ぎでお腹がパンパンだった。……あ、そうだ!
僕は鞄からもう一つのサンドイッチを取り出した。川上さんのお弁当を食べた影響で、食べずにとっておいたものが一個だけ残っていたことを思い出したのだ。
「あ、あの、良かったら、これ……」
「お? おお……おおおおお……」
「一個余ってるから……どうぞ――」
「おおおおおおお!!」
勢いよく包み紙を解き、川上さんはまるで猛獣みたいにがむしゃらに食べ始めた。こう言っちゃなんだけど、ちょっと引くらいの勢いだった。
三十秒もかからず食べ終えた川上さんは、すっかり満足したような顔つきをしていた。
「いや~本当にありがとうね。これで生き延びられるよー」
「い、いや。僕が調子に乗って食べ過ぎたのが悪いから」
「そんなことないって。よ~し午後の授業も頑張って――」
ぐぐぅ~。気の抜けた腹の音が僕の隣の席から聞こえてきた。
「……幸田くんにお弁当を分けるときは、食べられすぎないように気を付けよう」
僕が全面的に悪いかのように、川上さんはそう固く決意していた。だいぶ納得がいかなかった。
とにかく。こうして僕の日常は完全に一変した。川上さんの理解不能な思考に振り回される日々が始まるのだ。そして、その度に僕はこう思う。
川上さんにはついていけない!!――と。