174th BASE
お読みいただきありがとうございます。
本日は某ネコ型ロボットの誕生日ですね。
正確には誕生日(予定)ですが……。
《九番セカンド、江岬さん》
紗愛蘭の前に、愛が打席に立つ。三点ビハインドなので彼女も塁に出られれば同点のランナーとなる。
(前の打席はフォアボールを取れたけど、最後の一球はストライクでもおかしくなかった。二度同じ手が通じる相手じゃないだろうし、ここは普通にヒットを打ちにいく)
一球目。城の投球は真ん中に来る。愛は果敢にスイングしていくも、ボールは斜め下に滑ってバットの下を潜る。
(おおっ、スライダーかな?)
初球から変化球という配球に、愛は口を丸くして驚く。それだけレッドオルカバッテリーが本気で抑えにきているということだ。
二球目。城は内角にストレートを投げる。愛は前のスライダーの残像に引っ張られてタイミングを合わせられず、バットを出せない。
「ストライクツー」
直球と変化球の効果的な組み合わせに翻弄される愛。ただこのままあっけなくアウトになるわけにはいかない。
三球目はアウトコースに流れていくカーブ。愛は辛うじてバットの先に当ててファールを打つ。
(追い込まれた以上はどうしても小賢しいバッティングになっちゃうけど、今はアウトにならないことが大事。もう一回根比べだよ)
四球目が外れた後、愛は五球目もカットする。こうやって苦しくても追い縋るのが彼女の持ち味。六球目がファール、七球目がボールと続き、カウントはツーボールツーストライクとなる。光明が差してきた。
(よしよし。これならいけるかも)
愛にも微かながら余裕が出始めている。八球目。城はストレートを投げてきたが、手元が狂って打者の顔面付近にいってしまう。
「わっ!」
愛は慌てて腰を折って避ける。その反動でヘルメットが派手に脱げ落ちるも、幸いボールはどこにも当たっていない。
「ふう……。びっくりした」
ヘルメットを拾い上げ、愛は一息つきながら打席を外す。
(社会人の球が頭に直撃なんて洒落にならないよ。ともあれこれでフルカウントまで来た。あと一球粘って紗愛蘭に回すんだ)
愛が改めて打席に入る。それに合わせてサインのやりとりを終えた城は、足を上げて九球目を投じる。外角低めへのストレート。コーナーは突いているが、バットの届かないコースではない。愛はこれまでのようにファールで逃げようとする。
(ここら辺で振れば……あれ?)
ところがバットを出そうとした瞬間、愛の体が金縛りにあったかのように動かなくなる。当然スイングすることはできず、ボールは彼女の目の前を平然と通過していく。
「ストライク、バッターアウト」
「え……? 何で?」
見逃し三振。愛は訳が分からず、きょとんとした目つきで引き揚げていく。
これは直前の八球目で、頭付近を襲われたことが大きく影響していた。愛自身はそこまで気にしていなかったが、身体の方は正直なもので、潜在的に城の投球に対しての恐怖心が芽生えていたのだ。打撃フォームも微妙にだが萎縮しており、結果的にそれが愛の反応を鈍らせた。
更に深掘りすると、実は道蘭たちはこうなることを狙って九球目の攻め方を決定していた。このように失投すら逆手にとって有効活用できるのは、社会人まで野球を続けてきた経験が成せる業である。
《一番ライト、踽々莉さん》
ランナー進まずにアウトカウントが一つ増え、これで亀ヶ崎は後が無くなった。ただし打順は一番に返り、紗愛蘭の四打席目が回ってくる。
(あとアウト一個で敗退か……。だけどそれくらい追い込まれてる方が燃えてくるし、やり返す場面としてはちょうど良い)
真裕の活躍もあり、紗愛蘭に再度リベンジの機会がやってきた。彼女はこれまでの屈辱を想起しているかのように、打席までの道のりを一歩一歩踏みしめながら進む。
