78th BASE
お読みいただきありがとうございます。
11月に入りましたが、作品内では夏真っ盛りです。
書いている身としてはとても不思議な感覚があり、偶に季節を間違えそうになります(笑)。
午後五時過ぎ。私たちは全体練習を切り上げる。まだまだ体を動かし足りないという人もいたが、一旦全員で宿舎へと戻った。
夕食を六時半頃から取り、その後はチーム全体で三〇分ほどミーティング。明日のことに関して最終確認を行う。
「いよいよ夏の大会本番だ。明日は開会式が八時半からある。八時にはグラウンドに着いていたいので、遅くとも七時半にはユニフォームに着替えてここを出発するぞ。寝坊した奴は置いてくからな」
「はい」
「それが終われば一回戦が行われる。俺たちの出番は第二試合。開始時間は前の試合にもよるが、おそらく十一時から十二時の間になる。相手はもう把握してると思うが、宮城の和久学園高校だ。スタートは空と優築のバッテリーで行く」
「はい!」
空さんと優築さんが声を揃えて返事をする。
「ここまで来たらどうこう言っていても仕方が無い。調子が悪いとか上手くいかないことがあるとかは全部忘れて、勝つためにどうすればいいかだけを考えてプレーしてくれ。ミスをしても下を向いていても、試合は待ってくれない。どんどん次に切り替えて、目の前のプレーに集中するしかないんだ。戦況が苦しくなる場面は絶対にある。けれども集中力を切らさなければ、その分きっとチャンスは訪れる。俺の下で野球をやってるんだ。お前たちなら必ずできる。全員で優勝を掴みにいこう!」
「はい!」
一気に全体の緊張感が高まる。慌てん坊の私の心臓は、にわかに鼓動を速める。
「俺からは以上だ。じゃあ後は森繁先生、お願いします」
「分かりました」
監督に代わって話し始める森繁先生。今日は食事の時から真ん丸とした黒縁眼鏡をかけている。
「では手短に。といっても、私が言いたかったことはほとんど木場監督が言ってくれた。最後の「俺の下で野球をやっているんだ」はかっこつけすぎていると思ったがな。ていうか私もいるし、そこは「俺たち」だろ」
森繁先生は拗ねた目つきで監督を一瞥する。眼鏡を掛けていることもあるのか、普段の練習中に見せる怖さは少しばかり和らぎ、代わりに清純な可愛らしさが増しているように思える。
「ちょ、何でそこ掘り返すんですか。せっかく心の中で決まったと思ってたのに……」
監督のたじろぐ様子に、皆が笑い出す。森繁先生はしてやったりという感じに口角を持ち上げた。
「まあそういうところも木場君の良いところだし、生温かく受け入れてあげよう」
「いやいや、それじゃ全然受け入れてくれてないんですけど……」
再び笑い声が起こる。いつの間にか場の雰囲気は柔らかくなり、忙しかった私の心臓も静かになった。
「おほん。冗談はこれくらいにして……」
森繁先生は一つ咳払いをして表情を整えると、私たちが落ち着いたのを確認してから話を続ける。
「三年生、本当に良い面構えになったな。最後の夏、これまで培ったものを、グラウンドでありったけ発揮してこい」
「はい」
「一、二年生は彼らが一つでも長く試合できるよう助けてやってくれ。そこから得られることも多いはずだ。頼んだぞ」
「はい」
「私が言えるのはこれくらいだ。ただ最後に、皆に渡したいものがある」
「渡したいもの?」
森繁先生は部屋の隅に置かれていた段ボールを持ち出し、留めてあったガムテープを剥がして中を開く。
「一人ずつ順番に取りにきてくれ」
「は、はい」
やや困惑した顔を見せつつ、初めに晴香さんが森繁先生の元に向かう。
「はい。頑張れよキャプテン」
「ありがとうございます。これって……」
「私が作ったんだ。あまり出来は良くないが、お守りだと思って使ってくれ」
森繁先生が手渡したのは、野球ボールを象った小さな縫物だった。ボールの網目が刻まれた反対側には、可愛らしい一匹の亀が縫い付けられている。
「先生が作ったって……。全員分ですか?」
「うむ」
「おお……」
森繁先生の返答に、皆一様に驚く。それに混じって、誰かが小さな声で呟くのが聞こえてきた。
「まさかあの森繁先生がこんなことするなんて……。裁縫とかできない人だと思ってた」
「おいこら、それはどういう意味だ! 私だって、これくらいできるんだからな!」
「やべ、聞かれてた」
発言主は葛葉さんだ。森繁先生から鋭い視線を向けられ、肩を竦める。
「全く……。私をただの野球馬鹿と思ったら大間違いだぞ」
森繁先生をむくれ顔で文句を言う。ただ失礼ながら、私も葛葉さんと似たような気持ちを抱いてしまっていた。ごめんなさい。
「ほら皆、笑ってないで森繁先生にお礼をするわよ。仕事の合間を縫って、私たちのために作ってくれたんだから」
晴香さんの声掛けに応じ、チーム全員が席を立って気を付けの姿勢を取る。
「森繁先生、ありがとうございます」
「ありがとうございます!」
「ふふっ。態々《わざわざ》そんな畏まらなくてもいいのに。この程度の物でお前たちに喜んでもらえるなら、こっちとしては嬉しい限りだよ」
森繁先生は少しだけ照れ臭そうに笑う。普段は厳しい人だけれど、心から私たちのことを想ってくれている。そんな森繁先生の真心が、お守りにはふんだんに込められているのだろう。
「じゃあまずはそのお守りパワーで、明日の一回戦を全力で突破してくれよ」
「はい!」
全員の手にお守りが渡る。チームの士気もまた一つ上がったみたいだ。
このお守りが、いざという時私たちに力を与えてくれる。そんな期待を込めながら、私は自分の野球バッグにお守りを結び付けたのだった。
See you next base……




