27th BASE
男子野球部との試合が終わりました。
結果は引き分け。長々とお付き合いいただき、ひとまずお疲れ様でした。
因み私は、高校時代に練習試合で23対23というのを経験したことがあります。
もう野球のスコアじゃないですね(笑)。
中身を話し出すとこれまた長くなるので、詳細に関してはまたいずれ……。
高校一年生にしては大きめの身長の椎葉君。けれども私のお兄ちゃんよりは一回り小さい気がする。だからかは分からないが、試合で投げていた時の威圧的なオーラは感じられない。やや大人びた男子、という表現が適しているだろうか。
「ん?」
椎葉君がこちらを見る。偶発的に目が合った。私の心臓が、一度強く脈を打つ。
「お前は……」
椎葉君の目が若干大きくなる。向こうも私のことを覚えているみたいだ。
「柳瀬……だっけ?」
「う、うん。そうだよ」
私は小刻みに頷く。いきなり名前を呼ばれて戸惑ったが、彼に聞きたいことが山ほどあり、その思いが先行する。
「あ、あのさ!」
私の顔が前に出る。椎葉君の体が僅かに後ずさったように見えた。
「えっと……」
どうしてそんなに速い球が投げられるの?
普段どんな練習しているの?
いつから野球やってるの?
この学校を選んだ理由は?
クラスは何組?
次々と椎葉君への質問が浮かぶ。だが頭の中の整理が追い付かず、口に出すことができない。
「……水」
「え?」
椎葉君が私の如雨露を指さす。見てみると、注ぎ口から水が溢れているではないか。
「あ、やば!」
私は急いで水を止める。それに合わせるように、椎葉君も使っていた蛇口を閉める。
「はあ……。今日はお互い、残念だったな」
「へ?」
ふとした椎葉君の物憂げな声が、私の鼓膜を突き刺す。
お互い? 椎葉君はあんなに良いボールを投げていたのに? 確かに晴香さんには打たれたけれど、点が入ったのは前の投手がランナーを出していたからで、椎葉君に責任は無いはず。
私は困惑した表情になる。椎葉君は右手で蛇口を握りしめたまま、話を続ける。
「自分が抑えてやるって威勢良く出ていったくせに、呆気なく同点にされた。挙句に次の打者にも良い当たりされて、目の色変えて声上げて……。碧来が捕ってなかったら負け投手だ。ほんと、情けないにも程がある」
椎葉君の右手が震え出す。彼の悔しい気持ちが全面に表れ、こちらにありありと伝わってくる。そしてそれは、私が抱いている感情そのものだった。
そう、私も悔しいのだ。決して負け投手じゃなくても、負け投手になった気分でいる。最後のあの打球がヒットだろうがヒットじゃなかろうがどうだって良い。サヨナラの場面で、自信を持って投げ込んだボールを完璧に打ち返された。その時点でもう、私は敗北を感じている。
この上なく悔しい。いくらチームメイトから「ナイスピッチ」と言われようと関係無い。ホームランを打たれたことよりも、三振したことよりも、何よりも最後の一球が悔しくて仕方が無いのだ。
腹の底に溜まった鬱憤が、急激に伸し上がってくる。私はそれを我慢できず、心の赴くままに吐き出す。
「くっそー! 私も悔しいー!」
私の叫びが空に轟く。夕陽はゆったりと沈み始めていた。後から考えて推測できたことだが、この時間帯は下校するため外に出ている人が多い。一体どれだけの人が、私の声を聞いていたのだろうか。
「い、いきなりどうしたんだよ?」
唐突な私の行動を前に椎葉君は首を引っ込める。私は、捌け口の矛先を彼に向ける。
「だって悔しいんだもん! なんで最後打てたの⁉ 結構良い球だったじゃん。コースも悪くなかったし」
「ああ、確かに良い球だったな。引っ張りにいったはずなのにセンター返しになったわ」
「ええ⁉ 何それ⁉ それであの打球打ったの? 尚更悔しいよ! しかも目が合った時「は? 何こいつ捕ってんの?」みたいな顔してたし。あれちょっぴり腹立ったんだからね!」
「いやそんな顔してないから。てかさ、それを言うなら、俺の方が悔しいんだけど!」
椎葉君は眉間に皺を寄せ、語調を強める。捲し立てる私に触発されたのか、彼の方にもスイッチが入ってしまったようだ。
「お前んとこのキャプテン、何であのチェンジアップ打てるんだよ! 間違いなくタイミング外しただろ!」
