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宝の小箱  作者: くまミニ
18/22

第二部 光の小道 8

 湖畔でアキラと逢ったその日の夜、真琴の夢の中へと『過去』が再び忍び寄り、彼女はそこに幼い『自分』の姿を認めていた。

 泣いている…又、必死になって、泣いている……

 近頃、随分と泣き虫になった気がする。

 この小学三年生の自分も、そんな『今』に呼応して、泣いているのだろうか……

「いやぁ! あたし、絶対、引っ越しなんてしないんだからぁ!」

 暗闇に広がるその言葉に、『自分』を見下ろしていた『自分』は、両手を強く握り締めてしまう。

 ……胸の奥が、熱い溶岩で満たされ…力一杯、唇を噛む…

 そう……小学三年生の三学期……自分は、初めて引っ越すことを知らされたのだ……

 ……痛い……体の芯が、痛い………

 宙に浮かびながら、『今』の真琴は体を丸め、両手で自分自身を抱え込んでしまった。

(…嫌…聞きたくない……)

 次に『自分』が叫ぶ言葉は、よく分かっている……もう、二度と思い出したくない言葉だ……

 小さな『自分』が、幼い口を開いている…

 きゅっ! と目を閉じても……

 …見えるのだ……一生懸命に叫ぼうとしている『自分』が……

「やめて!」

 そう、怒鳴ったはずだった…

 だが……意志に反して、真琴は『過去』に合わせて、同じ言葉を叫んでいた…

「ひどいっ! みんな、ひどいよぉ!

 勝手に、晃のお兄ちゃんを取り上げてっ! 今度は、大好きな友達や町まで、あたしから持ってくの?

 あたし、あたし…『大切なもの』、全部、失くしちゃうじゃない…!」

 全身の力を込めて、絶叫する……

 その『言葉』はいつまでも胸中に響き渡り…真琴は、大声で哭き出してしまった……

 …ピッ……

 …………パンッ……

 『過去』に…『今』に、細かな罅が入っていく…

 …やがて、映像は破片となって飛び散り…

 ……《全て》は、闇へと戻ってしまう。

 その闇にただ独り残され…真琴は、いつまでも涙を流し続けていた……


 ………………………………………………………


 窓から射し込む朝の光が、濡れた頬を照らし出す。

 乾く間も与えられずに光の粒子を弾き続けた、その幾筋もの流れに漸く温もりが宿り始める頃…

 …ゆっくりと、真琴は瞳を開いていった。

 溢れる涙を拭いもせず、不意に跳ね起きると黙ったまま机に走り寄る。

 大きな引き出しを無造作に引っ張ると、真琴は中から銀行の通帳を取り出していた。

 中を見て、充分な金額があることを確かめると、そのまま急いで身支度を整える。

 長い髪を首の後ろで束ねるのももどかしく、真琴は通帳だけを握り締めると、部屋から飛び出してしまった。

 まだ、誰も起き出してはいない。

 朝食を摂ることなど頭に浮かびさえもしなかった。

 洗面所で少しだけ立ち止まった後、真琴はすぐに早朝の町の中へと飛び出してしまう。

 ……ずっと、黙り込んだままだ。

 心も、何も考えようとはしない……

 ただ一つの思いだけが胸を占め、それを成す為だけに、真琴は足を早めて駅の構内に駆け込んでいた。

 …………生まれ育った町まで帰ろう……

 ずっと…『晃のお兄ちゃん』のことを想い出してばかりだ。

 今戻れば、断ち切るどころか、一層、胸中に残り続けてしまうかも知れない…

 …だが、それでも構わない。

 ……『過去』は、『今』の自分を探しているのだ…

 その呼びかけに、どうしても応えなくてはならない気がする……

(アキラ君…)

