138th BASE
お読みいただきありがとうございます。
前回の話を書いていて、少年野球で真夏に30分タイヤ引いて走り続ける練習をやっていたことを思い出しました。
あれは地獄でしたね。
皆さんもぜひお試しください(!?)。
手も足もぼろぼろの中、私たちはダウンとグラウンド整備を済ませ、今日は解散となる。ただ何人かの人はすぐに動き出せず、ベンチに座ったまま呆然としている。
「はあ……。ウチは燃え尽きたよ。燃え尽きた……、真っ黒な灰の如くね」
俯き加減で地面を見つめ、そう呟いたのは京子ちゃんだ。確かに今の彼女はその表現がぴったりだが、最近そういうネタが散見しているので、少しばかり自粛していただきたいものである。
「ほら京子ちゃん、茹蛸になる前に帰るよ」
「歩けない。連れてって」
「はあ⁉ はあ……」
私は京子ちゃんを無理矢理立ち上がらせ、荷物を持って部室に連れていく。部室に着くと、今度は練習着姿のまま壁にもたれかかって静止している祥ちゃんが目に入る。その横では、制服に着替えた紗愛蘭ちゃんが困り果てていた。
「あ、真裕。どうしよう、祥がさっきからずっと動かないんだけど」
「あー。まあこうなるよね。炎天下であんだけ走ったわけだし」
私は祥ちゃんの元に寄り、何とか動かそうとする。
「祥ちゃん、頑張って。とりあえず顔でも洗ってこようか」
「私は燃え尽き……」
「もうそのネタは良いから。そろそろ怒られちゃうから」
祥ちゃんの下顎を軽く揺すってみる。柔らかな弾力があってちょっと癖になりそうだ。
しかし何も起こらない。
「こりゃ駄目ですわ。紗愛蘭ちゃん、ごめんだけど、この二人の介抱を手伝ってもらっても良い?」
「構わないよ。ていうか、こんな状態じゃ放っておけないしね」
「ありがとう。じゃあ私、先に着替えちゃうね」
私は急いで自分の着替えを終える。うなじに冷水を当てて「ちょー気持ち良い!」と叫びたいところだが、今はそれどころではない。これから暫くの間は、大変な日々が続きそうだ。
その後は京子ちゃんと祥ちゃんの世話に手間取り、私が家に帰宅するのは午後三時過ぎになってしまった。
「ただいま」
「おお、おかえり」
居間ではお兄ちゃんがパソコンを弄っていた。今日は外出すると言っていたが、もう帰ってきたということだろうか。
「遅かったな。今日は午前練だろ?」
「うん。ちょっと色々あってね」
「ふーん。飯は?」
「まだ。何かある?」
「昨日の夜にお前が食べなかった残りが、冷蔵庫に入れてある」
「ああ、なるほど」
私は冷蔵庫を開けてみる。中段に置かれた丸い大皿に、たくさんの餃子が敷き詰められている。
「昨日って餃子だったの? 良いなあ」
「良いなあじゃねえよ。お前が帰ってくるから餃子になったんだろ。それなのに出掛けやがって」
「あはは……。ごめん」
私は苦笑いをしてほっぺたを掻く。
「俺に謝っても仕方ねえだろ。ほら、温めといてやるから、お前はシャワー浴びてこい」
「え? 良いの?」
「ああ」
「やった。ありがと」
お兄ちゃんがパソコンを閉じて立ち上がる。私は皿をキッチンに出し、着替えを持って洗面所へと向かった。
シャワーから上がり洗面所を出ると、餃子の良い匂いがこちらまで漂ってきた。私は急いで居間に入る。卓上には湯気を纏った餃子と白いご飯、更にはプリンが用意されていた。
「わーい。いただきます」
私は早速箸を手に取り、餃子を丸ごと一つ頬張る。口の中に広がる肉汁と、鼻腔を擽る大蒜醤油の香ばしい風味。これなら無限に食べられそうだ。
「うん。美味しい」
「ふっ、そりゃ良かったな」
「むっ。今鼻で笑ったでしょ」
「別にそんなことしてねえよ」
向かい側に腰掛けていたお兄ちゃんは、穏やかな眼差しを向けてくる。何となくだが、話す声がいつもより明るい。