「そんなの知らないよ! 本人に聞いて! それより私の質問に答えてよ!」
爆発した感情を、私たちは理不尽にぶつけ合う。どこにでもいるような少年と少女の、喧嘩というにはしょうもない言い争い。二人とも、マウンドに立っている時とは似ても似つかぬ姿だ。
そんな私たちの声はグラウンドまで届いていたらしく、木場監督と大道監督も、私たちのやりとりを遠目から見つめている。
「大道先生、何やらおたくのスーパールーキーさん、整備さぼって喚いてますよ。良いんですか、注意しなくても?」
「その言葉、そっくりそのまま木場先生にお返しします。そちらの未来のエース候補も、何やら騒がしいですよ。止めなくて良いんですか?」
「そうですねえ。でもこの時期の子どもたちにとって、自分の思っていることを大声で表現することはとても大切なことですから。ま、後でお灸は据えておきますけどね」
「奇遇ですね。私も同じことを考えていました。だから今は怪我だけに気を付けて、大人しく見守っておきましょう」
二人の監督が、高々と笑い声を上げる。それから数十分後に私と椎葉君にどんなことが待ち受けていたのかは、お願いだから追求しないでほしい。
「はあ……はあ……」
溜めこんでいたものを出し切り、私と椎葉君は息切れしてしまう。ピッチングよりもこっちの方が疲れたかもしれない。
「お前、面白いな」
「そ、そっちこそ」
正直、さっきまでの自分たちがどんな言葉を発していたか覚えていない。自分の中で巡り巡る悔しさを、まるで体の毒素を出すかの如く、赴くままに放出していた。そのおかげで、かなりすっきりとした気持ちにはなっている。
「……俺さ、このチームで日本一になるつもりなんだ」
少し間を置き、息が整ったところで徐に椎葉君が切り出す。
「日本一になるって、甲子園で優勝するってこと?」
「そうだよ」
椎葉君が真っ直ぐに私の顔を捉える。彼の持つ炯眼に、嘘偽りの入る隙など無い。
「ふふ、なら私と一緒だね」
私は優しく笑いかける。沈みゆく夕陽が正面から背中に当たり、熱くて痛い。椎葉君も一転、和やかな顔を見せる。
「へえ、そうなのか。お互い、頑張らないとだな」
「あ、でも私は日本代表になって世界一になることが夢だから、椎葉君よりも上かな」
「はあ? そういうの止めようぜ。先に言った俺が恥ずかしくなるだろ」
口を尖らせる椎葉君。ちょっと可愛い。
「いや待てよ。女子野球と男子野球じゃチーム数は雲泥の差だから、それくらいでどっこいどっこいなんじゃね? 寧ろこっちの方が難しい気がする」
「うっ、それを言われると何とも……」
「何だよそれ」
椎葉君は拍子抜けしたように頬を緩ませる。だがすぐに、凛とした顔つきに変わった。
「まあ良いさ。俺たちそれぞれ、大きな目標があるんだ。絶対にやってやろうな」
「うん。もちろんだよ!」
またもや私の心臓が大きく脈を打つ。胸の奥で灯る炎が、じんわりと赤味を帯びていく。私の足元に生えていた二つのクローバーは、風に吹かれた拍子で重なり合い、端正な四つ葉を模っていた。
高校生活最初の試合が終わった。悔しさの残る登板だったけれど、良きライバルと出逢うこともできた。多分、私のこれからの成長を後押ししてくれることになるだろう。そう信じたい。
See you next base……
WORDFILE.10:勝利投手と敗戦投手
野球の試合において勝敗の責任を背負った投手に対し、勝利投手と敗戦投手を規定する。
先発投手が勝利投手となるためには最低でも五イニングを投げなければならず、かつ降板後も味方がリードした状態が保たれなければならない。そのため引き継いだ投手が同点、逆転された場合には勝ち投手の権利は消えてしまう。それ以外は主に、チームが決勝点を上げた直前の守備で投げていた投手が勝利投手となる。
一方敗戦投手が規定されるのは、決勝点となる走者を出した投手であり、必ずしも登板中の投手に記録されるとは限らない。例えば同点の試合展開で投手Aが走者を出し、代わった投手Bがその走者の生還を許してしまった場合、そのまま試合が終了すれば投手Aが敗戦投手となる。
因みにドラらんは初登板で味方の勝ち投手の権利を消し、最終的に自分が勝ち投手となるという最低な行為をやってのけた。本当にすみませんでした。