 一瞬浮んだ名前に、心臓が握り潰される。

 電車の中で腰掛けながら、真琴は強く瞳を閉じてしまった。

 今していることは、『彼』への裏切りになるのだろう……自分は、『過去』を見付け…そして、もう一度、『晃のお兄ちゃん』を取り戻すつもりなのだから……

 …だが……

 『今』のままでは、いつまでも同一視を繰り返してしまう。

 《全て》の『大切なもの』を、もう二度と、失いたくはない…もう、決して、あんな想いはしたくない……

 だから…『過去』へと戻るのだ……

 途中で一度電車を乗り換え、大きな駅の構内へと入る。

 お金を引き出した後、真琴は新幹線の切符を買って、そのまま乗り込んでいた。

 ずっと…ずっと、黙り続けている。

 ……自分は、『過去』と『今』、どちらを選ぶのだろう…?

 …どちらかを選択しなくてはならない。

 ただ、それには呼びかけてくる『過去』に応え、『今』と同じ位置まで引き上げなくてはならない。

 近頃の『夢』は、そのことを自分に訴えているのだろう。

 いや……『過去の自分』が、『今の自分』に訴えているのだ……

 ……今なら、分かる。

 …自分は、『晃のお兄ちゃん』を、生まれた時からずっと『好き』だったのだ。

 アキラと同じくらいに、『好き』だったのだ。

 別れてからの反動などでは決してない。

 《本当》に、自分は『彼』を『好き』なまま、失ってしまったのだ………

(お兄ちゃん…お兄ちゃん……)

 …今まで、『大切なもの』は人ではないと思っていた。

 勿論、趣味を始めとする、多くの存在を示してはいたのだろうが…だが、それは無意識のうちに事物へと視線を逸らせていただけにすぎない。

 最初から、そこにあったのだ。

 最も『大切』だからこそ…絶対に失いたくないからこそ、逃げていた存在……

 …それは、間違いなく、『彼』だった。

 そんな自分の前に、アキラが現れ…最も『大切なもの』になろうとしている…

(お兄ちゃん…あたし、どうしたらいいの……?)

 …どちらを選べばいいの……?

