149th BASE
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そういえば市岐阜の選手たちの名前って、どこか懐かしく感じませんか?
六回表が始まる。祥の最初の相手は四番の大橋。右打席に入った彼女はバットを高く上げ、大きな構えを作る。
(こ、この人怖いなあ……。真裕はこういう人たちと戦ってきたのか)
大橋の雄雄しい姿を前に、祥の気持ちは反射的に後ろ向きになる。それでも意を決して自らを奮い立たせ、優築のサインを覗う。
球種はストレート。コースはど真ん中。といってもこれはそのままど真ん中に投げろという意味ではない。今の祥はど真ん中を狙って投げてストライクが入るかどうか。コースを指定しても余計なプレッシャーを与えるだけである。そのため優築は真ん中にミットを構え、ストライクを取ることに集中させる。
(これがサイン交換か。今の私、ほんとに投手やってるんだ)
その瞬間を噛みしめるように、祥がゆっくりとサインに頷く。これまで感じたことないほどに胸の鼓動が速まる中、彼女はセットポジションから足を上げ、野球人生での第一球目を投じる。
「ボール」
アウトコースに大きくすっぽ抜けた。力が入り過ぎてしまったみたいだ。
「やば……」
「ナイスボール! どんどん投げてきて」
苦い顔をする祥に対し、優築は前向きな言葉を口にして盛り立てる。少しでも祥が投げやすいようにしようという配慮だ。
二球目。サインの内容は変わらない。祥はただただ優築のミットに向けて腕を振る。
またしても抜け球となったが、一球目よりもストライクゾーンには近くなっている。しかも長打の出やすい外角高めだったこともあり、大橋は強引に打ちにきてくれた。
「え、えっと、ライト!?」
ゆったりとした飛球が右中間に上がり、祥は指をさして叫ぶ。伸びは無く、ライトの紗愛蘭の守備範囲に飛んだ。
「オーライ」
紗愛蘭は易々とノーバウンドでキャッチ。祥は記念すべき初アウトを取った。
「祥、ナイスピッチ」
「オッケーオッケー。この調子で行こう」
「は、はい」
仲間の声にうっすらと笑みを溢す祥。息苦しい緊張感も仄かに和らぐ。
次に対戦するのは五番の米田。彼女も怖いバッターだが、祥はあまり意識しないようにしつつ投球に向かう。
(私でも四番の人からアウトを取れる。誰が相手とかを気にする必要なんて無いんだ)
一球目。外角低めの際どいコースにストレートが行く。球審は迷ったように一間開けたが、ストライクの判定を下す。
(は、入った……)
祥の口元で白い歯が見え隠れする。二球目はアウトコースに外れるも、三球目はインコースでストライクを取る。これで追い込んだ。
四球目。祥の投球は高めへ。ボール気味ではあったが、米田は手を出さざるを得ない。バットの上っ面で打ち、センターへのフライを放つ。
「オーライ」
これも平凡な打球となる。洋子は悠然と落下点に入り、落ちてきたボールを掴む。
「ナイスセンターです」
祥は順調に二つのアウトを重ねる。顔の強張りが解け、声色も大分落ち着いてきた。
「よろしくお願いします」
六番の福本が左打席に入る。こうなると彼女も打ち取って、三者凡退といきたい。ところがここでちょっとした異変が起こる。祥は福本と対峙した途端、ある嫌悪感に見舞われる。
(これ、当てちゃわないかな……)
ここまでの祥はどうにも抜ける球が目立っている。彼女自身にも自覚はあった。前の二人はそれでも問題無かったが、左打者の福本に抜け球を放れば、その行先には彼女の体がある。つまりはデッドボールになるのだ。祥はどうしてもそれが気になった。
(頭とかに当てたら洒落にならない。注意しないと)
祥は福本の体から離れたコースに投げようとする。しかし先述の通り、彼女にはそれでストライクが入れられるほどの制球力は無い。
「ボール、フォア」
結局ストレートの四球を与えた。福本がバットを置いて一塁へと歩いていく。ただし既にツーアウトを取っている。優築は祥がランナーに囚われすぎないよう、忠告しておく。
「ドンマイ。切り替えていこう。ランナーは気にしなくて良い。私に任せて」
「は、はい」
打席には七番の簑田を迎える。今度は右打者なので、抜け球になっても当てる心配は無い。
初球。祥は外角でストライクを取る。四球を出した影響が懸念されるが、ここは大丈夫のようだ。
二球目が低めに外れ、続く三球目。祥の投げた直球はど真ん中に行く。簑田は思い切りバットを振り抜き、快音を響かせる。
(うわ……)
全身で寒気を感じながら、祥は打球の行方を確かめる。大きな飛球が左中間に上がり、二人の外野手が懸命に背走している。
「センターバック!」
センターの洋子は飛んでくるボールの角度から落ちてくる場所を予測し、そこに向かって一直線に駆ける。端から見ていると追い付けるかは微妙だが、洋子には何としても捕るという気概があった。
(晴香さんならこれくらい楽にアウトにしてた。あの人がいなくなったからセンターが弱くなったなんて、絶対に思われたくない)
打球が洋子の頭の上を越そうとする。洋子は右足を力強く踏み切り、高く飛び上がる。
「おっとっと……」
着地した洋子は前傾姿勢になり、腹から下に倒れ込む。だが彼女は掲げたグラブには、地面に触れていない白球が収まっていた。
「アウト。チェンジ」
祥を救う超ファインプレー。これには敵味方問わず、こぞって拍手が沸き起こる。
「はあ……」
ひとまず一イニングを投げ切り、祥は深い溜息をつく。両肩に疲労感がどっと押し寄せてきた。彼女はベンチに引き揚げる前に、戻ってきた洋子に感謝を述べる。
「洋子さん、ありがとうございました」
「いやいや、これくらい任せて。それよりナイスピッチング。次の回も頼むよ」
「え? あ、はい」
洋子の最後の言葉に、祥の心臓が異常な拍動を起こす。彼女の登板予定は二イニング。そのため七回表も投げることになる。
「祥、悪くなかったぞ。まだ行けるか?」
「へ? ああ……」
隆浯が一応の確認を取りにくる。祥は降板するという選択肢も頭に過ったが、そんなことが許されるわけがない。ここが体育会系の辛いところである。
「い、いけます。大丈夫です」
祥が続投することを伝える。それを聞いた隆浯はほんの少しだけ相好を崩し、満足そうに頷いて自分の席に腰を下ろした。
「祥ちゃん、ナイスピッチング。次のイニングも頑張ってね」
続いて真裕が話しかけてくる。祥の肩に優しく手を乗せ、労いと励ましの言葉を口にする。しかし心なしかくぐもった声をしており、いつもの彼女より雰囲気が暗い。
「ああ、うん。頑張るよ」
祥がそう応答すると、真裕は味方の攻撃の応援をするべく他のメンバーに混ざっていった。その背中にそこはかとない哀愁が漂っていたことに祥は疑問を抱きつつも、次の回に備えて汗を拭う。それから脱力したようにベンチに座り、視線の先でマウンドを捉える。
(もう一回あそこにいかなきゃいけないのか。怖いな……。けど任せてもらったんだから、ちゃんとやらなくちゃ)
気は重かった。ここで終いにしたいという思いも強かった。しかしもう後には引けない。祥は必死に自分の心を奮起させながら、スポーツ飲料を飲んで水分捕球をする。外気に晒されたせいで生温くなっており、求めていたような爽快感は得られなかった。
See you next base……
PLAYERFILE.54:大橋穣
学年:高校二年生
誕生日:5/29
投/打:右/右
守備位置:外野手
身長:163/61




