153th BASE
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《あり得ないシナリオを! 怪物に試練を!》
今回の話を書いていて、何故かこの実況を思い出しました(笑)
「ナイバッチ!」
スタンドや相手ベンチから拍手が起こる中、打者がゆっくりとダイヤモンドを一周する。スリーランホームラン。お兄ちゃんのスライダーは、完璧に粉砕された。
「そんな……」
私は愕然とする。嘘だ。こんなのあり得ない。あり得て良いはずがない。お兄ちゃんのスライダーは誰にも打たれないのだ。だとすれば一体、今私の目に映っている光景は何だというのだろうか。
「アウト。チェンジ」
ホームランを打たれた後、お兄ちゃんは三人連続でアウトを取って七回表を凌ぐ。しかしスライダーは一球しか投げず、それもカウントを整えるためのものだった。
お兄ちゃんはこの回で降板。八回と九回は他の投手が抑え、六対三でお兄ちゃんの大学が勝った。
試合後、私はグラウンド外の木陰で避暑し、お兄ちゃんを待っていた。無意味にスマホを弄ること二〇分、私の耳にお兄ちゃんの声が聞こえてくる。
「はは、ちげえよ。あれはヤマケンが……」
お兄ちゃんはチームメイトの人たちと楽し気に笑い合っている。家ではほとんど見られない一面だ。
「これからどうする? 飯でも行くか?」
「ああ悪い。俺はパス。用事あるし」
「何だ何だ? 彼女か?」
「そんなじゃねえし。妹送ってかなきゃいけないんだ。ほら、あそこにいるだろ」
お兄ちゃんが私を指さす。
「は? あれ柳瀬の妹? めっちゃ可愛いじゃん!」
「ほんとだ。飛翔と全然違う」
チームメイトの人たちは一様に驚いた顔で私を見る。私は対応に困りつつも、とりあえずお辞儀をする。
「こ、こんにちは……」
「こんにちは。おお、声も可愛いね。今何年生?」
「高一です」
「野球もやってるの?」
「はい。女子野球部に入ってます」
「へえ。ポジションは?」
矢継ぎ早に質問が飛んでくる。一応こういう経験は昔からあるので慣れていないわけではないが、気持ちの良いものではない。
「いい加減にしろよお前ら。うちの妹は見世物じゃないんだから」
見兼ねたお兄ちゃんが仲介する。こういう気遣いをしてくれるところが私は好きだ。
「ひえー、お兄様の逆鱗に触れるのは勘弁ですな。ということで俺たちは退散するとしますか。じゃあ飛翔、また大学でな」
「おう」
チームメイトの人たちと別れ、お兄ちゃんと私は二人きりになる。場の空気がちょっとだけ重たくなった。
「さあ帰るぞ。……っていうわけにはいかないわな」
お兄ちゃんは歩き出す振りをして止まる。今日の試合の出来を考えれば、私が何か物申したくなることなど容易に想像できるだろう。当然私も、有耶無耶に終わらせる気は無い。
「……どうして、本気のスライダーを投げなかったの?」
私は開口一番、お兄ちゃんに尋ねる。何故こういう聞き方をしたのかというと、そうしないと私自身が納得できなかったからに過ぎない。そしてお兄ちゃんは、そんな私の情けなさをあっけなく叩き割る。
「本気だったよ。俺が今日投げたスライダーは、全部本気のスライダーだ」
「そんなわけない! だったらあんなに打たれるはずないじゃん!」
「打たれたんだよ。二本のヒットもホームランも、どれも全力で投げて打たれたんだ」
「ち、違う! 違う……」
私は必死にお兄ちゃんの言葉を否定しようとする。でももうこれは誰のためでもない。ただの私の独りよがりだ。そう理解した私は、一気に声のトーンを沈める。お兄ちゃんは私が完全に静かになったのを見計らい、徐に口を開く。
「これで分かっただろ。俺のスライダーは最強なんかじゃない。寧ろ通用しなくなってるんだよ」
お兄ちゃんは優しく私に語りかける。それが却って私の心に染みる。
「なら私は、どうしたら良いの……?」
頭が真っ白になる。お兄ちゃんのスライダーは最強じゃない。その事実に、私は自分の行くべき道さえ閉ざされた気がした。
「どうすれば良いか? 別に難しいことじゃないだろ。お前はお前のスライダーを手に入れれば良いんだよ」
「私のスライダー?」
「ああ。お前だけが投げるための、お前しか投げられないスライダーを創り出すんだ。それこそお前が、これからやるべきことだ」