 ……分かっている。

 『過去』を選んだ時、自分は光の小道を失い、そして……

 ……そのまま、『今』を生き続けることも難しくなるだろう………

 だが…分かってはいても、捨て去れないのだ…いや、捨て去れなかったのだ。

 《全て》は、今日、決まる。

 真琴にはそれが解っていた。

 ふと気付けば、いつのまに数時間もの『時間』が流れ、新幹線は目的の駅へと入っている。

 慌ててホームに飛び出すと、真琴は二両しかない小さな電車に乗り換えていた。

 あと、一時間だ。

 最後尾に座りながら、窓の外に見覚えのある景色を認め、真琴は唇を噛み締めていた。

 ……どちらを選んでも、後悔はしない。

 線路脇のトウモロコシ畑が目に飛び込んでくると、真琴は静かに席を立っていた。

 気付けば、朝から今まで一言も口に出していない。

 だが…『言葉』は『何か』を求め、彷徨い続けているのだ……

 派手な音を立てて、ドアが左右に開く。

 懐かしい空気に触れ、穏やかな風の中へと降り立った時……

 …真琴は、ホームの行く手に、もう一人、同じ電車から降りた人がいることに気が付いた。

 こんな小さな町に、珍しい……そう思いながら、前を行く人の背中に目を止めた瞬間…

 …真琴は、見覚えのある服装に、思わず足を止めてしまった。

 ……間違えるはずがない。

 そう……『彼』だ。

 だが…どうして……

 真琴は驚きに心を激しく乱しながら、それでも声を掛けようとしていた。

「ア、キ…ラ……」

 その時、背中のリュックに視線が吸い寄せられる。

 そこに吊られているものを見て、真琴は息を飲み…言葉を失った。

 あれは……

 …あの、ぬいぐるみは……

 真琴の声に気付いたようだ。『彼』は振り向くと、急いで背中を隠そうとしている。

 だが…

 …だが、真琴の目には、はっきりと…

 小さな女の子のぬいぐるみが焼き付いていた。

 ……そう…あれは……自分が…………

「……やっぱり…やっぱり、そうだったんだ……

 やっぱり…やっぱり……

 …そうだったんだ………」

 あれは……『晃のお兄ちゃん』に贈ったものなのだ……

 がくがくと、膝が震え出す。

 全身から不意に力が抜け、真琴はその場に頽れてしまった…

 慌てて駆け寄ってきた『彼』が、力強く支えてくれる。

 …そのまま、力一杯、『彼』は抱き締めてくれた……

 『彼』の胸に縋りつき、強く額を押し付けると声を絞り出す…

「…あたし…疑ってた……

 でも…そんな自分が嫌で……

 ……でも…でもね、……願ってたのよ…?

 ずっと……一緒だったら、…って……

 ……『お兄ちゃん』………」

 次の瞬間、真琴はわっと哭き出してしまった。

 声を上げ、必死になって……

 …全身で、真琴は哭き続けていた……

 ……ずっと…ずっと、哭きたかったのかも知れない…

 『彼』の腕の中で、哭きたかったのかも知れない……

 …《全て》の想いをぶつけながら…真琴は、いつまでも、涙を流し続けていた……

 頭上から降り注ぐ夏の眩しい光の中、銀の風に抱かれ『言葉』が『時間』の流れへと滑り込む。

 『過去』と『今』を貫く小道は、その《真》の想いに目映く煌き……

 …『大切なもの』を『未来』へと敷き詰めていた……


 ………………………………………………………


 想いを噛み締めるような沈黙の後、女性DJは静かに続けた。



谷口 晃君の手紙には、最後にこう書かれています。

「僕は、『シルヴィー』の店で彼女の名前を聞いた時から、彼女が『大切なマコちゃん』であることに気付いていました。

ですが…僕は、彼女の『兄』ではなく、『恋人』になりたかったのです。

こんな手紙では書き切れない…口にすることすら出来ないほどの葛藤がありました。

それでも、自分の想いに嘘は吐けなかったのです。

『大切な人』を忘れることほど、不幸なことはありません。

偶然という名の必然が与えてくれた機会を、僕は想いに従って受け止めることにしたのです。

今では、僕もそれで良かったのだと断言出来ます。

彼女に、僕が『過去』の人間だと知られても、別に構わなかったのです。

彼女がそうであったように、『僕自身』も変わっていなかったのですから…

彼女にとっては、始めから選ぶものなど無かったのです。

そして、それは僕にとっても同じでした。

『兄』と気付き、認め、『過去』を選んだ時…今迄に何度も重なっていた小道が、平行に並んでしまうかも知れない…同じ方向へと伸びるだけの、交わることの無い、ただの二本の小道に……

…それは、僕が望んでいた一本の小道ではありませんでした。

ですから、彼女と『一本の光の小道』を共に歩むには、『過去』を棄てなくてはならない…僕は、そう信じていたのです。

ですが、僕は『彼女自身』を愛していたのです。

それは、始めから『一つ』でしかありませんでした。光の小道は、いつでも、『ただ一つ』でしかなかったのです…

今、僕達は『大切なもの』を二人で少しずつ増やしていこうとしています。その中には、きっかけの一つを与えてくれた、この番組も加えられているのです。

長い間、こんなにも拙い文章を読んでいただいて、本当にありがとうございました。

これで、僕達の話を終わりたいと思います。

これからも、頑張ってください。応援しています」



 柔らかなBGMだけがラジオから流れ続け、緩やかな音色が一層の静寂を醸し出す。

 その一瞬後、彼女はそっと囁いていた。



…いいえ、話は終わってなんていません。

今から、始まるのです……



 白銀の風は星達を瞬かせ、遙かな無限を目指して虚空を遠く滑っていく。

 『時間』の流れになど囚われぬまま……

 …何処までも…何処までも……



                                                                       第二部『光の小道』おわり







             光る小道は《歴史》の路

               今と久遠を編み込みし

             銀光綴る黄金の舟

 

                         誰が其の軌定むるぞ

                         誰が夫の途定むるぞ……


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