Ep,7 関係性:ガキと詐欺師
「......い、おい。大丈夫か」
久しぶりに妹の顔を見たことによる、一瞬の気の動転。らしくない、と言える程度のものでは無い。本当に世界が真っ暗になって、今までの光景がフラッシュバックするような感覚に陥っていた。長い間息をしていなかったような気がする。滲んだ手汗に気付くまでに数秒かかり、今の状況を思い出すまでにまた、数秒かかった。
この人は来栖京、今は「人生カスタマーセンター」に依頼中、父も母も近くにいない、大丈夫、大丈夫。そう心の中で言い聞かせて深く息を吸うと、少しだけ思考がクリアになった気がした。
それから何度か息を吸って吐いて、大丈夫、と今度は本当に呟いてみる。来栖に向けた言葉でもあった。だってなんだか、本気で心配しているような顔だったから。こんな脳みそATMみたいなやつがそんな表情をするのかと、少し驚いたから。
しかし来栖はまだ、眉をひそめ心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。その瞳にはまだ、隠しきれない焦りが滲んでいる。
「......大丈夫だよ。本当に」
来栖の反応からして聞こえていなかったのかと思い、もう一度、さっきより大きな声で言ってみた。昼間の青空に声が吸い込まれていく。自分の存在がいかにちっぽけなものなのか、そんな現状に関係のないことを嫌でも体感してしまう。来栖は数秒ほど俺の目を見つめた後、気まずそうにふいと視線を逸らした。
それが俺には、自分の言動を恥じるような振る舞いに見えた。......見えただけなんだろうけど。
「そうか。......ま、過去の記憶か何かにやられたのかは知らねーけどよ、一応お前は依頼主、俺は請負人だ。お前が途中でぶっ倒れでもしたら、それこそ本末転倒なんだよ。お目当ての金すら手元に残らねぇ。だからお前には、どれだけ苦しかろうと辛かろうと、この依頼の一部始終を見届ける義務と責任があるんだよ」
わかったら行くぞ、ガキ。そう言って来栖はスーツを翻し颯爽と歩いて行く。こつこつと、すたすたと、黒い革靴を鳴らして行く。まるで「自分には一変の迷いもない」と主張するかのように、振り向くことなく歩いて行く。俺は少しの間呆然としたあと、遠ざかる黒い背中が徐々に小さくなっていることに気づき、慌てて右足を踏み出した。少し駆け足になってやっと追いつく。止まらない背中に向かって「ちょっと待ってよ」とは言えなかった。
あの人を止めてはいけない、そう思ったから。
しかし道中無言なのもそれはそれでどうかと思い、俺は押し込めた言葉の代わりに、少し前に脳の奥へ押し込んでいた疑問を引っ張り出すことにした。
「......あの」
「ん?」
立ち止まり首だけで振り向く来栖を見上げて、俺はできるだけの平常心を装い言う。
「来栖さんの職業って、何なの?」
対して来栖は一瞬ふっと目線を下げ、迷うようなそぶりを見せてから言う。その後ふぅっと小さくつかれるため息。勿体ぶっても仕方ないか、というような仕草。そして俺が「教えてくれるのか」と淡い期待を抱いた瞬間に、来栖はまた歩き出した。
......え?無視?
