61th BASE
お読みいただきありがとうございます。
スポーツって、ほんのちょっとしたことで体に染みついていたはずの動作とかが狂ってしまうんですよね。
しかもそれを元に戻すのにはかなり時間がかかりますし、最悪戻らない場合もあります。
本当に厄介で、怖いものです。
午後一時前。私たちは予定されていた練習メニューを全て消化した。解散する前に、藤原さんが今日の総括と激励のメッセージを述べる。
「本日の練習を見させてもらって思ったことですが、プレーの中で自分のやりたいことをできている人とできていない人の差が顕著に出ています。人間には好不調というものがあるので、上手くいかない時期があるのはどうしようもないことです。けれども夏の大会まで二ヵ月を切っている今の状況下では、不調の人たちは一刻も早くコンディションを整えなくてはなりません。現在取り組んでいることを本当に続けるべきなのかどうか、考え直してみることも一つの手です。思い切って変えるならこの時期しかありません。厳しいことを言うようですが、ここで選択を間違えれば夏の大会のレギュラー入り、メンバー入りが一気に遠のきます。それを肝に銘じておいてください。個々人のレベルは以前と比べて遥かに向上しています。己の力を大会で発揮できるよう、それぞれ課題を持って今後の練習、試合を熟してください」
藤原さんは幾分か語気を強めて話す。聞く側の私たちの顔つきも険しくなる。
「ありがとう、敏」
監督が藤原さんと立ち位置を入れ替わる。
「今の敏の話、全員ちゃんと心に刻んでおけよ。来週は教知大学との練習試合がある。ここで夏の大会のメンバーの最終選考を行うから、そのつもりで臨んでくれ。良いな?」
「はい!」
「口を酸っぱくして言ってきたことだが、俺はチームが勝つことだけを考えてメンバーを選ぶ。学年については一切加味しない。以上だ。他に何も無ければこれで終わりにする」
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
例の如くグラウンドと全体での挨拶を済ませ、今日の練習は終わりとなる。皆が各々のことに取り掛かる中、私は紗愛蘭ちゃんに呼び止められた。
「真裕」
「どうした?」
「今日この後時間ある?」
「大丈夫だよ」
「ちょっと残って練習してきたいんだけど、付き合ってもらえないかな?」
「お、良いね。やろやろ」
私は二つ返事で了承する。私ももう少し体を動かしたいと思っていたところだ。
グラウンドでは既に他の部活が練習を始めており、あまり広くは使えない。なので私たちはネットに向けて打つティーバッティングを行うことにする。
「紗愛蘭ちゃんから打って良いよ」
「ありがとう。じゃあお言葉に甘えて」
ティー用のボールが入った籠を用意し、早速打ち始める。一つの籠に入っているボールは約三〇球。それを一セットとして、片方が打ち終えたら交代していく。
「藤原さんから打った紗愛蘭ちゃんのスリーベース、ほんとに凄かったね」
「シートバッティングの?」
「そうそう」
地面に転がったボールを拾いながら、私はシートバッティングの話に触れる。
「あれは自分でも上手に反応できたと思ってる。あそこまで飛ぶとは思わなかったけど」
「この調子なら、夏の大会でもメンバー入りできるかもしれないね」
「それはどうかな。そりゃ選ばれたい気持ちはあるけど、外野のレギュラーは揃ってるし、控えの先輩たちも上手だからそんなに簡単にはいかないよ」
紗愛蘭ちゃんはそう言って慎ましく笑う。しかし私の率直な見立てでは、紗愛蘭ちゃんは既に控えの先輩たちよりも上手い。だからメンバー入りする可能性はかなり高いと思う。
