Ep,4 束の間の36度
「依頼人の妹は現在ターゲットの家に監禁されている。勇吾の様子から見て多分そこの鍵は持っていない。ターゲットの職業は会社員、しかし休みは不定期とのことで侵入は簡単ではなさそうだよ。妹は小学五年生、監禁されているからまぁ学校に行っていないのは多分確実。学校側からのアプローチはあんまり期待できなさそうかな。離婚してるから母親側から攻め入ることも不可能に近い......ってのが現状。
で、どう?とりあえずセールスマンっぽく行ってみる?」
来栖との取引が成立してから数時間後、磨りガラスが黒く染まった頃。組織(?)の全員が集まったところで、作戦会議なるものが始まった。なんでも、佐咲が調べた現状を全員に報告してから予定を立てる、というのが、ここのやり方なのだそう。
この部屋には、二つのソファが机を挟んで向かい合った状態で置かれている。入り口側のソファに寅松、来栖、それと日永田という男が、もう一つのソファに佐咲、柊がそれぞれ座っていて、俺は佐咲の隣、寅松の真正面となる位置に座るよう促された。とくに反抗するつもりもなく腰を下ろすと、先程柊が用意していた飲み物のうちの一つ、果汁100%のオレンジジュースを勧められた。一瞬遠慮しかけてからストローに口をつける。酸味と甘みが喉を通過していくのと同時に、そういえば今日は何も口にしていなかったことに気づいた。
手にしていたブラックコーヒーをことん、と置き、来栖が口を開く。
「とりあえずって言うけどさ、それやるのいつも俺だろ......まぁ下準備そんなにいらないし良いけど。ただ、小5を監禁して奴隷扱いしてる奴がそう簡単にセールスなんて相手にするか?結構な警戒心抱えてそうだと思うけど。最悪、家の惨状がバレる可能性もあるわけだし。そこんとこ、どう対処するつもりだ?」
流石手慣れている、と言うべきか、的確な意見だった。確かにそうやすやすとアイツの尻尾をつかめるとは思えないし、それでこちらの作戦が割れてしまっては、それこそ本末転倒だ。
コーヒーをすすりながら来栖が誰かからの返答を待っていると、今度は寅松が「京さん」と切り出した。ちなみに、寅松の手元に置かれているのはミルクティー。こんなことを言うのもアレだが、似合う。
「なんか警察みたいな言い方で嫌ですけど、この場合って人質の生存確認と保護が最優先なんじゃないですか? 依頼内容もそんな感じですし。京さんがそんな人質を殺すなんてヘマをすることはないんでしょうけど、ええ、失敗するなんてことは天地がひっくり返ってもありあないんでしょうけど、しかし、依頼人を安心させるという面でも人質の保護は重要なのでは?」
「胡桃、過剰評価だ」
寅松は言われてとくに落胆した様子もなく、「そんなことないですよ」と微笑んだ。赤眼鏡の先で、長い睫毛が瞬く。それは、来栖のことを心から信用しているような、そんな表情だった。
「でもまぁ、最初の方の意見に関しては一理あるな」
来栖の方も寅松の行動をそこまで悪く思ってもいないのだろう、特に嫌がる様子もなく淡々と続ける。
「それじゃあとりあえず、明日あたりターゲットの家にでも行ってみるか。瑠希、住所は押さえてあるよな?」
「もちろん」
言って佐咲は英数字たちが並べられたメモを渡す。その紙切れには住所どころか、電話番号、メールアドレス、郵便番号、勤務先の名前や住所まで書かれてあった。何コイツハッカーか? なんでそうホイホイ他人の個人情報について調べられるんだ? 疑問に思ったけど聞かないでおくことにした。なんというか、首を突っ込んではいけないような気がした。多分これもここのいつもの流れ、というやつなのだろう。
柊は佐咲を軽く小突き茶化す。
「流石るっきー、仕事が早いねぇ。プロのお方だ」
「うるさ」
佐咲はそれに素っ気なく返すが、俺にはその態度が余計に二人の仲の良さを引き立てているようにしか見えなかった。佐咲と柊では、明らかに柊のほうが年上である。もしかして、生き別れの兄弟だとか。親が離婚したけどここで会ってる、とか。変な親しみを感じてしまったせいで、馬鹿らしい想像だけが広がっていく。
......いや、コイツらの事情とか、関係ないんだってば。
「で、七瀬は今回何すんの」
佐咲に問われて黙る柊。うーん、と形だけで唸ってみるも、またすぐに沈黙が訪れる。これは流石に俺でもわかる、絶対アイツ何も考えていない。人柄からして楽しようとするタイプではないんだろうけど、多分、単純に何も考えていなかったんだと思う。平たく言えば馬鹿。
「命令があれば動く......かなぁ。私、頭使うの向いてないし。帷くんと待機組でもしてるよ」
帷くん。
日永田の下の名前だ。今俺の脳の中で一番記憶に新しい単語である。おそらく二十代前半。と言っても、まだ未成年と形容できそうなくらいの容姿。来栖の少し後に帰ってきて、丁寧に自己紹介をしてきた男。
第一印象、好意も悪意も抱かなかった。しかしなんとなく「疲れてそうな奴」だと思った。来栖が「爽やか営業マン」(本当は「悪徳守銭奴」)なら、日永田は多分「疲労困憊社畜」だ。痩せこけているとかそういうわけではないけど、放つオーラが疲れている。なんか人生苦労してそう。そんな奴。
「賛成」
日永田は短く言うと、麦茶の入ったコップを口に当て傾けた。柊の他人に対する呼び方のバリエーションがかなり豊富なことが少し気になった(るっきー、来栖サン、胡桃さん、帷くん。その中でも「来栖サン」だけ異様な距離感を感じる)が、まぁそこは多様性とかいうやつなのだろう、見て見ぬ振りをしておくことにした。
知ったって、俺たちの関係は「依頼人」と「業者」のそれでしかないのだから。
「では、私は瑠希くんと今後の作戦を練っておきますね。あと何か、情報面からボロが見つからないか探ってみます。瑠希くん、協力してくれますか?」
「うん、任せて」
そう言う佐咲の表情は、どこか嬉しそうに見えた。
「じゃあ現状としては、来栖がターゲットの家に乗り込む、俺と胡桃が情報面から探りを入れる、七瀬と日永田が待機組ってことでいい?」
「そうだな。......あ」
来栖は何かを思い出したように、俺を見て言う。
「依頼人はここに待機でいいのか?」
ついに敬語も外れた。別に敬語を使って欲しいわけじゃないけど、ただ最初とのギャップが大きすぎて未だについて行けていないので、純粋にびっくりした。
そして特に言葉の真意も読み取れず「え、あ」と間抜けな声を漏らす。待機以外に何があるんだ?
「妹の顔、見なくていいのか」
「......あ」
そういうことか。
多分これは、来栖なりの思いやりみたいなものなのだ。よくわからないけど、それだけはわかる。口調と表情から微かに読み取れる。今の来栖の言葉には、優しさが含まれている。
ずっと近くに悪意を感じてきたから、わかるんだ。
「ついて行っても、迷惑じゃないのか」
妹の顔を思い浮かべて、声が震えた。
「ま、ガキが一人増えるだけだし」
悪徳守銭奴だと思っていた奴は、案外いい奴だった。
他人を信用することを知らずに生きてきた俺は今、「信用」の意味を知ろうとしていた。
世界はそんなに悪い奴らばかりでもないんだなと、少し期待してしまった。
心がほんのり、温かくなってしまった。
今こうしている間にも、未央は苦しんでいるというのに。