今度は遅れないようと早足で追いかけながら少し落胆する。そりゃあ別に、聞く権利も言う義務もないんだろうけど......なんとなく裏切られたような気分だった。
だから。
「詐欺師だよ」
来栖がふいにそう言ったのを、俺は最初、上手く聞き取れなかった。その言葉はぼーっとしているとすぐに消えてしまいそうだったので、失くさないように慎重に拾って鼓膜に投げ入れた。それで、脳内を何周かしてからやっと意味を理解する。
さ、ぎ、し。
「詐欺師!?」
「あぁ、そうだ」
俺は詐欺師だ。かみ砕くようにそう言って、来栖は自虐的に笑う。いや、自虐的というのは俺の偏見か。金が大好きなこいつのことだ、きっと詐欺師も天職に違いないのだろう。
ただ、その声音に後悔の色が混じっているように聞こえたのは、紛れもない事実だった。隠しきれない、隠そうともしない、そんな一種の諦めすら混じった悲壮感が空気を通して直に伝わってきた。かける言葉が見つからない、というか、なんというか。来栖の苦悩を推し量ることは多分、今の俺には無理だ、と思った。
「他人を騙し、他人の金を巻き上げる。依頼があれば誰でも騙す。手段は問わない。そこに信頼関係など存在しない。ただ、目の前にある笑顔を崩す。それが詐欺師の仕事だ」
来栖はどこまでも淡々と言う。
「それなのにお前らはよ、根拠もないのにぽんぽん他人なんか信じやがって......本当、間抜けすぎて笑っちまうわ。その上友達やら家族なんかは『信じられない』とか言って突き放してよ。現代人の他人を計る目は死んでるぜ。自分の物差しくらい、自分で作れってんだ。いつまでもそんなことばっかやってるから、俺みたいなやつに騙されちまうんだよ」
はぁーあ、とつかれたため息は、これまでで一番嘘っぽかった。まだ詐欺師という言葉への驚きが収まりきっていない今、そんな評論家みたいなことを言われても困るだけだ。来栖は一体俺に何を伝えたいんだろう。おそらく答えは永遠に見つからないであろう問いが、頭に浮かんでは消えた。
「で、数原勇吾。お前もその間抜けな連中の一人なんだぜ」
「へぁ?」
急にフルネームで呼ばれて驚く。
「せいぜい、いつ裏切られても大丈夫なように、心の準備くらいはしとくこったな」
言って来栖はにやりと笑った。その時俺は初めて、来栖の本当に楽しそうな表情を見たような気がする。大人たちにいたずらを仕組んだ子供のような笑顔。無邪気とは程遠いが、それでも多分、嘘ではない表情。
——なんだよ。裏切り、なんて言うわりには、随分と楽しそうじゃないか。
怒られそうだから、言わなかったけど。
それから(家に帰るのも嫌だったので)来栖についてオフィスに帰った俺は、柊と日永田と一緒に何故かゲームをしていた。殴り合って相手を吹っ飛ばす、某テレビゲーム。
それは、俺にとって初めての体験だった。
画面が動く。ぬるぬる動く。自分の操作するキャラクターが、大画面で動き回っている。しかもそれだけじゃない。構造のわからない小さなコントローラーが、手の中でブルブル震えている。ボタンを押せばキャラクターが相手を殴る。蹴る。ビームも出る。
柊と日永田はそれを慣れた手つきで操作しているけれど、俺にはどうも珍しくて仕方なかった。
「ほら、ぼーっとしてると死んじゃうよ!」
柊が俺を——俺が操っているキャラクターを画面内で蹴る。ぶるっ、と、コントローラーの振動とともに俺の分身が画面外に吹っ飛ばされた。焦ってとりあえず手元のボタンを手当たり次第に押してみる。すると、よくわからないビームを撃ちながら空を飛んだ俺のキャラクターが舞台に舞い戻った。
「柊、ちょっとは手加減してあげないと」
「そう言って私だけを狙ってくる帷くんもなかなか悪質だと思うけどなー?」
喋りながらゲームができるなんて、器用な奴らだ。......そう考えているうちに、また俺のキャラクターが吹っ飛ばされていた。見る限り、今度はどうやら復活できそうになかった。
落ちていくキャラクターを見つめながら、楽しいと、そう思っていたのも、事実だった。
「胡桃、ここ見て」
「......やっぱり予想は当たったみたいですね」
「どうする? これは多分、勇吾本人もまだ知らないと思うんだけど」
「そうですねぇ......ひとまずは——」