170th BASE
お読みいただきありがとうございます。
夏の甲子園大会が終わりました。
履正社高校、初優勝おめでとうございます!
「杏玖、このチャンス絶対モノにしよう!」
「珠音さんに良い形で繋ぎましょう!」
重たげだったベンチのムードも、京子のツーベースで上昇気流に転じる。各人が声援を送り、主将のバットに期待を込める。
(今のところ私は何もできていない。けれどそれに臆して大事に行こうとしたら尚更打てなくなる。こういう時こそファーストストライクから手を出していかないと)
杏玖は小さく息を吐いて緊張を解し、初球から打っていける心構えを整える。一球目、城は内角に直球を投げ込んできた。
(前の打席と同じ入り方だ。二度もやられてたまるか!)
杏玖は二打席目の借りを返すべく打ちに出る。今回は詰まらされることなくバットを振り切り、強烈なゴロを三遊間に飛ばす。
「ショート!」
レッドオルカは一点をやっても良いというシフトを敷いていた。米本はもう少しでレフトに抜けようかという深い位置で打球に跳びつき、逆シングルで捕球する。
流石にこれは内野安打になる。……と思われたが、ここから米本が一級品の腕前を披露する。彼女は機敏に立ち上がり、大きなステップを踏むことなく一塁に鋭い送球を投じる。ボールはワンバウンドで吉田のグラブに収まった。
「アウト!」
一塁塁審が力強く右拳を握る。半歩の差で杏玖は間に合わなかった。
「うわ、まじかあ……」
杏玖は天を仰いで悔しがる。ただこればかりは米本を讃えるしかなかった。打球に対する反応速度、ボールを捕ってから投げる動作に入るまでのスピーディーな動き、加えて送球の強さと正確さ、これらのどれか一つが欠けてもアウトにはできなかった。彼女はその全てを完璧にやり切ったのだ。三塁に向かいながらこのプレーを間近で見ていた京子は、同じショートとして衝撃を受ける。
(凄い……。あれをアウトにできるなんて。今のウチだったら捕れたかどうかすら怪しいよ。これが社会人のレベルなのか……)
自分と米本との差を痛感し、京子は三塁ベース上で上唇を噛む。いつか自分が米本みたいな守備ができるようになるのか。いや、なれるかどうかではなく、そうなりたい。ならなくてはならない。京子は心を滾らせた。
《四番ファースト、紅峰さん》
米本の好守備でツーアウト目は取られたものの、愛がホームインし亀ヶ崎は一点を返した。尚も京子を三塁に置き、主砲の珠音に打席が回る。
「珠音頼む! 打ってくれ!」
杏玖の言葉に珠音は黙って頷く。今回はどんなヒットでも確実に一点は入る。試合を振り出しに戻せるか否かの命運は、四番のバットに託される。
(この子だけは別格として扱わなければならない。初球から変化球を混ぜていく)
道蘭はカーブのサインを出す。城はそれを承諾し、珠音への一球目を投げる。
「ストライク」
外から大きな弧を描いて切れ込んでくるボールに、珠音は打つのを諦める。手を出していれば高確率で引っ掛けていただろう。
(なるほど。変化球にも結構キレがあるのか。愛のあの見逃し方だと明らかに手が出なかったんだし、四球になったのはほんとにラッキーだったね。それはさておき、私はどう対応しようか)
二球目。城の投球はアウトコースに行くが、ベースの手前で外へと動き出す。シュートだ。
「ボ―ル」
珠音は釣られずに見極める。これまで城が使ってこなかった球種が来ているが、慌てる素振りは全く無い。
(シュートも持ってるのか。けど今私が見逃したことでもう投げてはこないだろうな。他にも変化球がある可能性もあるけど、それを考え出したらキリが無い。とするとインコースのストレートで詰まらせにくるか、もう一回カーブ系統で緩急を効かせてくるかのどちらかなんだけど……)
こうした試合のターニングポイントでは、投手は自分が最も自信のある球をウイニングショットに選択したがるもの。それを逆算して考えると、自ずと次の配球は見えてくる。
三球目。城は低めにカーブを投じる。珠音はボールを手元まで引きつけてからフルスイングする。カーブが来るのを読んでいた。
「サード!」
三塁線上に低いライナーが飛び、宮原の横を抜ける。ただ大きくスライスが掛かっており、打球はフェアゾーンの外に切れていく。
「むう……、ちょっと早かったか」
打った直後にファールになると分かり、珠音は走りかけて足を止める。これでツーストライクと追い込まれた。しかし感じは悪くない。バッテリーの攻め方も把握できている。道蘭も珠音の今の一球への対応を見て、その気配を嗅ぎ取っていた。
(これはきっと、次に私たちがどうしたいのかも読まれてるな。それでもプラン通りに進めるか、もしくは少し変更するか。どうしようか……)
道蘭は迷った末、これまでの組み立てを崩して外へのスライダーを要求する。ところが城は首を振った。
(え? ということはこれか?)
改めて道蘭は内角のストレートのサインを出してみる。すると城の首は縦に動いた。
(なるほど。初志貫徹で行こうってことか。慎重にならないとはいけないけど、それで一番良いボールを使わないっていうのはただの怯え。高校生相手に怖がってるようじゃ、私たちのこの先は高が知れてる。ここは城の心意気に従おう)
バッテリーは真っ向勝負で行くことを選択。対する珠音も、最初の狙いを変えるつもりはない。
(投手が一度首を振ったのは、きっと予定とは違うサインが出たからだと思うんだよね。この場面で逃げに回るような人には見えないし。まあでもそう考えちゃうのは、私があのストレートを打つことを望んでるからかもしれないんだけど)
心音が加速していくのを感じつつ、珠音はバットをゆったりと立てて構える。夏大の時に初めて緊張することを知った彼女だが、その対処法はここ一ヵ月のメンタルトレーニングで習得した。中々思うようにいかない選手も多い中、この短期間であっさり気持ちのコントロールができるようになっているのは、珠音の素質の高さを形容している。
(こっちは準備万端だよ。さあ来い!)
互いの矜持が衝突する四球目。打席でじっと待ち構える珠音に、城は渾身のストレートを投じる。コースはインハイ。窮屈なスイングになるところだが、珠音は脇を締めてバットの芯で捉え、仕上げに右手を強く前へと押し込む。上空に舞い上がった打球が、左中間方向へとぐんぐん伸びていく――。
See you next base……
WORDFILE.66:ウイニングショット(決め球)
投手が打者を捻じ伏せるためには、ウイニングショットの存在が必要不可欠である。当然ウイニングショットと呼べるレベルの球種をいくつも持っている投手はそれだけ能力が高いということになる。
しかし闇雲にウイニングショットばかりを投げていれば良いというわけではない。自らのウイニングショットの特徴を理解し、その効力が最大限発揮されるように、他の球種を使って緩急やコーナーワークを活用しなければならない。そうしたことができる投手こそが真の意味で“良い投手”なのであり、試合で活躍できるのである。




