28th BASE
今回から新章に入ります。
誰かさんと同様、野球がしたくて堪らない子のお話です。
あ、話は変わりますが、私を引き取ってくれる草野球チーム募集中です!
週が明けた月曜日の放課後。上級生は休みとなり、私たち一年生だけの練習となった。
「よし。一回ここに集合しよう。グラブは置いてこい」
アップを終えた私たちを、木場監督がホームベースの付近に集める。
「これから走塁練習を行う。野球は打つことや投げることに注目されがちだが、走ることも勝つためには重要だ。走塁で試合の流れが一気に変わることは多い。一つのプレーで勝敗が決めることもある」
機動力野球という言葉もあるように、走塁を武器にしているチームは少なくない。特に学生野球ではそれが顕著に見られる。
「うちには走塁において、チームでの約束事や取り組みがいくつかある。今日はそれを確認しながら進めよう」
「はい」
「まず一つ。うちのチームでは、タッチを避ける目的以外のヘッドスライディングは禁止だ。つまり一塁は基本駆け抜け、他の塁は足からスライディングすることにしている」
ヘッドスライディングといえば野球の一つの醍醐味で、甲子園などでもよく見られる。だが亀高ではやってはいけないらしい。監督はその訳も説明する
「怪我をするリスクが高いのが一番の理由だ。ヘッドスライディングはよくガッツを見せるとか、チームに勢いを与えるとか言われているが、それで怪我をされて試合に出られなくなったら意味が無い。怪我人が出る以上に、チームにとって痛手となることはない。だからうちではチームで統一して、ヘッドスライディングを禁止している」
実際にヘッドスライディングにおける怪我の危険性は度々指摘されている。怪我で試合に出られなくなるのは私も嫌だし、そうならないためにも、予め約束事として禁止しているのだろう。
「では実際に走っていこう。全員一本ずつ、一塁まで走ってくれ。ちゃんと実戦を想定して、全力疾走しろよ」
私たちはホームから一塁に向かって順番にダッシュする。皆が走り終えたところで、監督は私たちに一つの問題を出す。
「さっきは全員が一塁ベースを駆け抜けていたな。これに関してだけど、駆け抜けた後はラインの外側と内側、どっちを通るのが正しいと思う? ゆり、答えてみろ」
「え? 外側じゃないんですか?」
「ほう。京子はどうだ?」
「同じ意見です。小学生の時、もしもラインの内側を駆け抜けたランナーがいたら、タッチすればアウトにできるみたいなことを誰かのお父さんが言っていた記憶があります」
「なるほどな。他の意見は無いか?」
私たちは互いに目配せをし合う。そんな中、菜々花ちゃんが控えめに挙手する。
「はい」
「お、菜々花か。どうぞ」
「確か、どっちに駆け抜けても良かった気がします。京子の言うアウトにできるっていうのは、ランナーが二塁へ向かう動作を見せたかどうかで決まるはずです」
「うん、正解だ。よく分かってるな」
監督の口元が綻ぶ。私を含め他の一年生も「おお」という声を上げる。
「これは勘違いしている人も多いが、一塁への駆け抜けに明確な規定は無い。その時に適した駆け抜け方をしてくれれば良いんだ。ただし菜々花も言っていたように、二塁を狙ったと審判に判断されればアウトになる可能性が発生する。これは守備の時も使えるルールだから、しっかりと覚えておいてほしい」
これは私も知らなかった。中学でも特に何も教えられなかったし、何となく外側を走るべきだと思っていた。しっかりと覚えておかなければ。それと凄くどうでも良いことだけれど、京子ちゃんが言っていた誰かのお父さんって誰なのだろう。全然見当が付かない。
「それでは次に行くぞ。今度は外野にヒットを打ったと仮定して、一塁でオーバーランするんだ。走り終わったらこっちに戻ってこず、そこで止まっていてくれ」
再び私たちは一塁へと走る。最後の祥ちゃんが終わると監督もこちらに走ってきて、ここでも質問をする。
「真裕、お前はさっき、どこに打ったつもりで走ったんだ?」
「レフトに打ったつもりで走りました」
「そうか。そのレフトはどうやって打球を捕球したんだ?」
「どうやってって、普通にです」
「“普通”って?」
「え? それは……」
普通って、普通は普通だ。飛んできたボールを何事も無くキャッチしたということだ。それ以外にどう言えばいいのだろうか。
「えっと……」
私は質問の意味が掴めず黙り込む。それを見た監督は、諭すように言う。
「真裕、お前が考えている“普通”は、他の人にとっては違うかもしれないんだ。試しに聞いてみよう。ゆり、外野手のお前は、真裕の言葉を聞いてどんな姿を思い浮かべた?」
