Ep,1 ぶっ潰せ、アンハッピーウエディング
やっとこさ始まります第二章!
活動報告(?)で言ったことは取り消しで!!
とある天気がいい日の午前中。平日なので七瀬は高校、胡桃と来栖はそれぞれいつも通りの行方不明。胡桃は元々個人で仕事をするタイプなので事務所を空けていることの方が多く、来栖は自他共に認める気分屋の守銭奴である。金の匂いがするとなれば自分から動くし、逆に金銭が絡まない事情には全くと言っていいほど興味を持たない。なのでそんな二人が平日午前九時に事務所にいるなんてことは滅多にないのだった。
ということで、事務所には無職の日永田と引きこもり(中学生)の俺だけがいる状態となっている。なんとも形容しがたい絶妙な気まずさと心地よい静寂が流れる、個人的には嫌いじゃない空気だった。日永田はソファに座ってまたいつものように週刊誌を読んでいるけど、そんなことにはあまり興味は湧かない。俺にとって今一番重要なのは、このパソコンの画面の中にある電脳世界なのだから。
オンラインゲーム。俗世間の人間達からはネトゲと呼ばれるそれに俺は熱中していた。もうちょっとでここのエリアボスを倒せそうなんだ。あっ、待って待って違うって、罠の場所そっちじゃないって。せっかくレアなキノコ集めて罠作ったんだから、ちゃんとはまってくれないと困るよ。聞いてる?
——しかしそんな俺の平和なモンスター討伐は、一瞬にしてぶっ壊されることになる。
「日永田って男がいるのはここ!?」
松茂良真誉と名乗る、わがままな令嬢によって。
「......で、松茂良様。うちの日永田が何をしでかしたのでしょうか」
残念ながら日永田は松茂良を見るなり震え上がって別室に避難してしまったので(なんとも不甲斐ない)、仕方なく俺が相手をすることになった。お嬢様だから紅茶かなと思ったけど、胡桃もいないので(俺には紅茶を入れる技術なんてない)とりあえず水道水を出しておく。何も出さないよりはマシだろうと思っていたけど、やっぱりこれ、何も出さないほうがよかったのかもしれない。
「私、自分の苗字は嫌いなの。真誉と呼んで頂戴」
薄黄緑色の髪を後頭部でお団子にまとめた紫目の令嬢——松茂良は言う。顔の横から垂れた横髪のうねり具合から、わりと癖っ毛なことが見て取れる。うねうね、というよりふわふわ、という感じだった。真っ白なフリル付きのブラウスも相まって、見れば見るほどお嬢様っぽい。
真誉様、だと流石に使用人くさいと思ったので、真誉さんと呼ぶことにした。......まぁそれも、俺の勝手な偏見によるものなんだろうけど。
松茂良財閥、というものがある。確か、ホテルの経営だかなんだかで富を手にした一族だった気がする。興味がないから詳細については覚えていないけど、大抵の日本国民なら「松茂良」と聞けば「あぁ松茂良財閥か」と答えるような、それくらいのレベルの財閥。
なので敬意を払っておいて間違いはないんだろうけど、それでも目に見えない権力みたいなものにへこへこするのもなんだか癪だったのでやっぱり「真誉さん」と呼ぶことにする。日本を制圧する権力への俺なりの抵抗である。いや小っさ。
「真誉さん、改めましてうちの日永田が......」
「あんたみたいな子供はお呼びじゃないの。責任者を呼んで頂戴」
言われた通りに下の名前で呼ぶようにしたのに、まー、なかなかのわがまま娘だった。娘って言っても俺より歳上、成人済みだとは思うんだけど。胡桃よりは歳下かな。なんか、まだ表情に若干の幼さがある。胡桃も胡桃でなかなかの年齢不詳な美人なんだけど、ちゃんと「成人済み」の綺麗さみたいなオーラを放ってるから、そういうところが根本的に違うんだろう。
甘やかされて育ったから精神面が幼い、とかいう令嬢あるあるなのかもしれないけど。
しかし今ここに責任者がいないのも事実である。なんとかして策を練らないと......
