155th BASE
お読みいただきありがとうございます。
今日は七夕。
今年も空は雲が多いですが、少しでも晴れ間が覗いてほしいですね。
「ランナー二、三塁! よろしくお願いします」
京子ちゃんが打席に入る。内野は僅差の展開を想定して前進守備を敷く。
サイン交換を終え、祥ちゃんが一球目を投げる。勢いのある直球だったが、惜しくも高めに外れた。
二球目は低めに叩きつける。これで次は必ずストライクを入れなければならない。
「ボ―ル、フォア」
しかし三球目も外れ、四球となってしまった。祥ちゃんは帽子を取り、歯がゆそうに汗を拭う仕草を見せる。私は励ましの声を送る。
「ドンマイ! 切り替えていこう」
カウントが清算され、祥ちゃんはもう一度京子ちゃんに投球する。その初球、祥ちゃんの投じたストレートは高めへ。ボール気味ではあったが、京子ちゃんはセンターへと打ち返す。
「オーライ」
打球は高く上がったフライとなり、洋子さんが定位置よりも下がったところでキャッチする。三塁ランナーはタッチアップ。洋子さんはアウトにできないと判断し、更なる進塁を許さないよう中継に返球する。
「ナイス犠牲フライ」
「あんがと」
打った京子ちゃんはそのままランナーに入るために二塁へ向かい、他の人たちとグータッチを交わす。確かにこの場面での役目は十分に果たした。だが私としては、追い込まれてもいない状態であの球を打つべきだったのか疑問に思う。憶測でしかないが、何となくストライクの入らない祥ちゃんを気遣った強引なバッティングのようにも見えた。
「よろしくお願いします」
続いて二年生の琉崎逢依さんが右打席に立つ。逢依さんは夏大ではそれほど出番が無かったが、新チームになってからは好調を維持し、一昨日の試合では五番を務めていた。私たちのチームには江岬愛さんというもう一人の“あい”さんがいるが、それぞれの苗字を前に付けて“ルーあい”と“えみあい”という愛称で区別している。因みにこれは愛さんが可愛いからという理由で自ら考案した。ただし逢依さんの方は、この呼び名はあまり好きではないらしい。
逢依さんへの初球、祥ちゃんは高めにストレートを投じる。際どいコースだったが、森繁先生はストライクをコールする。
二球目は外れたものの、三球目は打者が手を出さざるを得ないコースに投球は行く。逢依さんは引っ張り込んで三遊間へ打ち返す。
「サード!」
サードの杏玖さんが跳びつくも届かず、打球は私の元に転がってくる。二塁ランナーは三塁を回った。ボールを捕った私は素早く握り替えてバックホームする。外野手の見せ所だ。
「セーフ」
良い送球にはなったが、惜しくもランナーの方が早かった。私は渋い表情でグラブを叩く。精一杯のプレーだったとはいえ、悔しいことに変わりはない。
次の打者は菜々花ちゃん。逢依さんが使っていたバットを持ち、打席で構える。
「ライト」
菜々花ちゃんは初球を打ち上げる。打球はライト真上のフライとなり、守っていた紗愛蘭ちゃんが捕球体勢に入る。落ちてきたボールをがっちりと掴み、すぐさま本塁へと投げた。矢のような送球が優築さんのミットに突き刺さる。
激しいクロスプレーになるかと思われたが、三塁ランナーはタッチアップをしていなかった。相手が紗愛蘭ちゃんということもあり、端から諦めていたのかもしれない。
「ナイライト!」
私が声を掛けると、紗愛蘭ちゃんはちょっとだけ得意気な顔を見せる。あれだけの肩を持つ選手が後ろで守ってくれているのは、投手にとっては本当に頼もしい。
このプレーに触発されたのか、祥ちゃんはこの後四人連続で打ち取る。ここで打者が入れ替え。紗愛蘭ちゃんが打ちにいったため、私はライトに移る。
入れ替わった後も祥ちゃんは続投。ヒットを許しながらも五人に投げ終え、あと一人というところまで漕ぎ着ける。
「よろしくお願いします」
最後の打者は紗愛蘭ちゃんだ。京子ちゃん以降はずっと右打者だったので、祥ちゃんは二回目の左打者との対戦となる。
ところがここで祥ちゃんの投球に異変が生じる。突然ストライクが入らなくなったのだ。
「ボ―ル、フォア」
