128th BASE
お読みいただきありがとうございます。
そろそろ新年度、新学年が本格的に始まった頃でしょうか。
毎年どうしてもふわふわした気持ちになりがちですが、しっかり地に足着けて頑張りたいと思います。
《五番ファースト、紅峰さん》
局面はツーアウトランナー一、二塁。未知なる感覚に戸惑いつつ、珠音が打席に入る。
(何だろうこの感じ。心臓が波打ってる気がする。頭の中もふわふわしてて、“普通”じゃない)
一球目。舞泉が投じたストレートは高めのボールゾーンへ行く。しかし何を思ったのか、珠音はバットを振ってしまう。
「え?」
「ボールボール。よく見ていこう」
「あ、うん……」
珠音本人もスイングしたことに驚いている。ここで彼女は、自分の感情の正体に気づいた。
(もしかして私、緊張してる? 何で? 今までこんなことなかったじゃん)
戸惑いを隠せない珠音。肩回りが硬化し、バットを持つ腕にも力が入らない。玲雄たちのプレーに無意識の内に感化され、その想いに応えなければならないというプレッシャーが、彼女の身体を縛り上げていた。
「あいつ……。タイム」
すかさずネクストバッターズサークルにいた杏玖がタイムを取り、珠音を呼び寄せる。明らかにいつもと違う彼女を放ってはおけなかったのだ。
「どうしたの? あんな球振って」
「私……、緊張してるのかも」
「へ? そりゃあそうでしょ。勝ち越しのチャンスなんだし」
「そういうもんなの? なったことないから分かんなかった」
「は? 何言ってんの?」
珠音の意味不明な受け答えに、杏玖は首を傾げる。だが珠音がふざけて言っているようには見えない。
「まさかあんた、今まで緊張したことなかったの?」
「うん。だからどうすれば良いのか分かんなくて、混乱しちゃってるんだよ」
「まじかよ。あんたが朝のメントレの時に手を握ってこない謎が、こんなところで解明されるとは……」
杏玖は呆れ顔で項垂れる。そう、珠音はこれまで緊張したことがない。だから対処法も知らない。いくら練習でメンタルトレーニングに取り組んでも、そもそも緊張感が作れないため、全くもって意味を成していなかったのである。
「はあ……。あんたって、やっぱ凄いわ。ちょっと手貸してみ」
「ああ、はい」
珠音は震えの止まらない右手を差し出す。杏玖はそれに自らの左手を乗せ、柔らかに頬を緩める。
「珠音、私の手を思いっきり握って。今あんたが持ってる緊張を、全部私に授けるつもりでね」
「分かった」
珠音は言われるがまま、杏玖の手を固く握る。
「続いて深呼吸」
「う、うん。はあ……」
珠音の心が動きを緩めていく。それに伴って体全体の力みも取れ、朦朧としていた脳も活性化する。
「どう? 落ち着いた?」
「うん。杏玖凄いね! 簡単に緊張が治っちゃった」
「それほどでも……って、いやいや、これができるように普段から練習してるの。あんただってやってるでしょ。ほら、行ってらっしゃい」
「はーい。あ、ちょっと待って」
杏玖は珠音を打席に送り返そうとする。ただその前に、珠音が一つ質問する。
「風さんが使ってるバットって、どれだったっけ?」
「風さん? 多分これだと思うけど」
杏玖は自分の持っていたバットに目をやる。偶然にも、杏玖は風と同じバットを使っていた。
「じゃあそれ貸して」
「え? 良いけど、あんたがいつも使ってるのよりも全然重さ違うよ」
「大丈夫。それで打ちたい気分なんだ」
「まああんたがそう言うのなら……。はいどうぞ」
杏玖と珠音がバットを交換する。珠音は杏玖からバットを受け取ると、愉快気に目尻を下げた。
「ありがとう。えへへ、絆の力、お借りします」
「へ?」
杏玖の心臓が途端に鼓動を速める。加えて頬にうっすらと赤色を灯らせ、打席に戻っていく珠音を見送る。
(あいつ、あんなこと言うタイプじゃないだろ。唐突過ぎてドキッとしたわ。けどもしかしたら、珠音の中に何か変化が起こってるってことなのかも)
杏玖が仄かな期待を募らせる中、試合が再開する。ワンストライクからの二球目、舞泉はアウトコースにストレートを投じる。
「ボール」
だが僅かに外れており、珠音は余裕を持って見極める。その所作に、奥州バッテリーは初球との違いを感じ取る。
(大分雰囲気が変わった。一度打席を外して落ち着いたか。元々良いバッターだし、気を引き締めて掛からないと)
(一気に手強くなっちゃった。でもこれで抑えられれば、またこっちに流れを引き寄せられる。もう打たれるわけにはいかない)
舞泉はロジンバックを触る。打者との対戦の途中ではほとんどこうした間を入れない彼女だが、この場面では慎重になっている。舞泉もまた、“普通”の状態ではなくなっているのだった。
三球目は内角へのストレート。珠音は思い切り引っ張っていったが、打球は惜しくも三塁側のファールゾーンへと転がっていく。
(ちょっとタイミングが早かったか。けどまだ一球チャンスはある。絶対に打ちたい。私がこのチームを、勝利に導くんだ)
珠音はバットの芯を見つめ、自分の願望を強く念じる。この瞬間、彼女は初めて勝つために必死になった。
(お、何だか不思議と力が湧いてきたぞ。そっか。これが杏玖の言ってた“普通”じゃないってことか)
周囲の雑音は消え、珠音の集中力が研ぎ澄まされる。心なしかバットを構える立ち姿も凛々しくなっている。
四球目、舞泉は低めのフォークで空振りを誘う。しかし珠音は悠然と見送った。これには舞泉も思わず顰め面になる。
(嘘? 今の結構良かったよね。どうしてそんなあっさり見切れるの?)
(流石の舞泉も困惑してるな。でもそれだけ良いフォークだった。この見逃し方じゃ、フォークを続けても意味が無い。カーブみたいな小細工はもっと危ない。だったら選択肢は一つ。真っ向勝負に出るしかない。舞泉ならそれができるはず)
白間がサインを出す。それに対し舞泉は、覚悟を決めたように重々しく首を縦に振る。
(そうだ。私にはこの真っ直ぐがある。私の真っ直ぐは、そんな簡単には打たれない!)
ツーボールツーストライクからの五球目。舞泉は足を上げ、渾身のボールを投げ込んだ。力の籠ったストレートがアウトコースを貫こうとする。
しかしそれを、珠音のフルスイングが阻む。
(皆のために、私は打つ!)
鮮やかな青い空に響き渡る、快い金属音。珠音は会心のライナーを右中間へ飛ばした。
See you next base……
PLAYERFILE.49:白間美保
学年:高校三年生
誕生日:5/7
投/打:右/右
守備位置:捕手
身長/体重:154/54




