生きる
「死」を考えるときは一緒に「生」を考えるようになった。
私は元々、ネガティブな方であるから死だけばかり考えてしまっていたが、生も一緒に考えないと不均一差を感じてしまうからである。
カラスは大きな止り木で朝の点呼を行っている。
無人の朝方四時前は閑散としていて何処か、人の気配を感じずにはいられないのだが、人は殆ど、居ないのであった。
なんとなく朝食を食べる。
なんとなく昼食を食べる。
なんとなく夕食を食べる。
生への喜びに飢えているおじさん。
何故、人間らは昔から山に何でもかんでも捨てるのか。
当たり前のように捨ててくる業者や個人が跡を絶たない。
それが当たり前かのように、必然のように振る舞う質が。
怒りを覚える頃には朝は明けてくるのである。
梅雨よ遠慮するなよ、来い、来い。
夏はまだかと待ちぼうけ。
私は男だが男は皆、クソである。
だが然し、希望は持つことにしているのである。
私はまだ、生きているのだから。