20th BASE
お読みいただきありがとうございます。
今日は五月二日です。毎年思うのですが、五月一日と二日から漂う仲間外れの感じって、ノリについていけない都会に出てきたばかりの田舎者の持つ疎外感に似てますよね(⁉)。彼らは普通のことをしてるだけのはずなのに……。
「へえ、意外と速いじゃん。あいつって一年生だろ」
真裕のボールをベンチから一見し、碧来が感想を述べる。その横で丈は、真裕の投げる姿を無言で見つめていた。
「ボールバック!」
真裕が規定の投球数を投げ終え、八回の裏が始まる。最初に打席に立つのは三番の四ノ宮だ。
真裕がサインを覗き込む。優築は手始めにストレートを投げさせ、真裕の緊張感を和らげようとする。
(外れても構わない。全力で投げてきて)
(分かりました)
頷く真裕。加速する心音と体を同調させるため一つ息を吐き、彼女は大きく振りかぶる。
(この時をずっと待ってたんだ。目一杯楽しんでやる!)
高々と突き上げられたグラブのオレンジ色が、青い空にエッセンスを加える。胸の中に燻り続けた想いの丈を解き放つかの如く、真裕は思い切り腕を振った。
少女の想いを乗せた白球は、一直線に捕手のミットへ!
……行くはずだった。
「おわっと!」
ボールはミットの位置とは全く違う方向へ行ってしまう。優築の反応も追いつかず、四ノ宮の顔を掠めてバックネットに当たる。
「あれ……?」
散った花びらのように地面に転げ落ちた白球を置き去りにして、グラウンドを沈黙が包み込む。首筋に嫌な汗が流れ、真裕は目を泳がせながら下唇を噛んだ。
「ふふっ。マンガじゃねえんだから」
碧来たち男子野球部のメンバーは、笑いを堪えるような仕草を見せている。しかし、丈だけは険しい視線を真裕に送っていた。
「タイム」
すかさず優築はマウンドに向かう。
「す、すみません」
「気にしなくて良いから。球は来てたし、この調子でどんどん投げてちょうだい」
「……はい」
柔和な表情で声を掛ける優築。真裕は瞬きをしてもう一度深呼吸をする。心の落ち着きを取り戻し、彼女の目つきも据わったものに変わる。
ここから仕切り直し。優築からのサインは同じくストレートだ。真裕は首を縦に振り、またも大きく振りかぶって二球目を投じる。
「ストライク」
今度は外角にストライクが入った。四ノ宮は一球目の残像が浮かび、手を出さない。
(ナイスボール。ストライクも入ったことだし、次はこれで行きましょう)
(はい)
続く三球目。ボールは真ん中付近に入ってきた。直球を狙っていた四ノ宮は、ここぞとばかりにバットを出す。だが、それはバッテリーの思う壺。ボールはインパクトの直前で微妙に変化し、バットの芯を外れる。
「ショート!」
ショートの真正面に打球が飛ぶ。強めのゴロだったが風は難なく捌き、一塁をアウトにした。
甘い球が来たと見せかけてゴロを打たせる。これが真裕の武器、ツーシームである。
「よし」
真裕は微妙に相好を崩す。ひとまずワンナウトを取れた。ただし打順は、四番の北条に回る。
「北条! 構うことはねえ、一発かましてやれ!」
男子野球部のベンチから大きな声が飛ぶ。仲間の期待を一身に背負った主砲は、気迫の籠った素振りを二回ほど見せ、静かにバッターボックスに入る。
左右の股関節を交互に内側へ入れる動作をする北条。これは彼の普段からの癖だが、今までとは明らかに雰囲気が違う。前の打席でヒットを放っている影響か、地に足をつけてどっしりと構えに入っている。マウンド上の真裕も、その変化を感じ取っていた。
(なんか、凄く嫌な感じ……。けど考えちゃ駄目だ。投げることに集中しないと)
臍の周りを突いてくる悪寒を気に留めないよう、真裕は優築の手元を凝視する。
(真裕、投げ辛そうね。前の打席で打たれてるし。ここは慎重に行っておくか)
サインはストライクからボールになるカーブ。一打席目、三打席目と同じ入りにはなるが、反応を探りたいとなると自然とこの選択肢に行きつく。
(ですよね。分かりました)
真裕は北条への一球目を投げる。ボールは要求通りのコースへ。しかし、北条は反応を示さない。
(雰囲気が変わっただけじゃなくて、ちゃんとボールも見えてきている。これは厄介ね。もう少し様子を見たいけれど、次の球はストライクが欲しい)
二球目。優築は一転して速い球を要求する。
(真っ直ぐか。確かにここはストライクを入れたい。でも、甘いコースには行かないようにしないと)
真裕は細心の注意は払い、アウトコース低め一杯を目掛けて投げる。だが構えられたミットに対し、僅かに外側へとずれる。
「ボール」
「くっ……」
真裕は頬が歪む。これでツーボールノーストライク。四番バッター相手に、バッティングカウントを作ってしまった。
(まずいな。状況を考えれば歩かせるのも一つの手。けどこれはあくまでも練習試合だし、今後のためにも真裕には勝負させておきたい。だったらここは開き直って、この状況を利用してやる。真裕、ここにツーシームをちょうだい)
優築は真ん中にミットを構える。それを見た真裕は、思わず息を呑む。
(なるほど。敢えて甘い球を投げてスイングを誘うのか。分かりました。……大丈夫、きっと打ち取れる)
そう自分を鼓舞し、真裕はサインに従って三球目を投じる。ど真ん中ではないものの、バッターとして打ちたくなるコースに投球は行く。
(ストライクを取りにきた。もらった)
北条は果敢にバットを出す。だが彼が頭に描いていたのはストレートの軌道だった。バッテリーの狙い通り、ボールはバットの芯から外れた場所に当たる。鈍い音を残し、打球はセンター方向へ高々と打ち上がる。
「センター!」
真裕は振り返って晴香を指さす。その表情には安堵感が宿っていた。打った北条の方は、バットを放り投げてゆっくりと走り出す。
「オーライ」
センターの晴香は落下地点に向かってゆっくりと後退する。ところが風に押されているのか、ボールは中々落ちてこない。
下がる……、下がる……、下がる……、下が……らない。
晴香の足が止まる。ようやくボールも落ちてきた。
しかし、落ちた先は晴香の立っている位置よりも更に後ろであり、フェンス代わりに用意されたネットを越えていた。
See you next base……
WORDFILE.6:インコースとアウトコース
ストライクゾーンの真ん中を境に、打者にから見て遠くのコースをアウトコース、近くのコースをインコースと言う。アウトコースは外角、インコースは内角とも称される。
基本的に打者はアウトコースの低目が一番打ちにくいとされ、バッテリーはそこを軸に配球を組み立てる。しかし外国人バッターなど手の長い選手はインコースの方が窮屈になり、インコースを中心に攻めることが有効な場合もある。
偶にホームベースから離れて打席に立つバッターもおり、一見彼らはインコースを狙っているように思えるが、実はアウトコースが得意でインコースが苦手ということが多い。




