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宝の小箱  作者: くまミニ
12/22

第二部 光の小道 2

「一休みしよっか、フォンちゃん」

「うん…」

 大きな袋を抱えながら、真琴は隣の弥生を覗き込んで言った。

 光が霞む地下道を、人々の川が流れ過ぎていく。その無情な群衆を少し怯えた瞳で眺めながら、だが弥生は逃げ出しもせず、真琴の傍で立ち止まっていた。

「大丈夫?」

(ちょっと、まだ早かったかなぁ…)

 夏休み最初の週末は、真琴の順番として、買い物に付き合ってもらったのだ。

 来週は弥生の順番になるが、彼女は図書館以外の何処にも行きたがらないので、こうして時々、真琴が人の集まる所を無理に選んでいる。

 だが、まだ『人間』に弱い弥生には、今日の短い買い物でも無理だったのかも知れない。

 心配そうな声に導かれて、弥生は顔を上げるとそっと微笑みを浮かべてみせた。

「うん…ありがとう…」

 そんな仕草がいじらしくなってくる。

 真琴は見慣れた喫茶店のドアを見付けると、急いでそこまで弥生を伴っていった。

「いらっしゃいませ」

 濃い茶系の薄暗い壁が、この地下では心地好い。淡い光に照らされたテーブルに着くと、その落ち着いた雰囲気に身を委ね、弥生は知らず吐息を漏らしていた。

「いいでしょ、ここ。このお店の紅茶って、美味しいのよ」

 緊張を解いて自然と笑みを取り戻す弥生に、正直ほっとしながら真琴は荷物を隣の椅子に置いた。

 店員に、お気に入りのリーフの紅茶を頼む。静かな足音が店の奥へ帰っていくと、真琴は済まなさそうに弥生に目を向けた。

「ごめんね、フォンちゃん。もうそろそろ、人混みにも慣れたと思ってたから…」

 そんな言葉を、弥生は大きく頭を振って遮った。

「ううん…マコちゃんのおかげで…私も、楽しかったもの…」

 優しく微笑む彼女を見ながら、ふと真琴は一年前の出来事を思い出していた。

 中学校で同じクラスになってから、初めて一緒に町まで遊びに来た翌日、弥生は寝込んでしまったのだ。別に、風邪をもらったわけではない。ただ、周囲の人々と同じように急ぎ足で町を通り過ぎ、それでも押し寄せてくる『人間』の群れに気分が悪くなってしまっただけなのだ。

 頭痛どころか、微熱まで出していた当時を思いながら、改めて真琴は今の弥生の姿を眺めていた。

「…良かったね。フォンちゃんも、町を歩けるようになったし、どんどん、面白い所に連れてったげる」

 勿論、無茶をさせるつもりは無い。一年経った今でも、弥生には買い物が精一杯なのだ。弥生自身は必死になって不安を面に出さないようにするだろうが、そんな無理をしていても楽しいはずがない。