「よろしくお願いします!」
球審に一礼し、紗愛蘭がバットを構える。一塁ランナーの真裕からは熱誠なる激励が飛んできた。
「紗愛蘭ちゃん、せっかく私が回したんだから絶対に打ってよ!」
真裕の言葉を、紗愛蘭は背中で受け止める。人によってはプレッシャーを与える声の掛け方だが、紗愛蘭には城に立ち向かうための強烈なエネルギーとなる。
(真裕、本当にありがとう。この恩返しを今からしてみせるよ)
紗愛蘭の頬を一筋の汗が辿る。一球目、城は外角にストレートを投げてくる。
「ボ―ル」
ストライクゾーンからはやや遠くなった。紗愛蘭はほとんど反応することなく見送る。
(直球のスピードが遅くなってる気がする。疲れが来ているのかな。何にせよこれが全力投球だというのなら、十分打ち返せる)
紗愛蘭が仄かな手応えを感じる中、城が二球目を投げる。内角低めの直球。紗愛蘭は腕を畳んで打ち返す。
「ファール」
良い当たりのライナーが飛ぶも、打球は一塁線を大きく外れていく。しかし過去三打席では振り遅れが目立っていたので、引っ張れたということは徐々に捉えられてきている証拠だと言える。
(もうストレートは見切られていると考えた方が良いな。三連続で三振してるといってももう四度目の打席。変化球を交えないと打ち取れないか)
三球目、道蘭はカーブを要求。城の投球は低めに行くも、曲がりが良過ぎてワンバウンドになる。紗愛蘭は悠然と見逃した。
(初めて私に変化球を使ってきた。でもこれくらいなら初見でも対応できる。一応スライダーはキレが良いみたいだから、そこだけは注意しておこう)
打者有利なカウントとなって迎えた四球目、城は外角高めに直球を投じる。ただそこに投げようと狙っていたわけではなく、力んで浮いてしまったのだ。
「ボールスリー」
これで紗愛蘭は更に優位に立つ。彼女にとってはこの試合初めて、精神的なゆとりを持ってスイング状況となる。
(愛さんに続いてスリーボールまで行った。しかも私のは、粘って球数が嵩んだとかではなく普通に勝負して。コントロールも乱れてきてるんだ。これを活かさない手は無い)
紗愛蘭はネクストバッターズサークルにいる京子を瞥見する。今日の彼女は二安打に好守備連発と、亀ヶ崎の中で一番輝いている。もしも紗愛蘭が繋いで京子に回ることになれば、同点あるいは逆転も現実味を帯びてくる。
(せっかくなら打ってやり返したい気持ちもあるけど、焦りは禁物。この場面はフォアボールでも価値があるんだ。じっくり見極めていこう)
打ち急いで失敗してはなるまいと、紗愛蘭は少し慎重な姿勢を取る。五球目、ストライクを入れなければならない城は、真ん中低めに直球を投げる。
(打てるか? いや、この高さなら打ってもゴロになる確率が高い)
一瞬打ちにいく体勢に入った紗愛蘭だったが、すぐにバットを止めた。ヒットにはしにくいと判断したのだ。球審はストライクと判定する。
「ナイスピッチ。次が勝負だよ!」
そう城を奮い立たせつつ返球した道蘭は、紗愛蘭を横目で見る。何やら感じたことがあったのか、彼女はマスクの下で一度目を瞑り、小さな鼻息を漏らしてから開けた。
これで二者連続でスルーボールツーストライクまで縺れる。紗愛蘭は四球狙いの葛藤を捨て、ヒットを打つことに集中する。
(もう後には引けない。ストレートでも変化球でも、しっかりバットを振り抜く)
バッティンググラブは多量の手汗でかなり湿っている。紗愛蘭はグリップを絞り、フルスイングしても滑らないようにしておく。
この一球で勝負が決するか。それとも亀ヶ崎の反攻が続くのか。流石の城にも緊張の色が見られ、道蘭は普段より多めに間隔を空けてからサインを出す。城はそれに何度か頷き、セットポジションに入った。
See you next base……




