勇者対魔王
「待ってくださいよう、エリアルさぁん」
「ついて来るな!」
エリカに向けて、エリアルが怒鳴る。
「おれはお前を追放したんだぞ! なんでついて来る?」
「だって仲間だしぃ……」
「だからお前なんぞ要らんと言っている!」
「でも回復役は必要じゃないですかあ」
「要らん! おれは勇者だ! もともとおれ一人で充分だったんだ。下手にパーティとか集団戦にこだわったのが浅はかだった。だからおれ一人で魔王を倒しに行く!」
「そんなあ。無茶ですよう。魔王さ……魔王はむちゃくちゃ強いって噂ですよう」
「噂なんぞあてになるか! 見ていろ、おれが魔王を倒してやる」
それっきりエリアルはエリカなどかまいもせず、足を速めた。普通の人間である治癒術師のエリカはどんどん引き離されていく。
◇
「よく来たな。勇者よ」
「お前が魔王か!」
エリアルは聖剣を抜き放った。
魔王の居城には拍子抜けするほどあっさりとたどり着けた。だが当の魔王はあっさりとは倒せそうにない。
仰々しい装飾のせいもあるだろうが、巨体だ。ただの巨体ではなく、鍛え抜かれた筋肉で全身をよろっているのがわかる。肩幅などエリアルの倍くらいありそうだ。
見上げる上方には禍々しく輝く赤い瞳。気の弱い者なら睨まれただけで命を吸い取られそうだ。
だがエリアルは踏みとどまった。自分は勇者、世界の命運を背負いし者。負けるわけにはいかないのだ。
「覚悟しろ魔王! 聖剣のサビにしてくれる!」
「面白い!」
雄たけびを上げながら聖剣で斬りかかる。それを軽々と片手で受ける魔王。
「なにっ!?」
「ふんっ!」
聖剣ごと掴まれ、投げ飛ばされる。
「どうした、勇者とはその程度か? もっと我を楽しませてみよ!」
「なにを!」
飛びかかったエリアルに、魔王は片手を向けた。火球が飛び出し、エリアルに襲いかかる。
ふたつまでは斬り捨てたが、それ以降を立て続けに喰らってエリアルは吹っ飛んだ。
「愚か者め!」
魔王の怒声がエリアルを打つ。
「何も考えずにやみくもに飛びかかってくる奴があるか! 我は魔王ぞ! 相手の力量も測れないとは、本当に勇者なのか? ただの脳筋に我の相手は務まらぬぞ!」
「ぐっ……!」
魔王の大声には半ば呆れ――むしろ叱責するような色があった。だがもっともな言い分にエリアルはひと言も返せない。
敵の力量、特性を推し測り、弱点を探る。そして攻め方の作戦を立てる。当然の戦い方だ。
だが今のエリアルには出来なかった。ザックがいないからだ。
いつもなら真っ先にザックが仕掛けていた。俊敏な動きで敵の攻撃を皮一枚でかわしながら、存分に攻撃させる。
その間に敵の動きのクセや穴を洗い出すのだ。敵が必殺技まで使ってくれれば上々。ザックはそういう動きを引き出すのがとても上手かった。相手に会わせて自分の動き方を巧妙に変え、その間にも人を食ったような言葉を挟んで相手を逆上させる。我を忘れて思わず弱点をさらしてしまう敵は多かった。
だがそのザックは今はいない。
「ふん! 貴様程度にそんな小細工はいらない! この聖剣に斬れないものはない!!