初球、二球目と高めに抜ける。更に三球目も外れ、あっさりと歩かせてしまう。
しかもこれだけでは済まなかった。打ち直しとなった打席でもストレートの四球。再度仕切り直してからも四球を出し、中々紗愛蘭ちゃんの番が終わらない。
「ピッチャーあと一人だよ。頑張ろう」
杏玖さんを中心に激励の声が飛ぶが、全体的に白けた空気感が漂ってきた。私も背伸びをして固まりそうな体を解す。
「ボ―ル」
四回目の打席の初球も外れた。森繁先生からのコールを聞き、明らかに苛々する人もいる。気持ちは分かるが、祥ちゃんも苦しい中で必死に腕を振っているはずなので、そういう態度は表に出さないでほしい。余計祥ちゃんを投げ辛くさせるだけである。
「祥ちゃん頑張れ! 前のことは気にせずいこう」
私はできるだけ柔らかい声色で祥ちゃんを励ます。二球目。ようやく祥ちゃんはストライクゾーン近辺に投げられたようで、その球を紗愛蘭ちゃんが弾き返す。
「オーライ」
バットから快音が響く。しかしレフトへの平凡な飛球となり、逢依さんがゆっくり前へ出てきてボールを掴む。ランナー一、二塁という状況であったが、これでは誰も動くことができない。
これにて祥ちゃんは降板した。全体を通すと悪くなかったが、最後の紗愛蘭ちゃんに対しての投球を見ると不安を駆り立てられてしまう。気になるところだ。
全体練習が終わった。私は昨日と同じように紗愛蘭ちゃんから自主練に誘われ、今日は付き合うことにする。部室からティーバッティング用のボールが入った籠を取り出し、空いているネットの前に陣取る。
「よいしょっと。紗愛蘭ちゃん先に打つ?」
「良いの? じゃあそうする」
最初は私がトス役を務める。三〇球程度紗愛蘭ちゃんが打ったところで籠の中は空になり、私たちはボールを拾っていく。その最中ふと、紗愛蘭ちゃんが神妙な面持ちで話を切り出す。
「ねえ、ちょっと重たい話しても良い?」
「え? どうしたの?」
「祥のことなんだけどさ……」
祥ちゃんの名前が出された瞬間、私は心臓を人の手で直接なぞられたかような息苦しさを覚える。今日のシートバッティングを通じて、紗愛蘭ちゃんも何か感じるところがあったみたいだ。
「少し危ない状態だと思うんだよね」
「危ない状態?」
「うん。あの子、今日の私にストライクが入らなかったじゃん。あれって技術的な部分もあるけど、それ以上に精神的な問題が大きいと思うんだよ」
「ああ……。やっぱり一昨日の試合が影響してるのかな」
「それは間違いないだろうね。多分、左打者に投げることを相当嫌がってるんだと思う」
「左打者か。言われてみればそうかも」
祥ちゃんの投球を思い返してみると、紗愛蘭ちゃんの指摘は的を射ていた。市岐阜での試合で崩れ出したのは、左打者相手に四死球を与えてから。というか、祥ちゃんはあの試合で一度も左打者とまともな対戦ができていない。今日のシートバッティングでも、京子ちゃんと紗愛蘭ちゃんにストライクが入っていなかった。
「でもどうして左打者なんだろ。本来なら有利なはずなのに」
「デッドボールが怖いんじゃないかな。今日打席に立ってみて、祥が何となく外に投げよう外に投げようと意識してるように見えたんだ。もちろん今の祥にはそんな技術は無いし、腕振れなくなるからボールがばらついちゃう。それで結果的に四球ばっかりになってるんだと思う」
「なるほどね。けどそれ、どうやったら改善できるんだろう?」
「当てることを怖がらなくなるのが一番なんだろうけど、簡単にはできないだろうね。真裕は似たような経験は無いの?」
「私? うーん……、当てたくないって思うことはあるけど、そんなことばっかり考えても抑えられないし、結局開き直るしかないんだよね」
「そっか。祥もそう考えられるようになったら良いけど……」
紗愛蘭ちゃんと私は互いに顔を顰める。当然祥ちゃん自身が乗り越えないといけない問題ではあるが、私たちも力になれるところはあるはずだ。何か良い案は無いかと頭の片隅で考えつつ、私は紗愛蘭ちゃんとの自主練を続けた。
See you next base……