「なあ真裕、これから時間ある?」
「大丈夫だよ」
「じゃあさ、キャッチボールでもやらん?」
「え?」
私の食べる手が止まる。
「……今、なんて言った?」
「キャッチボールやろって言ったんだよ。何かおかしいとこあったか?」
「そんなことは無いけど……」
「で、どうなの?」
「も、もちろん良いよ!」
私は慌てて承諾する。断る理由などあるわけがない。心の底から込み上げてきた嬉しさを、何とか表に出ないよう堪える。
ということで私は大至急餃子を平らげ、グラブを持ってお兄ちゃんと庭に出た。互いに良い具合の距離に離れたところで、お兄ちゃんの左腕から一球目が投じられる。
ボールは胸元に真っ直ぐ届き、私はそれを丁寧に掴む。お兄ちゃんにとっては、それとはなしに投げただけのただの一球なのかもしれない。けれども私にとっては、とてもとても重たく感じられる一球だ。
「ナイスボール」
「ナイスボールって、馬鹿にしてんのかよ。これくらい当たり前だろ」
「うふふ、そうだったね」
お兄ちゃんからキャッチボールに誘ってくるなんて、いつぶりだろうか。少なくともお兄ちゃんが大学に入ってからは無いので二年近くは経過しているはずだ。これまでは決まって、私が半強制的に引っ張り出していた。
「びっくりしたよ。お兄ちゃんがキャッチボールやろうって言うなんて」
私がボールを投げ返す。ふんわりとした放物線を描き、お兄ちゃんのグラブに収まる。
「俺さ、もう一回野球をやってみようと思ってるんだ」
「へ? ほんとに言ってるの?」
まさかの一言だった。私はにわかには信じられず、耳を疑う。
「ああ。来週辺りから大学の野球部に復帰する予定」
「そうなんだ……」
聞き間違いではない。お兄ちゃんは確かに、また野球を始めると言ったのだ。私の中の嬉しさが、更に大きくなる。
「けどどうしていきなり? そんな気配全然無かったじゃん」
「ま、こっちにも色々あるんだよ」
「色々?」
「誰かさんに止まってた時計の針を動かされた。それだけだよ」
お兄ちゃんはそう言って、再び私にボールを投げる。何となく理由をはぐらかされているように思えた。だけどそんなことはどうでも良い。もう一度お兄ちゃんが野球をする。その事実だけで、私は胸が一杯になる。
「ふふっ。嬉しいな」
私は感慨深く声を漏らす。
「どうしてお前が嬉しがるんだよ」
「しょうがないじゃん。ほんとに嬉しいんだもん。落ち着いたらさ、試合とか観にいっても良い?」
「勝手にしろ。といってもそんなに簡単に試合には出られないだろうけどな」
「そんなことないよ。お兄ちゃんならできるって」
「そりゃどうも」
お兄ちゃんは相変らず素っ気無い。こんなにも妹が喜んでいるというのに。
おそらくこのキャッチボールは、お兄ちゃんが新たな一歩を踏み出すための儀式のようなもの。私は勝手にそんなことを考えながら、次の一球を投げる。
「お、ナイスボールじゃん」
「何言ってんの。これくらい当たり前だよ」
だがこれだけでは終わらなかった。このキャッチボールはこの後、私自身にも重大な転機を齎すことになる。
See you next base……
柳瀬家秘伝の餃子の作り方
①ひき肉、細かく刻んだ韮と玉葱、味噌、すりおろした生姜と大蒜を混ぜ合わせて餡を作ります。
②餡を皮で包みます。餃子一つ対する餡の適量はスプーン一杯分。入れ過ぎると上手に襞を作れなくなるので注意しましょう。
③ホットプレートで焼きます。予め底に軽く火を通してから、水を掛けて蓋をし、蒸し焼きにします。
④良い感じに焼けてきたら蓋を開け、適当に水分を飛ばしたら出来上がりです。酢醤油やラー油など、調味料はお好みで。




