Ep,2 利害の一致、しかし山分けという発想はない
「えー、完全にとばっちりじゃん......」
パソコンの中で吹き出す血飛沫、ぐぁぁと唸りを上げる赤黒いドラゴン。双剣を振り回し颯爽と身を翻し、意識は完全にゲームの中に入っているのに、聴覚だけが俺を現実に引き戻そうとする。鬱陶しくなってヘッドフォンで音を遮断しようとしたが、少し前に派手に踏んづけて壊してしまったことを思い出した。
ほんと勘弁してよ、そういうのいいってもう、なんなのあの女。防御ゼロの俺の耳に、日永田の呟きとゲーム内の音が混ざってぶつかる。控えめに言って結構な不協和音だった。日永田も俺が返答するを待っているのだろう、なかなか大きな声で延々と愚痴を叩き出している。あまりにわざとらしくて少しイラっとした。お前が蒔いた種だろ、いつまでもうだうだ駄々こねてんじゃねぇよ。そう言おうとすると今度は血まみれのドラゴンに体当たりされた。緑にライフゲージが一気に三分の一近く削られる。思わずうわ、と声が漏れた。まじであいつふざけんじゃねぇ、これで死んだらアイツの金で課金装備買う。はい、無職の財布に3590のダメージ。
しかしこんなことを言っておいてアレだが、俺を苛立たせる日永田の愚痴にも、少しだけ共感できる点はあるのだった。原因は言うまでもないあのわがまま令嬢、松茂良真誉。無遠慮に押しかけて来ては好き放題にクレームをぶつけ、そうすると今度は鬱憤を晴らすだけ晴らして満足したのか、「私は最初からここに依頼をしに来たのよ」と自慢げに言い放った女。結局は最終手段という形で日永田が松茂良の依頼を受けたものの、そのせいで俺のゲーム時間は削られるわ、明日の俺のゲーム時間も(多分)削られるわで、とにかく散々な目にあった。それにおそらく、日永田一人に依頼を解決する能力は備わっていない。だからって協力するのはごめんだけど、日永田がやらかしたせいで俺までとばっちりを受けるのはもっとごめんだ。
何か解決策を練らないと。一時はそう考えた頭で、やっぱりさっさと日永田を連れ帰ってもらうことにしようかと、ここ数分でわりと真剣に検討している。
それから数分後。
「あの人、本当に俺に依頼したつもりなのかな......」
日永田の憂鬱そうな声とともに「Quest Clear」という文字が画面に表示された。続いて経験値ゲット、装備品ゲット、レベルアップと細かい数字が羅列されていく。それらは見ずに「SKIP」を連打して、宿屋でデータをセーブした。勿論この間も絶え間無く日永田の愚痴は続いている。そしてくるくると回るロード中画面を数秒見続けた後、俺は痺れを切らしてついに日永田に話しかけた。
「うるさいんだけど」
「助けて瑠希」
「何をどうしろと?」
「いつも寅松さんや京にやってるみたいに、なんかうまいこと助けてくれよ」
日永田は来栖のことを「京」と下の名前で呼ぶ。ついでに言えば来栖も日永田のことを「帷」と呼ぶ。多分そこには男同士という次元を超えた明確な友情があって、俺には到底考えが及ばないような信頼関係みたいなものがあるのだと思う。胡桃——日永田が寅松さんと呼ぶここのボス、寅松胡桃の情報だけど、二人はどうやら同じ高校に通っていたらしいし。と言っても学年は違って、来栖が日永田の先輩だったそうだけど。来栖が三年生のときに日永田が入学した、とかなんとか。しかし、あの外道守銭奴の来栖にも純粋な学生時代が存在したのかと思うと、なかなか信じがたい話だった。それを知っている日永田から見れば、今の来栖の姿も俺たちが見ているのとは違うように見えているのかもしれない。まぁ、オチも何もない想像なんだけど。
うーん、そう簡単に言われてもねぇ、と俺はわざとらしく唸ってみせた。正直なところ、日永田が「人生カスタマーセンター」の一員として受けた依頼なのだから、なんだかんだで協力しなければいけないということは最初からわかっていた。奴の言う通り、胡桃や来栖が引き受けた依頼にならいつだって普通に協力する。理由は簡単、胡桃はここの創設者で、来栖は俺の先輩にあたる人間だから。じゃあ日永田も俺の先輩?そんなわけがない。だって、学校での立ち位置とここでの立ち位置は全くもって違うのだから。ちなみにこの理論でいくと、七瀬と日永田は俺の後輩。年齢的には俺が中ニで七瀬は高三、日永田は成人済みなんだけどね。それでもここに入った順番で言えば、日永田が一番後輩なのだ。