では、レギュラーの人たちと見比べてみるとどうか。流石にセンターの晴香さんには勝てないだろう。あの人はチーム全体で見ても頭二つ分くらい抜けている。レフトの玲雄さんに関しては、走力、守備力では紗愛蘭ちゃんが優れているように感じられるものの、打力では向こうが上だ。四番を務めていることもあるし、玲雄さんを外して紗愛蘭ちゃんを使うということは考えにくい。
残るはライトの洋子さん。ここがポイントだ。
二人の実力はほぼ均衡している。守備面では紗愛蘭ちゃんの方が肩は強いが、総合的に見れば洋子さんに軍配が上がる。そうなると鍵になるのは攻撃面。洋子さんは今、打撃不振に陥っている。一方で紗愛蘭ちゃんは非常に好調だ。今日の練習でもそれが出ていた。来週の練習試合の結果如何では、ひょっとするかもしれない。
「それよりも真裕だよ。メンバー入りはほぼ確定してるんじゃない?」
「え、私? 一応監督には使うつもりでいるみたいなことは言われたけど……。でもピッチャーは数がいて困ることはないし、不足気味っていうチーム事情もあるから、どうしても有利になっちゃうんだよ。当然、次の試合で結果出さないと話にならないけどね」
「真裕なら大丈夫でしょ。楽師館相手にあそこまで投げたんだし。ライトから見てたけど、あの日の真裕かっこ良かったな。「惚れてまうやろー」って感じだった」
「い、いきなり何言うの」
唐突に紗愛蘭ちゃんから透き通った瞳を向けられ、私はたじろぐ。入部した頃から雰囲気はあまり変わっていないけれど、紗愛蘭ちゃんの行動一つ一つに遠慮が無くなってきた気がする。まあそれだけ馴染んできた証拠でもあるのだけれど。
「ふふ。それだけ真裕の投げる姿は頼もしく見えるんだよ。二人とも夏大のメンバーに選ばれるよう、ひとまず次の試合頑張ろうね」
「はい。了解であります!」
私は地球侵略に来たカエルのキャラクターの声真似をしながら、敬礼のポーズを取る。特に深い意味は無い。何となくやりたくなってしまっただけだ。紗愛蘭ちゃんは一瞬拍子抜けしたような顔を見せるも、すぐさま微笑んで敬礼し返してくれた。
私たちはこの後もティーバッティングを継続した。だが途中から互いのお腹の音が鳴り止まなくなり、始めてから小一時間経ったところで切り上げる。
「これで全部?」
「うん。周りには落ちてないよ」
「オッケー」
籠を倉庫に戻し、私たちはグラウンドを後にしようとする。その際、まだ自主練を続けていた洋子さんの後ろを通りかかる。
「お疲れ様でした。お先に失礼します」
「ん? ああ、柳瀬と踽々莉か。お疲れ」
洋子さんはスタンドを使って一人でティーバッティングをしていた。多量の汗が首筋にまで垂れ、息切れもしている。爛々とした目つきをしており、何だか殺気めいたものを纏っている。それでも私たちが声を掛けるとその表情はほんの僅かに和らぎ、挨拶を返してくれた。
私たちが過ぎ去ると、洋子さんは間髪入れずに練習を再開する。私は歩きながらその一部始終を眺める。スイングがしっくりきていないのか、何度も何度も首を捻っていた。
洋子さんは本当に真面目な人で、いつも居残って練習している。学校での練習量だけで言えば間違いなくチーム一だ。そんな洋子さんだが、今まさに一年生にレギュラーを奪われようというところまで追い詰められている。厳しいように思えても、それが現実。そしてこれは私がどうこう言うべきことではない。洋子さんと紗愛蘭ちゃん、二人だけで決着を付けるしかないのだ。
家を出る前に見てきた天気予報によると、三時過ぎから雨が降るらしい。そのための準備を整えるかのように、先ほどまで青々としていた空に灰色が現れ、急速にその範囲を拡大していった。
See you next base……
PLAYERFILE.24:増川洋子
学年:二年生
誕生日:1/31
投/打:右/右
守備位置:右翼手
身長/体重:157/51
好きな食べ物:明太子




