129th BASE
お読みいただきありがとうございます。
前回の話で取り上げていますが、緊張しない人って本当に羨ましいですよね。
でも個人的には、緊張することで発揮される力もあると思ってます。
「ライト!」
舞泉の叫びも虚しく、珠音の放った打球は背走するライトの左でバウンドする。二塁ランナーの晴香が三塁を回り、ホームベースを踏む。
「もう一人来い!」
更に一塁ランナーの玲雄もホーム突入を敢行。追加点を狙う。
「バックホーム!」
ライトの島谷から中継を介し、ボールは本塁に返される。白間が捕球するのとほぼ同じタイミングで、玲雄がベース目掛けて滑り込んできた。
(同点のランナーを生還させたのは私の責任。もう失敗は繰り返さない)
白間は玲雄の足先にタッチする。スライディングの勢いにも堪え、ミットからボールを放さない。
「アウト。チェンジ」
球審は一拍置いて状況を確定させ、アウトをコールする。六点目は防がれた。しかしスコアボードには五点目が確かに刻まれ、亀ヶ崎は再逆転を果たす。
「おっしゃー!」
珠音は右拳を突き上げ、感情を爆発させる。これまではヒットを打っても特に何も感じなかった。けれども仲間の想いを肌で感じながら応えた特別な一打に、心が躍らないはずはなかった。
(ヒットを打つってこんなに嬉しかったっけ? まあ良いや。とっても幸せだし)
珠音はこの時、野球の真の楽しさに触れた気がしていた。その一部始終を見ていた杏玖の顔にも、自然と笑みが零れる。
(珠音があんな喜んでるの、初めて見たかも。やっと目覚めてくれたみたい。ま、そうじゃないと私たちが困るんだけどね)
杏玖はずっと珠音に発破を掛け続けてきた。先ほど珠音に口調を強めたのもその一環である。三年生が引退した後の新チームで、珠音は間違いなく中心選手になる。だがこれまでのように熱が冷め切ったままでは、他の選手にも本人にも悪い方向に作用してしまう。そう考えた杏玖は何とか珠音を変えようとしていたのだ。その甲斐あり、珠音は今、新たな境地へと足を踏み入れることができた。
「珠音、ナイスバッティング」
「イエーイ。杏玖のおかげで打てたよ。ありがと」
「はいはい。それは良かったよ。さあ最終回、絶対守り切るよ」
「オッケー」
いの一番に帰ってきた珠音を出迎え、杏玖は二言三言言葉を交わす。二人の力で生んだ勝ち越しタイムリー。三年生の繋いだ想いを二年生が成就させ、亀ヶ崎は土壇場でひっくり返した。この裏を抑え、決勝への切符を手にすることができるのか。
「すみません、遅くなりました。どうなりましたか?」
七回裏に入る直前で、治療を終えた風がベンチに顔を出す。試合の状況は逐一報告されていたので、同点になったことまでは知っていた。
「あ、風さん。逆転しました。珠音が風さんのバットを使って打ったんです!」
「ほ、ほんとに? しかも私のバットを使ってって……。ふふっ、嬉しいことやってくれるね」
仲間から吉報を聞き、風はほっとしたように表情を和らげる。医務室に行く時は肩を担がれていたが、現在は自力で立てている。隆浯は守備に送り出す前に、一度確認を取る。
「待ってたぞ。行けるか?」
「はい。そのために戻ってきたんですから」
風は一転して険しい目つきを作って返答する。ただ実を言うと、足の状態はそこまで良くない。患部には青あざができ、今は湿布とテーピングで誤魔化している。しかし次の回も必ず守ると約束した以上、破るわけにはいかない。それに誰にもショートのポジションを譲りたくないという意地もある。
「分かった。なら行ってこい」
「はい!」
風は力を込めて返事をすると、グラブを持ってグラウンドに飛び出していく。当然それなりの痛みは感じたが、彼女は大丈夫だと自分自身に言い聞かせる。
(この程度なら守る分には全然問題は無い。送球は左足と上体で何とかする)
定位置に着いた風。二塁ベース付近では、相棒の光毅が待っている。
「おかえり」
「ただいま。あの技使ったらしいじゃん」
「おう。バッチリ決めてやったぜ。でも試合終わったら二人とも説教だって」
「え? そ、それは勘弁……」
風と光毅は揃って苦笑いする。だが心の中はとても温かくなっていた。二人はグラブを重ね、最後の守りに向けて互いの気持ちを高め合う。
そして亀ヶ崎は真裕に代打を出したことにより、投手が交代する。マウンド上には、背番号一の姿があった。
《亀ヶ崎高校、代打致しました増川さんに代わりまして、ピッチャー天寺さん》
この試合を締めくくる役目を任されたのは、エースの空。普段の継投の型を考えると葛葉だが、隆浯は三回戦からの回復が芳しくないと判断し、より状態の良い空をマウンドに送った。
(この回を抑えれば決勝に行ける。皆の力でここまで作り上げた試合を、私が壊すわけにはいかない。命燃やして、勝利を掴む)
空は深呼吸をし、大きくなった心音を平常運転に戻していく。いつもの投球をすれば打たれない。その自負は持っていた。
一方の奥州。あと一歩のところまで手が届いていた勝利は、掌を返したかのように遠のいていった。おまけにあれよあれよという間に逆転され、戦況は一変。今度は自分たちが追い詰められる立場となってしまった。
「くっそ……。どうして……」
ベンチに戻った舞泉は肩を落とす。その姿は七回表の時点での真裕にそっくりだ。如何に“怪物”と騒がれているといっても、まだ彼女は一年生。チームの勝敗を左右する場面で打たれ、そのショックを容易く振り払えるほどの強いメンタルは有していない。ましてやこれまで全く打たれていないとなれば、自分の力で立ち直れというのは酷な話である。
「ごめんなさい。私のせいで……」
声を震わせ、逆転されたことを仲間に詫びる舞泉。しかしそんな彼女を責める者など誰もいない。すぐにキャプテンの原田と棚橋ら三年生が声を掛ける。
「何言ってるの。舞泉がいたからここまで来られたんでしょ。胸張って、最後まで堂々としていてよ」
「原田の言う通りだよ。舞泉が打たれるなら仕方が無いって割り切れる。それに取られた分は私たちが打って取り返す。そこにはあんたも含まれてるんだから」
「原田先輩、棚先輩……」
二人に励まされ、舞泉は顔を上げる。七回裏の攻撃は六番から。一人でもランナーが出れば彼女に打席が回ってくる。まだ出番は終わっていない。打たれた悔しさはひとまず抑え込み、舞泉はもう一本の刀の方に集中する。
「そうですよね。私には打つ方が残ってる。必ず打ってみせます。だから私に回してください!」
「うん。頼んだよ」
原田は小さく微笑み、舞泉の肩を軽く叩く。泣いても笑っても最後の攻防。亀ヶ崎が守り切るのか。それとも奥州が三度逆転劇を演出するのか。
See you next base……
WORDFILE.51:得点の成立・不成立について
基本的に、スリーアウトを取られる前にランナーがホームベースを踏めば得点は成立する。ただしスリーアウト目が、打者走者が一塁に達する前にアウトにされるなどのフォースプレーだった場合、得点は入らない。
今回のプレーでは玲雄、つまりスリーアウト目を取られた者がフォースプレーでアウトになったわけではないので、その前にホームベースを踏んでいた晴香の得点は認められる。