構え直したエリアルは再び突進する。
剣を振り上げた刹那、魔王の足もとが爆発する。エリアルが魔法を投げつけたのだ。
土煙が舞い上がり、視界が遮られる。そこからエリアルが踊り出した。
「はっ!」
「ふむ。つまらぬ」
エリアルが飛び出したのは魔王の斜め後ろ、完全に死角のはずだった。だが魔王は無造作に腕を振るってエリアルをはね飛ばす。
「馬鹿者! そんな小細工が通用するか! 少しは上級の打撃系魔法を持ってこい!」
またもエリアルは言葉に詰まった。
近接戦闘者の後方から敵の動きを封じ、あわよくばダメージを与えて味方を掩護する。
それはニーナとミライの役割だった。遠距離から範囲魔法で敵を攻撃し、混乱させる。その間にミライが狙いを定めて矢を放ち、敵の戦力を削り取っていく。ミライの正確な狙いは小者なら一発で倒せたし、ニーナのアグレッシブな魔法は集団相手には特に効いた。
その二人とも今はいない。
「ぐはあっ!」
「どうした、防御魔法すら満足に使えないのか? 勇者が聞いて呆れるわ」
魔王の魔法攻撃で吹っ飛んだエリアルはまたも唇をかむ。彼自身も防御魔法は使えるが、魔王の強さは尋常ではなかった。ニーナは常々「あたしが防御に全振りすれば空気だって通さないわよ!」などと豪語していたが、そのニーナでも防げるかどうか。
距離をとって乱れた呼吸を整えながら、エリアルはポーションを口にした。そしてそれが最後のポーションであることに気づく。
ポーションを持っているのはニーナ。そして激戦のさなか、足りなくなったポーションを届けに来るのが、戦闘では何の役にも立たないエリカだった。
今はいくら待ったところで、誰もポーションを届けにこない。回復魔法をかけてくれる者もいない。
内心焦りをつのらせるエリアルは気づいていなかった。彼の回復を魔王が待っていることに。
普通ならそんな余裕はなかった。次から次へと敵が攻めかかってきて息つく暇もない。
その攻撃を引き受け、味方が態勢を立て直す時間を稼いでくれていたのが壁役のガルディオだった。
単独で強敵に挑むことがこれほどきついとは、エリアルは思ってもみなかった。
そして今目の前にしているのは強敵中の強敵、魔王だ。
大きく息を吐き、聖剣を握りなおす。次のアタックが最後だ。失敗すればすべてが終わる。
(まだ終わらんよ!)
エリアルが駈け出す。同時に全力で呪文を放つ。
「【雷撃】!」
まばゆい稲妻が走り、魔王を襲う。勇者渾身の魔法を魔王は片手をかかげて打ち消しにかかる。
その動作の間にできるわずかな隙。エリアルは剣を振り上げた。
「【ホーリーダイバー】!」
聖剣の持つ能力のうち、最強にして最速の斬撃。あまりの威力に中ボスクラスなら斬った勢いで相手が消し飛んでしまうほどの技だ。その代わり体力の消耗も半端ない、一撃必殺の技。
振り下ろされた刃はがっつりと魔王の肩口をとらえた。
「……やった!」
思わず声が出た次の瞬間、魔王は聖剣を鷲掴みにし、引き抜いた。
「なっ!?」
「ふんっ!」
聖剣ごと投げ飛ばされ、エリアルはまたも転がっていった。
「なんだ、やればできるではないか。今のは中々良かったぞ」
深手をおっているにも関わらず、魔王はまるで他人事のような評論家口調だ。
(ばかな? ……あれほどの傷を受けてなんともないのか?)
