124th BASE
お読みいただきありがとうございます。
明日からプロ野球開幕です。
毎年のことですが、前夜から半端ない緊張感が漂っています(笑)
今年はどのようなシーズンになるのでしょうか……。
《二番ショート、城下さん》
光毅と入れ替わり、右打席に風が入る。彼女がアウトとなった瞬間にゲームセット。亀ヶ崎の敗退が決定する。
「風、何でもいいから出てくれ!」
「まだまだこっから巻き返せます!」
亀ヶ崎ベンチから大きな声が飛ぶ。スタンドの応援団も最後の力を振り絞るかのように、最大限のボリュームで演奏する。
(終わりになんてしない。せっかく準決勝まで来たのに、おめおめと負けて帰るわけにはいかないよ)
初球、アウトコースに直球が来る。風は慎重に見送る。判定はボールだ。
(二回に見た時とそんなに球威は変わってない。ツーストライクを取られたら圧倒的にこっちが不利になる。その前に打ちたい)
二球目も外角のストレートが続く。風は打ちに出た。
「ファール」
バットの上を擦った打球はバックネットを直撃。真後ろに飛んだということは、タイミングは合っている。
(真っ直ぐの球道は大体把握できた。次は必ず捉える。私が繋げば晴香に回る。あの子ならきっと、何とかしてくれるはず)
ネクストバッターズサークルにいる晴香を、風は打席から一瞥する。晴香は片膝立ちのまま微動だにせず、風と舞泉の対戦を見つめている。
(晴香のプレーを最初に見た時、私は腰を抜かした。一人だけ動きが飛び抜けていて、すぐにレギュラー張ってたっけ。こういう子がプロに行くんだろうなって思わされた覚えがあるよ)
風はこの二年半、晴香の背中を追い、何とか抜かそうと努力してきた。だが実際は、その差が広がっていくのを実感するばかり。それほどまでに晴香は高い実力を保持し、チームメイトに大きな刺激を与えていた。
(ストレートには対応できてる。捻じ伏せるのも良いけど、意固地になって手痛い思いはしたくない。ここは一旦アクセントを付けよう)
(はーい。了解です)
三球目。奥州バッテリーはカーブを選択する。ストレート待ちの風は虚を衝かれる格好となる。
(カーブか。けどこれは……)
風の体から遠くに逃げていく軌道を描き、ボールが白間のミットに収まる。風は外れていると見定め、バットを出さない。
「ボール」
これでツーボールワンストライク。次が狙い目となる。
(正直、晴香の才能に嫉妬したこともあった。でもあの子がいたから、今の私がある。日本一だって届くところにいられる。晴香と一緒に野球をやれたことは、間違いなく私を大きく成長させてくれた)
舞泉が四球目を投じる。内角高めのストレート。風が待っていたボールだ。
(打てる!)
風はバットを出す。一球前のカーブとの緩急が効き、ややタイミングが遅れる。
「くっ……」
完全に球威に押されたものの、風は前へと弾き返す。打球は高くバウンドし、舞泉の頭を越していく。
「風、走って!」
晴香の声に背中を押されながら、風が全力疾走で駆け出す。アウトになればそこで試合終了だ。
「オーライ」
打球にいち早く反応したのはセカンドの織田。マウンドと二塁ベースの中間地点でボールを掴み、斜めの体勢で送球動作に移る。亀ヶ崎、万事休す。
(このチームに入って良かった。だからこそまだ終われない。私たちは絶対に優勝するんだ!)
