45th BASE
最近暑くなってきたことで食欲が湧かず、お米を食べる代わりにお酒を飲むということが増えています。
昔はよく食べた方なのですが、近年はかなり量も落ちきています。
運動をしなくなったというのも大きいのでしょうが、どうしてもそれと同時に年齢を感じてしまいます……(笑)。
《二回の表、楽師館高校の攻撃は、四番センター、綾瀬さん》
真裕は二球連続でストライクを取り、テンポ良く綾瀬を追い込む。そして三球目、アウトコース低めのツーシームを打ち返した綾瀬の打球が、一二塁間へ飛ぶ。
「オッケー」
セカンドの光毅がゆとりを持って追いつき、一塁をアウトにする。楽師館指折りの強打者である綾瀬だったが、真裕はいとも簡単に打ち取った。
(インパクトの瞬間、微妙に球が動いてた。多分ツーシームかな。それにしてもうちのチームを相手にしてるのに、臆せずどんどんストライクを投げてきてる。ボールに力もあるし、向こうも良い一年生が入ってきたみたい。抑えこまれて自信を付けさせないよう、二打席以降は対応しないと)
相手の主砲も一目置く真裕のピッチング。ここから、彼女は更に勢い付く。
「アウト」
「アウト。チェンジ」
ストレート、カーブ、ツーシームを器用に投げ分けて相手打者に的を絞らせない。優築のリードも冴え、数本の安打を許しながらも、少ない球数でアウトを稼ぐ。
「ナイスピッチ。良い感じね」
「はい。ありがとうございます」
回が進むに連れて、ベンチで見せる真裕の表情も仄かに和らいでいく。試合は両者無得点のまま五回裏に突入。ここでにわかに動きが生じる。
《七番ライト、増川さん》
先頭の杏玖が倒れてワンナウトになった後、打席に増川洋子が入る。ワンストライクワンボールからの三球目だった。
「ああっ!」
洋子の喉奥から、しゃがれた悲鳴が聞こえてくる。ボールが彼女の右手首に直撃したのだ。ストレートと思って打ちにいった内角への投球が実はスライダーで、体の方に食い込んできたのを避けきれなかった。力無く落ちるバットと共に、洋子はその場に両膝をついて蹲る。
「洋子!」
隆浯と和がベンチを飛び出し、彼女の様態を覗う。周りも一時騒然となった。
「大丈夫か?」
「は、はい……」
洋子の手の甲の辺りが赤く腫れあがっていたが、随意に動かすことはできている。幸いにも骨折などの大怪我ではないようだ。
「洋子、ベンチに戻ろう。交代しよう」
「え? や、やれます!」
洋子は痛みを堪えて起き上がり、プレー続行を訴える。しかし隆浯は少しだけ語気を強め、それを退ける。
「駄目だ。その心意気は買いたいところだが、無理をして悪化させるわけにはいかない。お前は大事な戦力なんだ。我慢してくれ」
「うう……。分かりました」
奥歯を噛みしめて無念そうな顔をする洋子だが、こればかりは仕方が無い。彼女は和に連れられてベンチへ下がる。
「増川、こっちで手当てをしよう。木場君、次のライトはどうするの?」
「そうですね……」
隆浯はベンチのメンバーを見回す。そこで、一人の選手が目に留まった。
「紗愛蘭、行けるか?」
「へ? 私ですか?」
「そうだ」
まさかの打診に紗愛蘭は戸惑う。だが試合に出られるチャンスに、断る理由など無い。
「大丈夫です。行けます!」
「よし、行ってこい!」
「はい!」
紗愛蘭は急いでヘルメットを被り、一塁ベースへと全力疾走していく。これが女子野球部員としての初出場だ。
《ファーストランナー、増川さんに代わりまして、踽々莉さん》
「紗愛蘭、ワンナウトね。ゴロゴーでフライはバック。ピッチャー左だから牽制にも注意して」
「はい」
ファーストコーチャーと状況を確認し、紗愛蘭は相手の守備位置に目を向ける。
「行けー紗愛蘭ちゃん。走っちゃえ!」
ベンチの真裕から声援が飛ぶ。僅かに緩んだ口元を、紗愛蘭は咄嗟にヘルメットで隠した。
《八番キャッチャー、桐生さん》
紗愛蘭がリードを取る。緊張で足が地面に着地している感覚が薄く、幅はやや小さめだ。
