弓術士の場合
私はあまりしゃべらない。だからといって何も考えていないわけではない。しかしだ。
「は? 何言ってんの?」
久しぶりに発した言葉がこれだ。あんまりではないだろうか。
あまりしゃべらないせいで、何を考えているかわからない、とよく言われる。
しかし勇者エリアルの今の発言は、さらにわけがわからない。
私は弓使い。後方支援が主任務だ。
矢を当てるというのは相当な技倆と集中力が要る。
そのせいか、回りを観察することに気が向いてしまい、つい会話に加わることを忘れてしまう。
そして観察を続けた結果。
(なんだこの勇者は?)
わがままなことこの上ない。
勇者は神に選ばれし者。魔王に抗える唯一の存在とされる。いわば人々の希望。最後の救世主。
そうやって王侯貴族にまでもてはやされる。勇者が口を開けば、人々がすっとんでいって望みを叶えてくれる。それはそれは増長する。際限なくつけあがる。
その中で唯一、勇者の言う通りに動かない連中がいた。
それがここ、勇者のパーティ。
皮肉なことに、勇者に一番近い者たちが一番言うことを聞かない。
それがエリアルを苛立たせている。
まあ、それはわからないでもない。だからと言って私たちが彼の言うことを黙って聞かなければならないという理由にはならないが。
そのせいかどうかわからないが、勇者の指示は理不尽だ。
苛酷ならまだいい。理不尽なのだ。
例えば今日のドラゴン戦。
「ミライ! 目だ! ドラゴンの目を狙え!」
自分では的確な指示だと思っているのだろうな。
しかしな、勇者よ。
はるか後方から、お前たちをかみ砕かんと頭をぶんぶん振り回しているドラゴンの、豆粒以下の大きさにしか見えない目を射抜くなどという技がどれほど困難か理解しているのか?
幸い今回は、チームの連携がうまくいった。ニーナが氷魔法でドラゴンを地表に縫い付け、ガルディオが正面からドラゴンの牙をがっちり受け止めてくれたおかげでドラゴンの動きが止まった。その一瞬に私はドラゴンの目を射抜いた。文字通り一瞬のチャンスだった。
それが神業だと理解してくれたのはエリカだけだった。
「すごい! すごいですミライさん! 一瞬であんな技、ミライさん以外には出来ませんよ!!」
「ありがとう」
褒められると悪い気はしない。それが表情に出ないので「ほんとに感謝してるの?」とニーナなどには言われてしまうのだが。
それに引きかえエリアルの言い分ときたら。
「目を狙えと言っただろう? 腕が落ちたんじゃないのか?」
動いている標的は狙いにくいのだよ。オーガロードの目など芥子粒以下だ。
「だから目を狙えと……」
バジリスクの目を凝視して石になれと?
「今日の矢はまったく役に立たなかったな」
全身鋼鉄の魔物に矢を突き立てろと?
……なんだか自信を失ってしまうな。
「ミライさん! やっと手に入りました! ミスリル製の矢じりですよ!」
そんな私を元気づけようと、エリカがにこにこ顔でやってくる。
彼女はこういうところにもよく気が付く娘だった。
「ありがとう、エリカ」
「これをミライさんが使えばもう敵なしですよ!」
「……そうかな?」
エルフの霊弓、風の加護。永年鍛えた弓の腕。人より抜きんでていると、だからこそ勇者のパーティに選ばれものと思っていたのだがな。
最近は敵のレベルも上がり、苦戦することも増えた。
私は本当にここにいてもいいのだろうか?
ここにいるに足るレベルを持っているのだろうか?
「なに言ってるんですか! ミライさん以外にあんな針の穴を通すような精確な射撃ができるわけないじゃないですか!?」
「そうそう。今日だって隠し部屋の扉の狙い、すごかったじゃない」
そう言ってもらえると少し嬉しいのだけれど、相変わらず仏頂面なのでその喜びが伝わらないらしい。残念なことだ。
後でエリカは、勇者にこっぴどく怒られていた。
なにしろ伝説の金属ミスリルを使った武器だ。いったいどれほどの値段がしたことか。それをエリアルに黙って買い込んだエリカを、エリアルは責めた。「無駄遣い」と斬り捨てた。
当のエリカは「えへへへへ」と笑っているばかりでちっとも堪えた様子もなく、やがてエリアルも諦めて出掛けてしまったのだが。
エリカ、すまない。
私は心の中で謝った。
私のせいなのに、エリカは何も言い訳しなかった。私のせいなのに。
いたたまれなかった。
私は役に立っているのだろうか?
本当にここにいてもいいのだろうか?
