表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宝の小箱  作者: くまミニ
4/22

第一部 宝の小箱 4

 翌日、高校から帰ってくるや否や聡美は服を着替えると、図書館に向かって急いで自転車を走らせていた。

(…もう!)

 少し、唇を尖らせてしまう。

 昼休みの校庭で、由利に昨日の出来事を話すと、呆れた顔で言われてしまったのだ。

「じゃぁ、何? そこまでしといて、名前もまだ知らないの?」

 と。

 今日の由利は、もう随分と落ち着いていた。「どうでもいいわよ。あんな奴!」と元気な声を出そうとしていたから、暫くすれば以前の彼女に戻るだろう。聡美は、そんな由利の強さをよく知っていた。

 そんな由利に言われて脹れてはみたものの、考えてみれば、その通りなのだ。昨日は動転したまま別れてしまったが、自分は『彼』のペンネームしか知らない。ましてや、何処の高校なのかなど訊いているはずもなかった。

 …それに、もっともっと、他に教えてもらいたいことがある。

(悔しいなぁ…)

 《差》が無くなるまでは、『彼』に教わってばかりかも知れない。だが、いつかは『彼』の役に立ってみせる。その為に、勉強だって頑張っているのだ。

(私だって、自分の鍵くらい、自分で探せるんだから!)

 すっかり見慣れた自転車置き場でチェーンを回し鍵をかけた後、聡美は図書館の正面へと回った。

 そのままホールに入り、右手の部屋を覗き込んだが……児童書の並ぶ中には、まだ『彼』の姿は見えていなかった。早すぎたらしい。

 いや…今日、ここに『彼』が来るという確たる根拠も、実は無いのだ。

 どうしても急いてしまう気持ちを落ち着かせようと、椅子の一つに腰掛ける。

 改めて『彼』以外の存在に目を向けると、平日にしては、子ども達の姿がやけに多く見えている。しかもその子ども達の様子が、何処か普段とは異なり、ざわついているのだ。

(何かあるのかなぁ…)

 ぼんやりとそう思ったものの、それ以上は気にも留めずに、聡美は借りた本を広げて読み始めていた。

 この部屋に並ぶ子ども向けの本を、聡美はちっとも面白いものだと思わなかった。だがその中でも、絵本にだけは、お気に入りの作品を幾つか見付けている。その数をもっと増やそうと、幼児向けのものから大人を対象としたものまで、何百冊とある絵本の群れを聡美は端から一つ残らず読んでいくつもりだった。

 大きな絵と、簡潔な文章が小気味いい。正直に言って、聡美は物語や小説を読んでも、いつも何処かで冷めてしまっているのだ。その文章が長くなればなるほど、「こんなにも旨くいくはずがない」とか「こんなにも大変なことばかり、続くはずがない」と思ってしまう。

 その意味では、クラスの他の女の子達とは違い、テレビドラマも苦手な方だった。格好良い男優を眺めるのは嫌いではないが、予告で次回の話の内容があっさりと分かってしまったり、有り得ない状況ばかりで主人公に災難が降り注ぐのは、見ていて呆れてしまう。そこまで有り得ない設定を用いるのなら、ハッピーエンドにしてしまえばいいのに、どうも悲劇が一般の人々には好まれるようだ。

 こんな風に思いたくないが、時々、聡美は本気で考えることがある。

 ……結局、誰もが自分よりも大変な人々の姿を見て、今の自分を取り巻く状況に、偽りの安心と満足を覚えたいのだろう……

 その点で、絵本は有り得ない状況を、より真実に近いものとして描き出してくれる。中途半端に『現実』を表現する俳優を用いないので、本の内容は『空想』として素直に受け入れられ、冷めてしまうことも無い。だが逆に、創られた『空想』の世界であっても、文章では書き表されない物事が、描かれた絵を通して確実に真実味を帯びてくる。微妙なそのバランスが、聡美にはぴったりだったのだろう。或いは、絵の中にある鏡や椅子、窓辺のゼラニウムや台所の蛇口といった『生活』に、聡美は安心を感じていたのかも知れない。

 ……これは『空想』だ。だが、「あって欲しい」…「もしかしたら」……そう思ってもいい『現実』なのだ……

 そんな雰囲気が醸し出される《絵》にこそ、聡美は心惹かれるのだろう。

「うわっ、うわぁ!」

 いつしか集中して絵本の中に入り込んでいた聡美の耳に、突然幼い歓声が飛び込んでくる。

陵史たかしお兄ちゃんだぁ!」

 何事かと慌てて顔を上げると、聡美は部屋の入り口を振り返っていた。

(……!)

 驚いたことに、そこには子ども達に囲まれ、照れたように頭を掻いている『彼』がいるではないか。

(…陵史?)