いやでも違う、後輩だから協力しないとか、そういう話でもないのだ。その証拠に、七瀬には普通に協力する——じゃあ、何が俺の協力するしないに関与するのか。
正解はおそらく、「俺が相手に興味を持っているか」。
胡桃は言うまでもない奇才だし、来栖だって守銭奴なところを除けば十分にわけのわからない天才だ。それに、なんならアイツ、変なところで優しかったりするし。七瀬も七瀬でなかなかのバカだけど、優しさとか思いやり、いわゆる他人に対する感情の振れ幅がずば抜けて大きいのだ。平たく言えばお人好し。来栖はそれを偽善と言って嫌うけど、俺はわりと嫌いじゃなかったりする。ついでに言うと、実は来栖も七瀬のその性格をそんなに嫌っていないということも、知っていたりする。
人は、自分より秀でたところがある人間に関心を持つ。当たり前のことだろう。
じゃあ日永田はどうか。
オブラートに包まずに言うと、「全くもって興味がわかない」のだ。
普通より少し下の、それなりに不幸な、そんでもって特に秀でた分野のない人間——これは俺が見て勝手に推測しただけの情報だけど、概ね合っていると思う。
そして俺はそんな人間、日永田帷を見ても、どうも関心や興味を抱けないらしいのだ。
「頼むよ、俺一人で松茂良財閥になんて立ち向かえないって......」
「それは知ってる」
現在こいつはただの無職である。
「なんかね、俺が日永田を手伝う理由が見つからないんだよね」
「理由とか必要なの?」
「あのね、それは七瀬みたいな善人が友人の為に動くシーンで、その友人に『なんで助けるの!?』って聞かれたときに返すセリフだよ。間違ってもお前みたいな無能な無職が他人にすがるときに自分を正当化する為のセリフではない」
「手厳しいな......ていうか瑠希って柊のこと大好きなんだね」
「は?」
「え?......てっきり、恋愛感情的な何かを抱いて青春してんのかと」
「ばっかじゃねぇの」
普通に暴言を吐いた。
ハッキリ言っておくが俺の中に七瀬に対する恋愛感情は全くない。勘違いするなフリじゃない。さっきは嫌いじゃないとかなんとか述べたかもしれないが訂正する。七瀬は普通の友達だ。いやだからフリじゃないって。
「うそだぁ、絶対そんな感じのアレじゃん」
「だからフリじゃねぇっつってんだろ潰すぞ無職」
普通に暴言を吐いた。
もう絶対こんな奴に協力してやらない。泣き喚いて懇願してこようと土下座して猛省しようと絶対に何の情報も渡してやらない。むしろ間違った情報を渡してやる。それで松茂良財閥にでも連れて行かれろ。中二男子の純情を弄んだ報いだ。死ぬまで苦しめばいい。
「あー......もうほんと絶対協力してやんない。後悔しろ」
「えっごめんってそんな馬鹿にするつもりはなかったんだって」
「そのニヤつきは挑発と受け取っていいんだね?」
「違うって!わかった、報酬金少し分けるから!」
日永田の必死な抗議——ではなく、「報酬金」という単語に、再びゲームを開こうとしていた俺の手が止まった。
いや、別に俺は本来来栖のような悪徳守銭奴ではないし、金で態度が変わるような馬鹿でもない。しかし俺は、ある重要事項を思い出したのだ。
——お気に入りだったヘッドフォンを、つい最近、ぶっ壊してしまったことを。
相手は一国を牛耳る松茂良財閥の令嬢。うまく転がせば一攫千金。六桁を超えるヘッドフォンだって、軽々と買えてしまうかもしれない。それだけじゃない。廃課金勢の仲間入りだってできる。......ゲーム廃人不登校の俺には今のところそれくらいの用途しか思い浮かばないけど、大金を手にしたらもっと夢が広がるかもしれない。金は力だ。
俺の中で、プライドと多種多様な物欲が天秤にかけられた。ぐわんぐわんと左右に揺れて、最後にはゆっくりと右に傾く。
「......いいよ」
winner、物欲。
「日永田が受けた依頼、手伝ってあげる。でもその代わり、もらった報酬金は全部ちょうだいね」
loser、俺。