そんな事を思いつつ、黙々と盃を傾ける。
私の目の前では仲間たちが私以上に弾けて、欝憤をぶちまけていた。
エリアルは街の会合に出席している。街の顔役たちに顔を売り、必要とあれば依頼を引き受けたりしてパーティへの資金の援助を取りつける。
けっこう面倒な役割だ。だが勇者にしか出来ない。誰もが勇者に会いたがっているのだから。
その面倒な役割を勇者エリアルに押しつけ、ぶつぶつ文句をいうエリアルの面倒はエリカに任せて、私たちは酒場で気勢を上げていた。
「どうせ今ごろちやほやされてご機嫌だろうよ。こっちだって好きにやらせてもらうさ」
話題は当然、勇者への不満。鬼の居ぬ間の何とやら、ここぞとばかりに日頃の不平不満が爆発する。
「ほんとあいつ、わがまま。人の言うこと聞かないし、連携とか無視するし」
「自分が主役だと思ってるからだろ。おれたちがどれだけ苦労してるかなんて考えてねえだろうなあ」
「時々ほんとに後ろから撃ってやろうかと思うわよ。『あ~ん、手もとが狂っちゃったぁ』」
「わははは。ニーナはほんとにやりそうだよな」
「初級魔法くらいなら傷もつかないでしょ、勇者なんだし」
仲間たちの毒舌はとどまる所を知らない。エリカがいればそれなりに取りなすのだがなあ。
そのエリカはきっと今ごろ、勇者の不平不満を聞いていることだろう。我慢強い娘だな、と思う。歳はわからないが、幼く見えるのにとてもしっかりしている娘だ。地味に見えるしスキルも地味だが、我がパーティをつないでいるのはそのエリカの地味で地道な苦労にほかならない。
だがおそらく、あの娘はとてつもない実力を持っている。私の弓術士としての観察眼でも見過ごしそうなくらいではあるのだが、ごくごく稀にその片鱗が見えることがあるのだ。
「ニーナさん、ミライさん。疲れたでしょ? マッサージしますよ」
「ほんと!? 助かるぅ?」
私とニーナはよくエリカにマッサージをしてもらっている。筋肉をほぐす普通のマッサージだけではない。マナの流れを調整し、魔法を使いやすくしてくれるのだ。エリカのメンテナンスはそんなところにまで気配りが行き届いている。
「あ~~~、きもちいい……。とろけちゃいそう」
ニーナは恍惚の表情だ。そして次の日は元気いっぱい。攻撃魔法を見境なく連発する。ちょっと迷惑なくらいの元気さだ。
かく言う私も多少は魔法を使うから、違いがよく分かる。エリカが調整してくれると確かにマナの流れが良くなっているのだ。
あまりにさりげなくやってしまうので誰も気がつかないが、実はこれはひどく高度な技術である。他人のマナの流れを読んで調整してやる。そこまではそこそこの術師でもできる。
だがエリカはさらに個人の特性や属性に合わせ、若干増幅できるくらいまで調整してくれる。そこまでできる治癒術師は実はほんのひと握りしかいない。
そればかりか、ある時はニーナの命さえ救った。
とある山中で不死族の軍団に襲われたことがあった。まんまと誘い込まれて退路を断たれ、無数のアンデッドがかさにかかって襲って来る。一体一体は大して強くないのだが、数が多すぎた。
勇者の聖剣は魔物や不死族には絶大な効果を持つ。だがそれでも捌き切れず、ニーナまでが前面に立って応戦していた。不死族は魔法に長けていて、ニーナにはつらい戦いだ。
長く苦しい魔法戦が果てしなく続くかと思われたとき、ニーナが叫んだ。
「おい、勇者! あんたの聖剣で穴を掘りなさい。出来るだけ深く!」
「なんだと! おれの聖剣はそんなことのために……」
「ごちゃごちゃうるさい! 早くしな! みんなの命がかかってるんだ!!」
半ばふてくされてエリアルが地面に剣を突き立てると、それだけで途方もない大穴が穿たれた。穴は深く暗く、とても底は見えない。さすがは勇者の聖剣。
「よし! みんなそこに逃げ込みなさい! ミライ、防御魔法頼んだわよ!」
「……ニーナ、あなたは?」
防御魔法は魔法使いの役割ではないのか? ニーナは何を?
するとニーナは一瞬だけ後ろを振り向き、にっと笑った。
「あたしは守ってあげられないから、さ」
「まさか……待って! 待ってニーナ!」
「行くよっ! あとは頼んだわよミライ!」
「ニーナ!!」
叫ぶ私がエリカに引きずり込まれるのと、ニーナの魔法発動はほぼ同時だった。
「【マテリアル・バスター】!!!」
穴の入口のわずかな視界が真っ白に光って目を灼いた。
私は夢中で防御魔法を展開する。得意な分野ではない。しかし、やらなければ仲間が死ぬ。
山が丸ごと消し飛んだ。
ニーナは全ての魔力を使い、魔物ごと山そのものを粒子レベルにまで粉砕してしまったのだ。
その場にいた不死族は一人残らず粉々になって全滅した。物質から粒子にされた山は巨大な爆風となって周囲の木々をなぎ倒し広がってゆく。
暴風が収まって外に出た私たちが見たものは、真っ平らになって何もなくなった地面。そして横たわるニーナだった。
「ニーナ!!」
駆け寄った私は、ニーナに触れられなかった。
触れなくてもわかる。ニーナはもう……。
「ニーナさん! しっかり!!」
そのニーナの胸に手を置いたのはエリカだった。
「エリカ……ニーナはもう……」
「死なせません! 絶対に死なせませんから!!!」
エリカの手が輝き、魔法が発動する。
無理だ。私は思った。ニーナは全力を使い切った。魔力すなわちマナを使い切ることは、魔法使いとしても人としても死を意味する。文字通り命を賭けてニーナは私たちを守り、そして命を落とした。だからもう……。
「ミライさん! ニーナさんのマナの門を閉じて下さい!」
「エリカ? 何を?」
「ニーナさんをスタンドアローンの状態にしてマナを満たします。今ならまだ間に合います!」
この娘は何を言っているんだ? 死んだ人間を生き返らせるというのか?