 それが、『彼』の名前だったのだ。

 急いで立ち上がってみたものの、子ども達のはしゃぐ様子に思わずたじろいでしまう。そんな聡美に気付いて『彼』は軽く手を上げてくれるのだが、動けないのは『彼』も同様だった。

「お兄ちゃん、今日も読んでくれるんでしょ?」

 まだ随分と小さな女の子が、ちょこっと首を傾げて尋ねている。その期待に満ちた円らな瞳に、『彼』は辛そうに応えていた。

「ごめん、美和ちゃん。ちょっとだけ、待っててくれないかな」

「えぇぇ〜っ!」

「僕、ずっとずっと、待ってたんだよ」

 一斉に、周りの子ども達が不満の声を上げる。その言葉の波に、『彼』は本当に困り切ってしまっていた。

(私だったら…)

 押し退けてでも、動いていたかも知れない。それが、どれだけ子ども達の心を傷付けるかも知らずに…

 聡美は、何も言わずに待ち続けていた。

「ほんのちょっとだけ。ごめん!」

 何度も謝って、とうとう陵史も動き始めてしまう。心から済まなそうにしている彼に、子ども達は文句を言いながらも、邪魔はしなかった。

 その様子をじっと見つめていた聡美は、近付いてくる陵史に頬を赤らめながら微笑みかけた。

「やぁ、聡美…じゃない、下村さん」

 急いで言い直す彼に、思わず噴き出してしまう。

「いいよ、聡美で。その方が嬉しいもん」

 囁くように告げられた言葉に、陵史は正直に慌てていた。

「え? あ、えっと…ありがとう。

 あの、悪いけど…俺、春からずっと、えっと、週に一回、みんなにお話を読んであげてるんだ…」

「気にしないで! 待ってるから。私も聞きたいし…」

 舌の縺れを遮って聡美が言うと、不意に陵史の足にしがみついていた女の子が、にこにこと見上げながら尋ねてきた。

「ねぇ、お兄ちゃん。この人、『カノジョ』って言うのぉ?」

「えぇっ!」

 これには、思わず二人とも真っ赤に頬を染めてしまう。

 すぐには応えられずにいた二人の様子を見て、少し大きな小学生達が愉しそうに囃し立ててきた。

「おい、うるさい! よぉ〜し、分かった。今日は、もう何も読まないからな」

 陵史が赤くなりながらも少し脅かしてみせると、小さな子ども達が慌てて騒ぎ始める。

「だめぇ!」

「ぜぇぇ〜ったい、だめぇ!」

 そのあまりの勢いに、恥じらいも忘れ呆然としてしまう。そんな聡美の前で、陵史は一つ大きく頷いた。

「はいはい、分かったから! じゃぁ、いつもの所に集合!」

 その一言で、子ども達がばたばたと走り出している。

 沢山の小さな背中を見送りながら、陵史はそっと肩を竦めてみせた。

「大人気ね!」

「今のところは、な」

 そう言って互いに顔を見合わせると、二人は急に笑い出してしまった。

 何処に行けばいいのか分からない、そんな幼い子どもの温かな背中を押しながら、ちらっと眩しそうに隣に立つ陵史を見上げる。

(この人の『強さ』って…こんなところにもあるのかな…)

 そんなことを思ってしまう。

「つまらなかったら、部屋を出ていってもいいから…」

「ううん。つまらないなんて、絶対に思わないわ」

「ありがとう」

 子ども達の前に向かう陵史を見送って、自分は少し離れた椅子に腰掛ける。

 そんな聡美に、一度、柔らかな笑みを向けてくれる。聡美もそっと頷くと、彼は輪になって座る子ども達に言った。

「じゃぁ、始めようか」

「ねぇ、今日も、お兄ちゃんのお話?」

 美和と呼ばれた女の子に、逆に陵史は尋ねていた。

「その方がいいのかな」

「うん! うんっ!」

 沸き起こる賛同の声に頷くと、陵史は手にしていた鞄から原稿用紙を何枚か取り出した。

(え? お話って…じゃぁ……)

 そう、陵史自身が書いているのだ。

 先程までは、随分近くに想えたのに…何だか、前より一層、《差》が広がってしまった気がする。どんどん上に昇ってしまって…もう、手も届かないのかも知れない……

 急に、『自分』に自信を失ってしまう。

 聡美は、複雑な表情を頬に映しながら、始まった陵史の声に耳を傾けていた。

「今日のお話は、本当はみんなには難しいと思う。聞いたことも無い言葉が、一杯出てくるからね。きっと、この図書館の人でも知らないような、そんな言葉だってあるんだ。

 でも、じっと聞いて欲しい。お話に必要なのは、知識じゃなくて心だからね。

 じゃぁ、始めようか」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