Ep,3 作戦開始
報酬金の取り分に関して散々文句を言われたが結局は強引に押しきり、現在時刻は午前十時半頃。さっきまでうるさかった日永田も静かになって、部屋にはカタカタとキーボードを叩く音だけが響いている。胡桃と来栖が帰ってくる気配もまだなく、あと数時間は日永田と二人で過ごすことになりそうだった。
俺はパソコンの画面を適当にスクロールしながら言う。
「さーて、どーするかな」
マウス中央のコロコロを上へ下へと転がすと、松茂良財閥に関連した情報が次々と流れて行く。ウィキペディア、歴史、子会社、どこかの雑誌でのインタビュー、その他諸々の全く興味のわかない文字列が虫のように蔓延っていた。それらを目で追うもあまり有益そうな情報は見つからず、「やっぱ左のパソコン使うしかねーかな」と思った時、ふと、あるネットニュースの記事が目に留まった。「松茂良財閥に新たな風」。文字数の都合でそこまでしか表示されていなかったが、なんとなく引っかかるものを感じる。
少しの期待を込めてクリックすると、松茂良財閥の元締めらしき存在の写真と、
「井瀬グループ、松茂良財閥に合併か......?」
そう書かれた大見出しが画面に広がった。お、声が漏れる。さらに例のコロコロで記事の続きを見ると、どうやら、大手化粧品メーカー井瀬グループの御曹司が政略結婚、という内容が書かれているらしかった。「相手は松茂良財閥の一人娘、松茂良真誉」......パズルのピースがパチパチとはまって行くような、そんな感覚に陥る。というかもうほとんど決定打でしかなかった。
それならあとは簡単、決定打を見つけ出すまで。
「日永田」
液晶画面を見たまま固まる日永田に、俺はにやける口を抑えながら問いかけた。画面上の若い男の写真を左手で指差して、右手で画像をクリックし拡大する。
「この男に、見覚えあるよね」
日永田は驚いたような顔で答えた。
「うん、記憶力に自信はないけど......多分、松茂良さんの婚約者」
「で、なんで俺がスーツ着せられてるわけ?」
「決まってんじゃん潜入調査だよ」
それから俺は、誰でも一瞬で(個人差あり)爽やかな営業マンになれるひみつ道具ことスーツと紺色にネクタイを来栖に借りて(無許可)、適当に髪もセットして、日永田をいわゆる「普通の会社員」に仕立て上げた。理由はもちろん井瀬グループとやらの会社に日永田を送り込むため。うん、これなら若干根暗っぽくはあるけどいけそう。証明写真を撮影し(ちょっといじっ)て履歴書を書い(偽装し)たら完璧に社会人だ。きっと井瀬グループの代表とやらも気に入るに違いない。まぁ、採用されたら採用されたで面接官の目はきっちり疑わせてもらうんだけど。
幸い、履歴書の偽造ならいつも来栖の手伝いでよくやっていたので、あとは日永田から個人情報だけ聞けば問題無さそうだった。
「はい日永田。好きな色は」
「色?何に使うんだそんな情報?」
「いいから」
「んー......黒か緑?」
「なんで疑問形なんだよ。まぁいいや......えっと、じゃあ、お前の名前は古池晴だ」
日永田に伝えながら履歴書に書き記す。
「え、なにそれ誰の名前。好きな子?」
「だからなんでお前はそう毎回恋愛沙汰に持って行こうとするんだよ刺すぞ」
刺すぞと言いながらスマホで殴りかかろうとした俺に、日永田は両手を上げて「矛盾矛盾!」と訴えた。あ、確かに矛盾してる。そうだ刺すんだった。でも指摘されてやめるのもなんだか癪に触るので、「包丁包丁......」と呟きながら冗談でキッチンに向かい棚を漁ってみると、今度は日永田が本気で通報しようとしたのでさすがにやめた。
取ってきた桃味の飴を口に放り込み、再びパソコンに向き直す。
「日永田と黒をローマ字表記に直して適当に入れ替えたんだよ。名前自体に特に意味はない」
「なんで本名のままじゃダメなんだ?」
「そりゃお前」
仮にも有名人じゃん、と言いかけて、ギリギリで引っ込めた。しかし言いかけたまま放置するのも不審なので、適当に言い訳を組み立てる。
