全てを識っている
悪役令嬢編
初めに感じたのは熱ではなく、煙による息苦しさだった。
白い煙にごほりごほりと咳込み、その色が黒く変わり始めた頃、ようやく足下に熱を感じた。
熱い!熱い!
という心よりの絶叫は、周辺を取り囲み石を投げる民衆の耳には届かない。届いたのはただ、あああああ、とそんな濁った、言葉としては意味のない音だけだった。
煙で咳を出しながら、それでもその熱さから、痛みから逃れようとただただ口を大きく開き音を出す。
身体を丸めて熱から逃れようとする人体の反応は、「それ」の四肢を縛り上げている磔台によって阻害されていた。
そのまま火は消えることなく燃え続き、その中心にいるもはや表面が炭となり始めていた「それ」の意識が失われるのは、まだ先のことだ。
どれだけの時間が経っただろうか。
実時間にして5分にも満たなくとも、「それ」にとってその時間は、永遠とも言えるものだ。
早くこの苦しさから解放されたい、と思い始めるのは直ぐだった。その苦しみからの解放というのが、自身にとってどういう状況であるのかはよくわかっていたが、それでもそうありたいと願った。
ふ、と。苦しみが和らいだ。
(ああ、ようやくですわ)
ようやくただの物体になれる。音を上げることもなくなったもはや炭にしか見えない「それ」にとって何よりも嬉しいことだった。
(ああ、神様)
「それ」の持つ数多くの趣味の中、恐らく唯一誰にも迷惑をかけないものであった読書に出てきた物語の主人公のように
(どうか叶うのなら)
(過去に戻って、やり直したい)
それが、この国で歴史上最悪の暴虐者と言われたエイリーゼの最期になった。
「はっ!」
エイリーゼは意識を取り戻す。
身体にあった熱はまるで幻影のようにまとわりつき、エイリーゼは身体に酷い熱を感じたが、どうやら自身が今炎で焼かれていないという事実を察し、そうして身体の冷たさと落ち着きを取り戻していく。
それとともに理由はわからないが確信があった。あの時、最期に望んだ願いが叶い、自身が過去へと戻ったという確信が。
(私は、どれくらい過去に戻ったのでしょう?)
過去に戻ったという通常あり得ないことに確信を抱いたエイリーゼが、今がいつなのか、そしてここがどこなのかという疑問を抱くのは当然で、ならば周囲を確認せねば始まらないと目を開くが、なぜだかその視界に光が入ることはなく、それらの疑問は解消されずにむしろ疑問の種が増えてしまった。
(どうしてかしら?)
そう思うエイリーゼ。目元に何か布のようなものが巻かれているように感じ、それを取り外そうと腕を顔に向けようとする。
が、腕も動かない。そして、同じように足も動かないのを確認した。
(縛られて、いる?)
「ーーーーーーー」
直後、目を布で覆われ、手足が縛られていると感じたエイリーゼの、何も遮られていない耳に、男の声が届いた。
それを皮切りに老若男女の、多くの声が続いていく。
それらの重なる声が何を意味するかはエイリーゼは理解することは出来なかったが、その声にはすべて怒気をはらんでいることには気付いた。
そして、はじめに聞こえた男の声がどんな言葉だったのかは聞こえていたはずなのに、即座にエイリーゼは男の言葉を忘れた。
それはエイリーゼの、恐らく自己防衛機能のようなものだったのだろう。
理解してしまったのだ。エイリーゼは自身が今どういう状況なのか。
火炙り。
まず煙があがり、それから火の熱に炙られる。死、までどれだけかかるか、そしてどれだけ苦しいかはエイリーゼは誰よりも知っていた。
ごほり、ごほり、と咳込んでいると足下に熱を感じ始め、これからの永遠とも思える苦しみを想像した。
(ああ、神様)
暴虐の限りを尽くしたと自覚する彼女は、これは自身への罰であると感じつつ、それでも神へ祈った。
(どうか叶うのなら)
(3度目だけは、やめてくださいまし)