132th BASE
お読みいただきありがとうございます。
先日のノートルダム大聖堂の火事には驚愕しました。
個人的に行ってみたい場所の一つだったので非常に残念です。5年かけて復興させるということなので、また新しくなった頃に訪れられたらと思います。
監督が何か喋っている。ちゃんと聞かなくちゃと思うのに、さっきから全く内容を理解できない。周りで泣きじゃくる人たちの咽び声が耳に入ってくるばかりだ。かくいう私も、その一人なのだが。
私たち亀高は、負けた。ほんの十分前の出来事だ。
舞泉ちゃんもいる奥州大学付属高校との準決勝、私たちは七回裏の時点で一点をリードし、ツーアウトまで漕ぎ着けた。満塁のピンチではあったものの、空さんが最後の打者をショートゴロに打ち取ってゲームセット……のはずだった。
ところが打球はレフトまで転がっていき、その間に二人の走者が生還。五対六でサヨナラ負けとなった。ショートを守る風さんは、マウンドの横でうつ伏せになって倒れており、試合後に病院へと直行した。
それ以降のことはほとんど記憶に無い。次の試合もあるのでおそらく大急ぎでベンチを出たはずなのだが、それすらも覚えていない。気付いたらグラウンドの外にいて、ミーティングが始まっていた。
「よし。ひとまずここではこのくらいにしておこうか。色々と話すのは、宿舎に戻ってからの方が良いだろう」
監督が話を切り上げる。未だ涙の収まらない私たちを慮ってくれたのかもしれない。
この後はそれぞれに分かれ、応援に駆けつけてくれた人たちにお礼を言って回る。私もお兄ちゃんに声を掛けようと思ったが、姿は見当たらない。スマホでメッセージを送っても音沙汰無しであった。
「真裕、どうしたの?」
そこへ、紗愛蘭ちゃんが話しかけてくる。紗愛蘭ちゃんは泣いてこそいなかったものの、鼻を真っ赤に染めている。
「お兄ちゃんを探してるんだけど、どこにもいないみたい。帰っちゃったのかな」
私はあどけなく微笑んでみせる。ただ私の目尻も赤く腫れており、この笑顔が作り物であることは、紗愛蘭ちゃんに一目で見抜かれたようだった。
「そっか……」
それだけ言って黙り込む紗愛蘭ちゃん。私も言葉を返すことができず、暫く風で髪を揺らすだけの時間が二人の間に流れる。数秒経ったところで、紗愛蘭ちゃんの方が重たそうに口を開いた。
「負けちゃったね……」
「うん」
「ごめんね。私が六回のチャンスで打てていれば、勝てたかもしれないのに」
「違うよ。紗愛蘭ちゃんは悪くない。それよりも、私がちゃんと抑え切らなきゃいけなかったんだ。三点も取ってもらったのに初回から崩れて、挙句に逆転されて。迷惑かけっぱなしだった」
私は奥歯を強く噛みしめる。先発投手としての役割を果たせず、結果的にチームの敗戦を招いた。
「そんなことないよ。真裕はよく投げた。先輩たちだってそう思ってるよ」
紗愛蘭ちゃんは私を労わってくれる。ただその優しい態度が、却って私の悲壮感を増幅させる。
「でも……でも……」
私の瞳から再び大粒の雫が溢れ出す。改めて込み上げてきた悔しさを、私は堪えることができない。
「悔しい、悔しいよお……」
喉の奥がもの凄く熱い。しゃがれた声で泣く私を、紗愛蘭ちゃんは柔らかに抱きしめ、背中を撫でてくれる。私は彼女の右肩にぐったりと、頭を乗せた。
しかし、このやりとりを許さないと言うかのように、卒爾に割って入ってきた者がいた。
「またそうやって、誰かに慰めてもらってるんだ」
「へ?」
私は後ろを振り返る。その先にいたのは、私たちを下した奥州大付属の“怪物”一年生、小山舞泉ちゃんだった。
男子に引けを取らないくらい背が高く、真っ新な黒髪を靡かせる舞泉ちゃんの立ち姿は、それだけで優美な絵になりそうだ。だがその表情に笑みは無い。勝者であるはずなのに、何故あまり嬉しそうにしていないのだろう。
「舞泉ちゃん……」
私は涙を拭い、舞泉ちゃんと目を合わせる。舞泉ちゃんは少しだけ間を置くと、眉間に小さな皺を寄せて私に言い放つ。
「私たち、優勝するから」
力強い言葉。初めて会った時と変わらず、自分たちが勝つことをあたかも当然であるという、過剰なまでの自信が漲っている。ただしその口調には、ほんの僅かな隙間が空いており、そこに悔しさが挟まっているような気がした。
更に舞泉ちゃんは続ける。
「来年は、弱点を克服して戻ってきて。私たちはチャンピオンとして待ってるから」
「私の、弱点?」
「それだけ。さよなら」
舞泉ちゃんは私たちに質問する間合いを与えず、別れを告げてチームメイトの元へと去っていく。聞き返したいことはあったが、今の私たちに彼女を引き留めることなど、どうしてできようか。
たった数行交わされただけの会話だった。それでもその内容は、私の胸にずっしりとのしかかる。同時に私は己の無力さを実感し、三度流涕する。もう自分の体温がどれほど上昇しているか把握できない。私は涙で頬を濡らしながら、一つの新たな決意をした。
「紗愛蘭ちゃん」
「何?」
「……来年は絶対、優勝しようね」
私の声は震えているかもしれない。呂律も回っていないかもしれない。けど、それで良い。今はこの抱えきれないほどの悔しさと虚しさを胸に刻みつけ、これからの糧にしよう。もう二度と、こんな惨めな思いをしないために――。
私たちは今日、負けた。夏の大会も終わった。優勝を目指して準決勝まで来たが、その夢は儚く散った。
グラウンドでは、大きな大きな歓声が湧いている。
See you next base……
WORDFILE.52:サヨナラ
最終回または延長回において、後攻のチームが決勝点を上げると同時に試合が終了すること。野球は両チームの攻撃機会が均等に与えられるが、最終回の裏に後攻のチームが一点でもリードした時点で試合を続ける必要は無い。そのため同点または先攻チームリードで最終回に入り、後攻チームが勝ち越した場合、スリーアウト目を待たずして試合は打ち切られる。このようにして終わった試合はサヨナラゲームと呼ばれる。
基本的にサヨナラゲームは後攻チームが一点だけ上回るスコアになるが、ホームランで試合が決した時には、全ての分がスコアに加算される。例えば二対二というスコアで最終回に入り、ランナー二、三塁から打者がヒットを放って二人の走者が生還しても、二塁ランナーの得点は加算されず、三対二が最終的なスコアになる。一方で、打者がホームランを打った場合は、二人のランナーと打者の分の得点が加算され、最終的なスコアは五対二となる。