いや。
ダメージがないわけがない。勇者の攻撃が効かないわけがないのだ。
エリアルは立ち上がった。残る体力では今の連携技は無理だ。だが聖剣の斬り込みだけなら。
再び突進し、剣を振り上げて斬りかかる。
「【ホーリーダイバー】!」
「ぬるい!」
二度目の必殺技は、いとも簡単に弾き返された。
「興ざめだな。我に得物を取らせることすらかなわぬか」
倒れ伏したエリアルを見下ろす魔王の目はむしろ憐れみすらたたえていた。
エリアルは歯を食いしばった。悔しさに。屈辱に。敗北感に。
いくつもの負の感情に身を焼かれながら、だがエリアルはもう立ち上がれなかった。身の熱さはやがて絶望感に変わってゆく。もう終わりなのか。勇者と称えられた自分はこの程度のものだったのか……。
「【回復】!」
エリアルの身体を淡い光が包みこんだ。
瞬時に体力が回復し、エリアルは飛び退いた。
「大丈夫ですか!? エリアルさん!」
「……エリカ?」
そこにいたのは、エリカだった。今駈けつけたのか、肩で息をしている。
「何しにきた!?」
「助けにきたんですよう。間に合って良かったです」
にっこりと笑うエリカに、エリアルは再び身が熱くなった。
心外だ。まったくもって心外だ。よりによって役立たず認定し、追放した奴に助けられるとは、情けないにもほどがある。
それなのに、その助けがなければ今の自分は剣を振るうことすら満足にできない。こんな屈辱があっていいのか。
「ほう、仲間がいたのか。いいぞ。束になってかかってくるがいい」
対する魔王は余裕の表情だ。先ほど負わせた傷もすでにふさがっている。自分で回復したのか、魔王というだけあって無尽蔵の魔力だ。
「エリアルさん。いったん退きましょう。作戦を練ってもう一回……」
「うるさい!」
エリカの提案をエリアルは一蹴した。
「おれは勇者だ! 魔王ごときに負けるわけがない! いや、勝たなくてはいけないんだ!」
それがすべての人に対する勇者の責任だ。
エリアルはまたも剣を構えた。
勇者になって以来、彼がずっと背負ってきた責任。その重さに耐えきれず、逃げたくなったことだって何度もあった。
それでも彼は踏みとどまった。人々が自分に寄せる期待。魔物から助けた人々の笑顔。感謝。たくさんの思いが去来する。
だから自分は勝たなくてはいけない。勇者の責務を果たさなければいけない。
「【雷撃】!」
「甘いっ!」
「ぐあっ!」
倒れ伏すエリアルにエリカが回復魔法をかける。
「【極大爆裂】!」
「ぬるいわっ!」
「ぐあっ!」
またもエリカが回復する。
「【ホーリーダイバー】!」
「もっと気合をいれんかいっ!」
さらにエリカが回復。
魔王と勇者の戦いはまる一昼夜続いた。
だがエリアルの技では魔王に武器を取らせることすらできなかった。
「くそっ! だめか……」
肩で息をしながら、エリアルの心を絶望がむしばんでいった。おれでは魔王に勝てないのか……?
「諦めないで。大丈夫です、エリアルさん」
「簡単に言うな。お前、何にもしてないじゃないか」
そう、いつも戦うのは自分だった。他人にいいように使われ、身体を張って魔物を退治しても実入りはわずかな金貨のみ。そして今、魔王に対して手も足も出ない。ああ、なんて虚しい……。
「大丈夫、エリアルさんならきっとできます」
エリカはにっこりほほ笑んだ。その顔を、エリアルは思わず見直す。
エリカだけだった。
自分を褒めてくれたのはいつもエリカだけだった。
うっとうしい女だと思った。
空気を読まなくて、エリアルが怒りをぶつけてもへらへらしていて、また空気も読まずに自分や他のメンバーを賞讃する。
戦場では役に立たない治癒術師。何の戦力にもなっていないと、いつも苦々しく思っていた。
だが彼女が戦いの場は、実は戦場ではないのではないか?
本当はパーティメンバーの誰よりも戦っていたのではないか?
「やれやれ、勇者よ。貴様には失望した」
エリアルが初めて思ったその疑問を確認している暇はなかった。
「もう飽いた。終わりにするとしよう」
魔王が手をかざす。
頭上に、今までにないほどの禍々しい黒雲が湧き上がってきた。思わず身を固くするエリアル。今度こそ最期か、と思った時。
「エリアルさん。いったん逃げましょう」
エリカの冷静な声が、エリアルを一気に平常心に引き戻した。