するといきなり牽制が来た。紗愛蘭は滑ることなく帰塁する。ランナーを刺すためのものでなかったため、多少なりと余裕があった。
「ふう……」
紗愛蘭はベース上で一つ息を吐く。
(試合に出られるのは嬉しいけど、やっぱり怖いなあ。でも私が還れば真裕ちゃんに先制点を上げられる。頑張らなきゃ)
紗愛蘭は再び離塁する。その幅は一歩分大きくなった。苑田は牽制を入れず、長い間を取ってから優築への一球目を投じる。
「ボール」
ストレートが低めに外れる。次の二球目も高めに浮き、ボールが二つ先行する。
(さっき当てたから動揺してるのかな。見てると微妙に投げ辛そうだし)
紗愛蘭は徐々に落ち着いていく。相手投手の雰囲気も感じ取れるようになってきた。
三球目は抜け球となるも、アウトコースへのストライクゾーンに決まった。ここで亀ヶ崎ベンチが仕掛ける。
(カウントも整った。動くならここか)
隆浯が紗愛蘭と優築に向けてサインを送る。ヒットエンドランだ。二人はヘルメットの鍔を触って了解の仕草をする。打席の優築は、僅かにライトの方に目をやる。
(ここでインコースは攻めにくいでしょう。外角の球を引きつけて、右中間を抜ければ最高。最低でもランナー一、三塁の形で真裕に繋ぎたい)
四球目。苑田の足が上がるのに若干遅れて、紗愛蘭はスタートを切る。苑田は横目で紗愛蘭の動きを捉えたが、もうホームに投げるしかない。
(うわ最悪……)
球種はストレート。ただコースは内角に入ってきた。これはバッテリーが意図したものではなく、焦った苑田が指に引っ掛けてしまったのだ。
ところがこれが楽師館バッテリーにとってラッキーな方向に作用する。高さも良い具合に低く、優築は無理な体勢でスイングしなければならなくなった。
「くっ……」
右足を引いて懸命にバットに当てようとする優築だったが、空振りを喫する。東城はショートバウンドを上手く捌いてすぐさま二塁へ送球。ボールはベースカバーに入ったショートの香坂の元へと届く。香坂はスライディングしてきた紗愛蘭の爪先にタッチを試みる。
(まずい。このままだとアウトになる)
タイミングは完璧にアウト。しかし紗愛蘭はここで、スライディングした右足をほんの少し、香坂のグラブの軌道から遠のけた。
「アウトだ」
「セーフ」
ショートの香坂、ランナーの紗愛蘭の二人から同時に声が出る。二塁塁審は一拍置き、判定を下す。
「アウト」
紗愛蘭の工夫も虚しく、二塁はタッチアウト。チャンスを掴みかけた亀ヶ崎だったが、一瞬にして潰えてしまう。
「ナイキャッチ、ツーアウト」
香坂が苑田に返球する。その後方には、二塁ベースを凝視する万里香の姿があった。
(今のセーフだったんじゃないかな。ここから見た限り、香坂さんのは空タッチぽかった。ランナーの人が上手く避けてたような気もしたんだけど……)
際どいプレーだったため判定の是非は問えない。審判がアウトと言った以上はアウトだ。ただそれでも、紗愛蘭の技術が一筋の光を放った一幕であった。
See you next base……
WORDFILE.17:ヒットエンドラン
投球と同時にランナーがスタートを切り、打者がその投球を必ず打つという戦術。ダブルプレーを防いだり、ランナーが進塁しやすくしたりするために使われる。成功すればチャンスを拡大できる一方で、空振りなどによって失敗すれば一気にアウトが増えるというデメリットを持つ。実行のタイミングは主にボールが先行しているカウント、つまり相手バッテリーがストライクを投げざるを得ない状況下が適しているとされている。
因みにランエンドヒットという戦術もある。こちらは投球に際してランナーがスタートを切るのは同じだが、バッターがその投球を打つかどうかは任意という点で異なっている。ヒットエンドランは打ってランナーを進めたい時に、ランエンドヒットはあわよくば単独盗塁を狙いたい時に採用されることが多い。