「責任者、と言われましても...」
「あぁ、いないならさっきの日永田とかいう男でもいいわ」
「あっちの部屋にいるので呼んできますね」
日永田を売った。即答だった。
いや、別に仲間を切り捨てたとかそういうんじゃない。ただこれが今の俺にできる一番楽な......ごほん、最善の策だと思ったから実行しただけであって、だから、このわがまま令嬢の相手をするのが面倒くさそうだったからとか、そういうのでは、断じてない。
と、いうことで奥の部屋から召喚された日永田。顔面蒼白汗ダラダラ、それに加えて挙動不審ともはやその様子は不審者の域だった。
「あの......本当に俺、何したんですか......?」
「だーかーらー、全部あんたのせいだって言ってるのよ!」
全く成り立たない会話。しかしこのやりとりは一回目ではない。なんとまぁ驚くことに、こんな会話(?)が三十分続いているのだった。なんだお前ら新手のコミュ症かと思わずツッコミを入れたくなる。理解していない男と説明しない令嬢?とんだ茶番劇じゃないか。本当、バラエティー番組じゃないんだから、さっさと用件を済ませてできることなら早急におかえり願いたいものである。てか帰れ。早く。日永田連れて帰ってもいいから。
来客がいるのでゲームを再開するわけにもいかず、とはいえ口を挟むわけにもいかず、日永田の助けを求めるような目線は無視してさぁどうしようかと悩む。はっきり言って暇だ。ほんと早く帰ってくんないかな。
「でも俺、あなたとお話しした覚えがないんですけど......」
日永田は頼りなく言う。多分、この会話を実況中継して「立場が弱いのはどっち?」と視聴者にアンケートを取ったら、間違いなく全員の票が日永田に集まるだろう。それくらい弱々しく、覇気がない。本当に「人生カスタマーセンター」の一員なのかと疑いたくなる。いや、実はこの三十分で五回ほど疑った。答えは出なかったけど。というか、出してしまったら終わりな気がした。
「いえ!昨日あっちのコンビニエンスストアの近くで、私たちに話しかけられたでしょう!」
そう言って松茂良は玄関の方を指差す。あっち、と言われた日永田は、指された方角を見ながら首を傾げて、いやわけわかんねぇよ、とでも言いたそうな顔をしていた。日永田も馬鹿だけど、松茂良も松茂良だ。せめて東西南北で言えばいいものを。やっぱりその辺りの知識も、英才教育的な何かで世間とは少しずれているのだろうか。えっでもじゃあ普通に一般人より賢いことにならないか?東西南北?一般教養じゃなかったっけ?
「本当に覚えてなくて......すみません」
「本気で言っているの!?」
「俺が嘘ついてるように見えるんですか」
「滅茶苦茶見えるわ」
「えぇ......」
日永田はその独特なオーラから、他人から疑われることが多いのだ。ちなみにこれは来栖談。なかなかひどい話だと思う。否定はしないけど。
松茂良ははぁ、と呆れに近いため息を一つこぼすと、真っ直ぐな目で日永田を見据え、再び口を開いた。
「このままでは埒があかないから、仕方なく私が説明してあげるわ。......私はね、あなたのせいで好きでもない男と結婚する羽目になったのよ!」
「......は?」
「昨日私は親に決められた許嫁と歩いていたの。不本意ながらね。そうしたら彼が『やっぱり僕たちってお似合いだと思うんですけど』みたいなことを言いだして、私はそれを否定したのだけど、彼は全く聞く耳を持たなかったの。まぁいつものことだしと思って歩き続けていたら、今度は突然彼が『じゃあ初対面の人に聞いてみましょうよ』なんて言いだして、そんなのあんたの思い通りになるわけがないじゃないと思ったから、そのまま放っておくことにしたの。それで彼に声をかけられたのがあんた、日永田帷」
なるほど、どうやら松茂良財閥には、初対面の人間——その人間に特別な事情があったとしても、フルネームくらいなら軽く調べ上げられる程度の情報網が備わっているらしい。財閥、なんていうほどだからきっと優秀な人材でも買収したのだろう。それで調べた先にたどり着いたのが「日永田帷」とこの事務所だったというわけか。
じゃあまぁ、日永田の問題だし、俺には関係ないよね。俺はそう開き直り自分用に入れた水道水を飲み干す。収束のついた思考が冷水によって流されていくような感覚に心地よさを覚える。
あとは日永田に任せよう。そう思っていると、涙声の混じった怒号が事務所に響いた。
「あんたがあの時『お似合いですね』なんて言ったから、あいつは結婚式の日程を正式に決めてしまったのよ!全部、全部あんたのせいなんだから!」
あー、確かにそれは日永田が悪い。