「潜入調査するって言ってんのに本名で乗り込む馬鹿がいるわけないじゃん」
「あー......なるほど、いつもそうやってるのか」
「ま、そんなとこだね」
誕生日、年齢とその他諸々をいい感じに偽装して、最後にこれまたいい感じに加工した証明写真を貼り付けたら履歴書の完成。学歴などはかなり派手に偽装したが、まぁバレることもないだろう。人の第一印象の半分は見た目で決まるらしいので、最初だけきっちり着飾っておけばあとは少しくらい手を抜いても大丈夫なのだ。多分。
口の中で飴を転がしながら、井瀬グループの所有する会社のうち、松茂良の婿がいると思われる会社の名前をもう一度検索する。高級そうな化粧品会社だった。ここから数駅先の距離にあるらしいので、面接にも(日永田が)行きやすいだろう。しかし俺が確認したかったのはそういった情報ではなく、その会社の電話番号だった。
画面に映った番号を間違えないように慎重に入力して、電話をかける。
「はい、じゃー、どうぞ」
「え?」
面接に必要な準備を終わらせて、間抜け面の日永田にスマホを渡す。ここまでが俺の仕事。面接を受けるのは日永田なので、電話するのも奴の仕事。
ツー、ツー、ツーと呼出音が鳴って日永田が慌てふためくのを見ながら、俺はさっきのオンラインゲームを再開した。たらららー、と聞き慣れたBGMが流れ出す。スーツ勝手に借りたからやっぱ来栖に怒られるかな、という無意味な心配はすぐにゲームの世界に溶けていった。
こうしてゲームしている間に日永田がうまいこと面接までたどり着いて、面接までに日数があればまた左のパソコンで松茂良のことを調べて......できればもう一回、直接会って何か聞き出せる機会があるといいな。本人から話を聞かないことには、依頼を解決する具体的な策も浮かびにくいし。実際、特に理由のない依頼人の一言が解決に繋がるケースも結構あった。しかし別にそれを誰かがメモしていたというわけではなく、大概は胡桃の超人的な記憶力が役に立っているわけなんだけど。あの記憶力は並みのものじゃない。本当に当たり前のように二週間前の献立を記憶していたから、初めてそれを目の当たりにした時はひどく驚いたものだ。今ではもうすっかり慣れてしまったけど。
そんなことを思い出しながら、俺はキーボードを叩いていたのだった。
それから再び俺が日永田に話しかけられたのは、ずしゃあ、と本日十体目のモンスターを双剣で切りつけ、ちょうど首を落とした時のことだった。
「瑠希......面接、明々後日だって......」
少々疲弊した様子の日永田がソファにどっかりと腰を下ろして言う。まるで「あー、疲れた」とでも言ってくるかのようなその動作。勿論俺にそんな日永田をいたわろうという心は全くなく、ただ普通に右側のパソコンの電源を入れた。
「あれ、わりと早いんだ」
「なんでも、井瀬グループの御曹司とやらが『採用する人材は自分で顔を見ておきたい』とかなんとか言ってるらしく、次にその人が会社に来れるのが明々後日なんだと」
「へぇ、それはまたわがままなお坊ちゃんなんだね......感じ悪」
まだ会ったことはないけど、なんとなく気に食わない奴だと思った。社員思いの上司みたいなこと言って、結局はそのわがままだって親の権力によって叶えられているということに気づいていないのだろうか。
しかし馬鹿な日永田はそのことに全く気づいていないらしく、「どこが感じ悪いんだ?」と何もわかっていなさそうな顔をして聞いてきた。
「二十代前半の若造が面接官に採用して貰えてんのも親のコネに過ぎないってこと、わかってないのかなってこと」
「あー......てか、今思ったけどさ、瑠希って結構口悪いんだな」
「まぁ、相手にもよるけどね」
これでもまだお前に対しては抑えてやってんだぜ、感謝してよ。そう言いかけて、やめた。こいつ相手に気を使ってることも、普段抑えていた口の悪さが再発したことも、今になって急に不思議になった。
気を付けないとまたしくじるな、と思った。