 真琴は弥生の性格を変えたいのではなく、彼女に心から楽しんでもらいたいのだ。

「ありがとう…」

 弥生がにっこりと笑い返してくれる。

 その時、ジャムとクリームが入った小皿と一緒に、スコーンが運ばれてきた。ティーポットと温められたカップも並ぶ。

 カップの中に金色の液体を満たし、その香りを口に含むとふと真琴は言った。

「ねぇ、フォンちゃんも服を買わない? もっともっと、可愛くなれるよ」

 その言葉に、恥ずかしそうに頬を赤らめながら、弥生は自分の服を見下ろした。

「……これ、…似合ってない…?」

 慌てて、真琴は否定する。

「ううん! ごめんね、そんなつもりで言ったんじゃないの。でも、ちょっと大人しいと思うし、勿体無いな、って」

「…でも…お金もかかるし…」

「とか言って。本には幾らでも出すんでしょ?」

 はにかみながら、小さく頷いている。そんな弥生に、真琴は少し真面目な表情をして言った。

「あたしだって、本に出すのはいいと思うよ? でも、やっぱり、時には無駄遣いもしなくちゃ。

 ううん、女の子なんだもん、沢山服を買っても無駄になんてならないんじゃない? それだけ可愛くなれたらいいのよ」

「う…ん……」

 なんと応えていいのか分からずにいる弥生に、真琴はふっと優しい目で続けていた。

「フォンちゃんね、きっとそれで損してると思うわ。だって、フォンちゃんに彼氏がいないなんて、おかしいもん。あたしが男の子だったら、絶対、見逃さないんだけどなぁ」

「そんな…」

 これ以上無いくらい、赤くなって俯いてしまう。そんな弥生の様子に小さく笑い声を上げながらも、真琴は本当にそう思っていた。

 本が好きで、地味な弥生は、少し男の子からすれば近付き難い存在なのだろう。絶対に、損してる…真琴にはそう思えて仕方が無かった。

「ね? 今度はフォンちゃんの買い物にしよ?」

「……うん…」

「やたっ! じゃぁ、決まり。

 …ね、フォンちゃん。ちょっとだけなら、無理しても好いと思うよ」

 度を越せば毒にもなるだろうが、真琴にそんなつもりは勿論無い。真琴は、今の弥生を認め、尊敬しているのだから。

「うん…やってみる。…でも、私…よく、知らないから……」

「いいじゃない。流行なんて、気にしなくていいの!

 どうせ、お店には流行ってるものしかないんだから。ただ、お店の中を歩いて、自分に合ってると思う服を着てみたらいいのよ。あたしだって、手伝ってあげる」

「うん…」

 何だか、声だけでは一方的に話している気もする。だが、真琴は弥生のちょっとした仕草や表情から、応えを返してもらっているのだ。どんなことがあっても、強引に話を押し付けたりはしない。

 逆に言えば、弥生が口にする言葉は、それだけ重いものだった。そして、その言葉を含めた『言葉』を最も良く理解してくれるのも、真琴だった。

 柔らかな沈黙が、二人の間に入り込む。

 真琴がその静寂にそっと身を浸していると、暫くして珍しく弥生が自分の方から話し掛けてきた。

「あのね、マコちゃん…」

「ん?」

「…明日の夜、…何か、用事ある…?」

「ううん、別に無いよ」

 真琴が不思議そうな顔をすると、弥生は一呼吸置いてから囁いた。

「…あの、…その…お母さんが、一度、マコちゃんに会ってみたい、って……

 だから、…えと、明日の夜…泊まりに来てくれる…?」

「もっちろんっ! そう言えば、フォンちゃんの家に行くのって、あたし、初めてなんだ」

「…うん…」

 弥生の方は、何度か真琴の家に行ったことがある。そのことも気になっていたのだろう。

 確かめるように見上げてくるが、真琴が反対するはずもない。

「絶対、泊まりに行くわ」

「ありがとう…」

 本当に嬉しそうに、にっこりと微笑んでいる。

「ねぇ、じゃぁ、何時に待ち合わせをしよっか」

「バスの時刻があるから…」

 穏やかな喫茶店の暗がりへと、楽しげな少女達の声が広がっていく。

 柔らかな光の滴はその心地好い音色に抱かれ、ティーカップの縁で弾けると、二人の笑顔をそっと照らし出していた。


 終点の一つ手前の停留所で、バスを降りる。

 先に降りて待っていた弥生に、真琴は感心したように言った。

「毎日、二十分も大変じゃない?」

「でも、仕方無いから…」

 弥生が住んでいる新しい住宅地には、まだ中学校が開校していないのだ。既に、真新しい校舎は建っているのだが、生徒が思うほど集まらないらしい。そこで、弥生は毎日、真琴の通う中学校までバスで通学していた。

 バスのターミナルから、スーパーの脇を通って北へと向かう。

 確かに、辺りにはまだまだ家は少なく、殆ど野草の密生した敷地しか見えてこない。しかも、その地面が剥き出しになっているような更地は、弥生の家が近付くにつれて多くなっていくのだ。