お兄ちゃんは力強く言い切った。私に道標を示す先導者の如く。
「俺も今日の反省を活かして、今のスライダーを改良していくよ。それでまた試合で使えるようにするんだ」
「それが、ウイニングショットを習得するってことなの?」
「俺はそう考えてる。今までもそうやってきたしな」
私の問いかけに、お兄ちゃんは大きく頷きながら答える。そこでふと、私はあることに気付く。
「……お兄ちゃんも、実はスライダーに拘ってるんだね」
「え?」
「だってそうじゃん。お兄ちゃんはスライダーを小学生から投げ続けてるって言ってたけど、それだけ打たれては調整を繰り返してきたってことでしょ。普通なら諦めたり、他の変化球に変えたりしてもおかしくないはず。だけど今回だってまた改良するって言ってる。それがお兄ちゃんがスライダーに拘ってる何よりの証明だよ」
「あー。なるほどね……」
お兄ちゃんはうっすらと白い歯を見せ、何かを懐古しているような表情になる。どうやら私の言ったことは正解みたいだ。その瞬間、胸の痞えがついと下りた。
「確かにその通りかもな。そもそもスライダーを投げ始めた動機も、お前と似たようなもんだし。憧れが消えない限り、どれだけ打たれたってスライダーは捨てられないよ」
「そうなんだ。お兄ちゃんらしいね」
「そうか? よく分かんねえわ」
小首を傾けるお兄ちゃん。その仕草がちょっと可愛らしい。
まあそれについては置いておこう。お兄ちゃんの話を聞いて、私は吹っ切れた。吹っ切れられないわけがなかった。
「お兄ちゃん、私決めたよ」
「え?」
「私は自分のスライダーを手に入れる。もうお兄ちゃんのスライダーには拘らない。お兄ちゃんのスライダーを超える、誰にも打たれないスライダーを創り上げてみせる」
「おう。その意気だ」
私の決意表明を受け、お兄ちゃんは安堵したように笑みを溢す。その真意が何なのかは分からない。けれど私を思ってのことだと考えると、物凄く心が温かくなる。
「よし。じゃあ帰るか」
「うん。私お腹空いちゃった」
「俺もだわ。どっかで何か食ってくか」
「賛成! 私お寿司食べたいなあ。ごちになります!」
「は? ふざけんなよ。しょうがねえなあ」
お兄ちゃんは嫌がる顔を見せながらも、私の無茶なお願いを聞いてくれる。流石に申し訳ない気持ちになったが、ここはお兄ちゃんの厚意に甘えておこう。
「えへへ、やったあ。お兄ちゃん最高! そうと決まれば、混む前に行きますか」
私はお兄ちゃんと並んで歩き出す。その背中を、木の裏で隠れるように咲いていたムクゲの花が密かに見守っていた。
憧れと現実。私はその二つのバランスを見失っていた。憧れに縋りついて、それが自分を救ってくれるものだと思い込んでいた。夏大で負け、弱点を早く克服したいという焦りもあったのかもしれない。
でもそれは間違いだった。憧れはあくまでも憧れ。自分で真似できるものではないし、たとえそれに近いものができても上手くいかないことだってある。そうした時に憧れから離れ、自分なりに進化させていけるか。私が本当にしなければいけなかったのはこういうことだ。そのことを教えるために、お兄ちゃんは今日の試合を見せてくれたのだろう。
私は憧れを超えていく。憧れを超えて、唯一無二のものを生み出すのだ。今ここから、私は真の意味でリスタートを切る。
See you next base……
おまけ『今日の飛翔くん Return2』(全一回)
俺は柳瀬飛翔。今日は妹と寿司を食べにきている。
妹に寿司を奢ってやるなんて、俺はなんて素晴らしい兄貴なのだ(※個人の感想です)。
「ごちそうさまでした」
今日は十五皿で終了。試合後ということで、いつもより量が増えた。
妹の方はどうだろうか。俺で十五皿なわけだしそれよりやや少ないくらいだろう。
「え?」
俺は思わず小さな声を上げる。妹の前には、俺よりも明らかに多い数の皿が広がっていた。
「さて、次は何にしようかな?」
「お、おい真裕、今何皿目だ?」
「え? 数えてないけど、二〇くらいかな」
「そ、そうか……」
べ、別に驚くことはない。妹は食べ盛りの高校生。このくらい食べて当然だ。
……金、足りるかな。
真裕は結局二七皿食べましたとさ。めでたしめでたし。
『今日の飛翔くん Return2』終。(飛翔の財布が回復したら復活するかも)