風は頭から一塁へと突っ込んだ。懸命に腕を伸ばし、目の前のベースを触りにいく。
「セーフ、セーフ」
間一髪でセーフになる。禁じられていたヘッドスライディングをしてまで捥ぎ取った、執念の内野安打。死に物狂いで風は夢を繋ぐ。
「う……」
だが、その代償は大きかった。セーフを言い渡された瞬間、風は右の足首を押さえて蹲る。どうやら滑り込んだ際に痛めたようだ。
「風!」
光毅たちがベンチから飛び出し、一目散に風の元へ駆け寄る。風は苦悶の表情を浮かべ、自力で立ち上がることができない。
「捕まって。一旦ベンチに戻ろう」
光毅に抱えられ、風は右足を引きずりながら歩き出す。スタンドにいる応援団も、皆心配そうに見守る。
「馬鹿野郎! だからヘッドスライディングはするなって言っただろ!」
ベンチに引き揚げてきた風に対し、隆浯はこれまで見せたことのないほどの剣幕で怒号を飛ばす。ヘッドスライディングはチーム全体で禁止。ヒットになったとはいえ、風は絶対に犯してはいけない約束事を破ったのだ。
「すみません。……けど、どうしてもセーフになりたかったんです」
風の気持ちも理解はできる。一塁への到達は駆け抜けるよりも、ヘッドスライディングの方が早い。際どいタイミングで、しかも何が何でもセーフにならなければならないとなれば、たとえ駄目だと分かっていてもやってしまうのが選手の本能である。
「でも怪我をしたら意味無いだろ。お前の代わりはいないんだぞ」
「それは……」
隆浯に正論を返され、風は思わず黙り込む。そう、風の代わりはいない。彼女がいなくなれば、誰が内野のリーダーを務めるというのか。それは風自身にも自覚があった。
「もう良い。さっさと治療に行け」
「はい……」
風は伏し目になり、奥の医務室に入っていこうとする。ところがその直前で、隆浯が再び彼女を呼び止める。
「待て」
「え?」
「光毅、お前は一塁に行け。臨時代走だ。早くしろ」
「へ? あ、はい。ちょっと誰か、ここ代わって」
光毅は風の肩を担ぐのを交代してもらい、ヘルメットを被って一塁へ走っていく。選手が怪我をした時に使える臨時代走。完全な交代ではないので、プレーが可能ならば風は次の回も守備に就くことができる。
「風、必ず戻ってこい。次の回も、お前がショートを守るんだ」
風の方には全く振り向かず、背中越しに話す隆浯。口調こそ淡々としていたが、彼は両拳を固く握り、怒りを鎮めようとしているのが分かる。
「監督……」
「早く行け。俺の気が変わらない内にな」
「は、はい!」
風は顔を上げて快活な返事をし、ベンチの奥に下がっていく。隆浯は彼女の姿が完全に消えたのを察すると、次のバッターである晴香に一声掛ける。
「晴香」
「はい」
「頼む……。打ってくれ。風の想いを、無駄にしないでやってくれ。お前が最後の希望なんだ」
隆浯の声は震えていた。それが押し殺した怒りなのか、はたまた別の何かに起因するものなのかは、この場ではすぐに判別できない。けれども彼の言葉に宿る勝利への執念は、しっかりと晴香に伝わっていた。
「はい。もちろんです」
晴香は特に表情を変えることなく承諾する。うっすらと、だが確かに希望は繋がれた。期待を一身に背負ったチームの主将は、活路を開くことができるか。
See you next base……
WORDFILE.47:臨時代走
日本の高校野球などにおいては、打者が走塁や死球で負傷し、治療が必要と審判員が判断した場合、その時点で試合に出場している選手が代走として出ることを認めていることがある。臨時代走で代わった負傷者は治療が終われば試合に復帰できる。
臨時代走者に替えて別の代走を送ることはできるが、負傷した選手に対して代走が起用されたとして扱われるため、負傷者はそれ以降試合に出場できない。また臨時代走として出た選手に打席が回ってきた場合は、新たな臨時代走を使うことはできず、負傷者が走者として戻るか、正式な代走を送るかを選ばなければならない。
近年では、頭部死球の際には負傷の有無に関わらず打者はベンチに戻ることを指示され、必ず臨時代走が送られる。