 雲一つ無い広い空が、茜色に染め上げられている。東の地平線には黒い青が沈殿し始めており、陽光にもそれを払う力は最早残されていなかった。

「…あそこなの…」

 まだ随分と離れているが、指差す先には、何ものにも遮られず新しい家が見えている。

 それにしても、本当にうら寂しい所だ。数十メートルの範囲に、片手で数えられるだけしか家が建っていないではないか。

 弥生の家のすぐ傍には、将来を見越してか不釣合いに大きな公園が造られているのだが…まだ、街灯も立てられていない。

 何もかもが、中途半端なままなのだ。

「ほんと、何も無いんだね」

 呆れて呟く真琴に、だが声にならない『言葉』は反対している。

「そうじゃないの?」

 その問い掛けに、嬉しそうな笑顔を向けると、弥生は頷いた。

「…沢山の樹が近くにあって…鳥も、よく来てくれるもの……空も星も綺麗だし………」

「ふ〜ん…」

 真琴自身は、例えそれらのものがあったとしても、退屈してしまうだろう。だが、弥生らしいと言えば、そう言えるかも知れない。

「……おかしい?」

 心配そうに見上げる弥生に、真琴は柔らかな微笑で応えていた。

「ううん。だって、フォンちゃんにとって、樹や鳥って大切なんでしょ? だったら、それが沢山あって喜んでも、別におかしくなんてないわよ。ただ、あたしには物足りないな、って思うだけ。でもね、フォンちゃん。あたしだって、鳥や星のことを知りたいと思ってるのよ。意志が弱いから、やろうとしないだけでね」

「…私も…知ってるなんて言えない……ただ、見たり聞いたりするのが…嬉しくて…」

「でも、それって、知ってることと同じだよ。ただ、知ってる内容が、名前とか知識じゃないだけでね」

「……うん」

 弥生の頬が、正直に喜びを映し出す。真琴も頷き返した時、二人は家の門に辿り着いていた。

 そっと弥生が門を押し開けると、庭のある裏手から、ダダッ! っと砂利を蹴散らす愛らしい足音が近付いてくる。目を向けると、不意に黒く小さな仔犬が飛び出し、弥生の足にじゃれついてきた。

「うわっ! 可愛いぃぃ〜」

 しゃがんで触ろうとすると、少し身を引いて健気に吠えてくる。真琴はそんな仕草に笑い声を上げると、急に仔犬を抱え上げてしまった。

 嫌がって身を捩っていた仔犬は、だが真琴が目の高さまで持ち上げると、突然大人しくなってしまう。

「この子、高い所が苦手なの…」

「そうなんだ」

 恐怖のあまり硬直している仔犬を慌てて下ろすと、真琴は弥生を見上げた。

「この子、なんて名前なの?」

「ジョリー…」

 自分の名前を呼ばれたことが分かったのだろう、ジョリーは足下でファンッ! と元気に声を上げた。

「意味はあるの?」

「うん…フランス語の『可愛い』をローマ字読みしたの…」

「へぇ。こら、ジョリー! あたしにも、返事しなさい」

「ファン! ファンッ!」

 とは応えてくれたものの、輝いた瞳が警戒している。それを見て真琴が笑った時、家の玄関が開かれ、中から声が飛び出してきた。

「弥生、早く入ってもらいなさいよ」

「お母さん…!」

 慌てて立ち上がると、真琴は出てきたおばさんに頭を下げた。

「野坂 真琴です。お邪魔してます」

「ようこそ。いつも弥生がお世話になってるみたいで…」

「とんでもないです! あたしこそ、助けてもらってばかりです」

「…行こ、マコちゃん……」

 どうも、気恥ずかしいらしい。服の袖を持って引っ張る弥生に従って、真琴はドアの方へと引き摺られていく。

「ゆっくりしていって下さいね」

「はい」

 通りすがりに軽く頭を下げると、真琴は赤くなっている弥生に逆らわず、家の中へと入っていった。

 そのまま、二階まで上がってしまう。

 案内された部屋で一番に目に付いたものは、想像に反して可愛らしいぬいぐるみの群れだった。本の数はそれ程多くない。もっとも、隔週で五冊も借りていれば、部屋には必要無いだろう。

「…ごめん、散らかったままで…」

「全然、そんなことないじゃない」

 実際、何処にも乱れた所などない。白木の机からベッド、棚や額にいたるまで、全てがあるべき所に収まっている感じだ。真琴は、今迄にこれほど調った部屋を見たことが無かった。

「…飲み物、持ってくるね…」

「うん、ありがとう」

 真琴はカーペットの上に腰を下ろすと、弥生の小さな背中を見送った。

 この部屋を見てもそうだが…絶対、自分よりも弥生の方が可愛いと思ってしまう。自分の好きなものがはっきりと分かっていて、きちんと考えるべきことは考えていて…優しくて、可愛くて。少し近寄り難い雰囲気さえ変えれば、男の子は放っておかないだろう。

 自分のことなど考えもせず、真琴は本当に弥生が損をしていると思っていた。

 窓からは、広く西天が望める。金星は燃える夕焼けの帯の上で一際目映く煌きながら、そんな真琴の『自身』を自らの光で貫いていた。

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