わけも分からず、言われるままに治癒魔法を使う。ニーナの体内からマナが出入りする門を全て閉ざす。これでニーナからはマナが出て行かない代わりに取り込むことも出来ない。普通なら死んでいる状態になるのだが。
エリカの手から、膨大なマナが流れ込んできた。
触れているだけの私にも、それはっきりと分かった。エリカは今、空っぽのニーナの肉体にマナを満たそうとしているのだ。
言うのは簡単だが、山ひとつ吹き飛ばしたほどのニーナの魔力だ。エリカの能力でそれほどの魔力の補充ができるのか? できたとして、それで生き返らせることができるのか?
「勇者さん! 聖剣を貸して下さい!」
「…………」
「聖剣には『蘇生の力』がありますね? 禁断の『甦りの技』が」
「なんだって!?」
私は驚いてエリアルを見た。エリアルはおし黙ったまま答えない。
つまり……本当にあるのだ、そんな技が。
振り返ってエリカを見た。
治療を続けながら、エリカはエリアルをひたと見据えていた。
エリカがこんなに真剣な表情をしたことがあっただろうか。魔物に追われていてさえ「ひえぇぇぇ」と必死で逃げる様子がどこか微笑ましくすらあったのに。
今のエリカは別人のようだった。勇者にすら拒否権を認めない、威厳のような力強いオーラが私にも確かに見えた。
やがて勇者エリアルは諦めたように剣を抜き、ニーナにかざした。祝詞を詠唱する。呪文ではない。聖剣への依頼だ。
聖剣が輝き、その光がニーナの身体に吸い込まれると。
「ごほっ! ……げほげほっ!」
「ニーナ!」
「ニーナさん!」
「……あれ、あたし……そっか、生きてるんだ。ははっ……」
その後祝杯を上げたかったのだが、何しろニーナが辺りの全てを吹き飛ばしてしまったので野営すらままならず、近くの村にたどり着くまで三日三晩サバイバル状態だったのはいい思い出……とは言い難いかなあ。
結局エリカには確認できなかった。
治癒術師エリカ。いったいどれほどのポテンシャルを持っているのか。
聖剣の力を借りたとはいえ、山をひとつ吹き飛ばすほどの魔法使いニーナに同等のマナを与えて生き返らせた。それ以前に、私の防御魔法にさえエリカの付与と増幅を感じられた。私ひとりではあんなに凄い爆発からみんなを守れなかった。
彼女は本当にただの治癒術師なのか?
もしかしたらとんでもない人物なのではないのか?
だからこそ、私は怖かった。
エリカを外すという勇者エリアルの提言――いや、事実上命令だ。ここは勇者のパーティなのだから――を、私は怖れた。
「だったら戦力を増強すればよいではないですか。なにもエリカを追い出す必要はないでしょう?」
私の声は震えていた。エリカほどの力の持ち主でさえ戦力外と見なされている。
では次は? 次について行けない者は? 間違いない、私だ。
「おまえなど、もう必要ない」
その言葉を、私は極度に恐れていた。
緊張して次の言葉が出てこない私の袖を、誰かがそっとつかんだ。
エリカだった。
青ざめながらも精いっぱいの笑顔を作って、私に向けてそっと首を横に振る。
思わず私は、エリカをぎゅっと抱きしめそうになった。普段なら絶対にそんなことはしないのだがな。
だが気がつけばほかのメンバーも怒り心頭といった様子だった。自分のことばかりで気が付かなかった。みんなエリアルの言動が腹に据えかねていたのだ。勇者だと思えばこそ、崇高な使命だと思えばこそ頑張ってきたのに。みんなで力を合わせて支えてきたのに。
勇者にとっては私たちなどしょせん駒のひとつに過ぎないということなのか。
私たちのことなど、どうでもいいというのか。
きゅっと唇を引き結んで、私もエリアルに相対した。私はあまりしゃべらない。意見を言うこともあまりない。
その数少ない機会が訪れた。数少ない、それだけに決定的な機会が。
「エリアル、そこまで言うならお好きになさい。勇者の決定は確定事項。ですが私たちがその通りに動く必要もまたありませんね」