「そうですねえ。レフトだとしたらこんな感じです」
ゆりちゃんはその場で片膝をつき、捕球体勢を実演する。それに対して私は思わず「あっ」と声を上げた。
「どうだ真裕、想像と一緒だったか?」
「違います。こんな風に、立ったままの状態を考えてました」
私もジェスチャーで表現する。ゆりちゃんが示したものとは明らかに異なっていた。
「ということだ。皆も心に留めておいてほしい。野球において“普通”という考えは、非常に危ないんだ。今みたいに相手が思っている“普通”と自分が思っている“普通”は違うことがある。これは決して哲学とかそういった話じゃない。人間は相手に思いもよらない行動をされると慌てる。これは皆も経験したことがあるだろ」
監督が私たちを見回す。皆、立て続けに首を縦に振って賛同する。
「実を言うとそれは、普通ならこうしてくる、普通ならこうはしてこないと相手の行動を決めつけてしまうことで起こるんだ。“普通”に対する解釈の齟齬って表現ができるかな。それを防ぐために、“普通”という言葉で片付けてしまわず、あらゆる可能性を想定して備えておかなければならない。これもうちのチームの取り組みの一つだ」
「は、はあ……」
何人かが口を開けてきょとんとする。私も完璧には理解できず、頭の中ではクエスチョンマークと電球マークが混在している。
「あー、ちょっと難しかったよな。とりあえず今は、自分の尺度だけで相手の行動を決めつけてはいけない、という感じくらいに思っておいてくれ」
監督は苦笑しながら纏める。そうして思考停止してしまった人たちを引き戻すように、一度手を叩く。
「さて、話が逸れてしまったな。オーバーランの話に戻ろう。ちょうどさっき、真裕とゆりが良い例を出してくれた。京子、膝をついた体勢と立ったままの体勢、早く返球できるのはどっちだ?」
「立ったままの方が投げやすいですし、早くボールを返せると思います」
「ふむ。ということはそれに応じて、オーバーランを取る距離を変える必要があるな。それにこうも考えることができる。あくまで一例だが、膝をついて捕球する選手は、守備に不安を抱いているのではないかと」
「あ、なるほど。私も昔は守備が苦手で、大事にいこうと膝をついてました」
ゆりちゃんが監督の意見に同意する。私も外野を始めた頃は不安から、同じことをしていた覚えがある。
「ならゆり、そういう時に相手が走塁でプレシャーを掛けてきたらどうなる?」
「ああ……、多少暴走気味でも、間違いなく慌てちゃいますね。それに嫌な印象が残って、次のプレーでも意識すると思います」
渋い表情をするゆりちゃん。皆も共感するように頷く。
「他の人も同じ意見のようだな。要はこれこそ、うちのチームが一番大切にしているところなんだ。後のプレーでも相手に嫌な意識を持たせる走塁をする。それを蓄積させていったら、目には見えずとも相手の感じるプレッシャーは相当なものになる。見えないプレッシャーというのは、本当に恐ろしいからな」
監督が悪人顔でほくそ笑む。私は背筋を凍らせた。お願いだから、その顔は恐いのでやめてください。
「ただしそれを実行するには、相手を観察して、突けると思った隙は積極的に突いていく必要がある。皆にはその技術を練習や試合を通して磨いてもらいたい。ものにすればチームに大きく貢献できるし、きっと走塁の面白さも実感できるようになるぞ」
監督の口調は心なしか、楽しそうな雰囲気を醸し出している。走塁。これまでは単純なものだと思っていたが、もしかしたら野球において一番奥深い分野なのかもしれない。
「では今言ったことを意識して、もう一回やってみよう」
「はい」
引き続き走塁のレクチャーは行われる。私は教えられたことを忘れないように脳をフル回転させながら、全力疾走を繰り返す。
そしてそんな私たちを、一人の女の子が遠くから密かに見つめていた。
「楽しそうだな……」
See you next base……
WORDFILE.11:走塁
野球で得点するためには、一塁からホームまでの四つの塁へ順番に到達しなければならない。この一連の動きを走塁、ベースランニングという。
走塁が上手いという表現は塁の回り方やスライディングが上手な人に使われ、決して単に足の速さで決まるわけではない。実際に足があまり速くなくても、走塁が上手いと言われる選手は多数いる。
また「走塁が試合の流れを変える」という言葉もあるように、近年では走塁が重要視されるようになってきている。「機動破壊」を武器にしているチームもある。




