122th BASE
お読みいただきありがとうございます。
明日から春の甲子園開幕ですね。
今年は一回戦から非常に面白いカードが多いので、要注目です!
「しゃあ!」
原田から三振を奪い、真裕は小さく声を上げる。これぞ火事場の馬鹿力というべきか。真裕は自らの限界を超えて渾身の一球を絞り出し、逆境を打ち破った。
(おいおい。今の球、めちゃくちゃ手元で伸びてきたぞ。仲間から少し激励されただけで、こんな力が出せるのかよ)
原田は驚きを隠せない。そしてこの瞬間、奥州への応援ムードは一転し、亀ヶ崎の方に傾く。
「おお、ナイスボール! あの子良い根性してるじゃん」
「あと一人だ。頑張れ! もう一回真っ直ぐで封じ込んでやれ」
真裕のピッチングに感銘を受けた観客が、彼女に盛大な喝采を送る。更にもう一人、心を大きく揺さぶられた者がいる。真裕の兄、飛翔だ。
(すげえ。あいつ、ここで三振取れるのかよ。しかも球場の雰囲気まで変えやがった。……それに比べて、俺は何をやってるんだ。こんなところで呑気に突っ立ってて本当に良いのかよ)
飛翔は左拳を強く握る。劣勢を跳ね除け、目の前で輝く妹。その姿を見た兄の心の中には、嬉しさと同時にとてつもない悔恨の情が芽生えていた。
《四番ファースト、小野さん》
ただし真裕たちが安心するのはまだ早い。打席には四番の小野が入る。ここまで無安打といえど、仮にも奥州の主砲である。心して挑まなければならない。それは亀ヶ崎バッテリーも承知していた。
(さっきの一球は最高だった。けどそれに酔っては駄目。ここはクールダウンして、一から組み立て直さないと)
初球、優築はカーブのサインを出す。真裕は丁寧に低めへ投げ込み、まずはストライクを一つ先行させる。
「良いねえ。その調子で行こう」
「どんな打球が来ても止めてやるぞ」
内野陣も懸命に真裕を盛り立てる。この声は確かな力となり、真裕の背中に届く。
しかしそんな彼女たちの様子に、三塁ランナーの舞泉は難色を示していた。
(この場面であの球が投げられるは流石だよ、真裕ちゃん。センターの人の言葉に奮起したんだね。けどさ、君はピンチになる度に、毎回毎回ああやって誰かに助けてもらい続けるの?)
二球目、内角低めに直球が外れる。小野は少しだけ足を引いて見逃す。
(甘い。甘いよ。そんなんじゃ、私たちには勝てるわけないじゃん)
三球目は外角へのストレート。僅かにボールとなったが、投じている球の勢いはまだまだありそうだ。
(一塁は空いている。だから最悪歩かせても良い。ここはボールが増えることを怖れず、厳しく攻めるわよ)
(はい)
ツーボールワンストライクからの四球目。バッテリーは内角のツーシームで行くことを決める。サインに頷き、セットポジションに入る真裕の目に、ふと舞泉の顔が映る。
(ごめんね舞泉ちゃん。ホームは踏ませないよ。ここを抑えて、私が勝つんだ)
舞泉と刹那にアイコンタクトを交わし、真裕が投球モーションを起こす。小野の膝元に構えられた優築のミットを目がけ、彼女は体全体の力を込めて右腕を振る。
真ん中やや低めのコースから、投球は滑らかに斜め下へと沈んでいく。小野は反射的にスイングを開始する。
(真裕ちゃん、良い顔してたな。けどごめんね。それでも勝つのは、私たちなんだよ)
舞泉が見守る中、小野がバットにボールを乗せる。青空に向かって掬い上げられた白球は高々と舞い、追い風に身を委ねながらレフトへと飛んでいく。
「え……?」
真裕は呆気に取られたかのように口を半開きにし、打球の行方を見守る。レフトの玲雄が必死に後退するも、打球は落ちてくる気配が見られない。球場全体が静寂に包まれる。三塁ランナーの舞泉はゆっくりホームベースを踏み、うっすらと相好を崩した。
(ほらね。勝つのは私たちなんだって)
打球がようやくグラウンドに弾む。その地点はフェンスの代わりとして用意されていた黒い柵を、越えていた。
「おお!」
「ああ……」
悲鳴と歓声が混じり合う。打った小野は、大きなガッツポーズをしながらダイヤモンドを一周する。逆転のスリーランホームランが飛び出した。
「そんな、嘘でしょ……」
呆然とする優築。真裕が投げたボールはしっかりと指に掛かり、制球もされていた。小野がバットを動かした瞬間、優築は内心してやったりと思った。それがよもや、ホームランにされようとは……。
「よっしゃ! 逆転だ!」
小野がホームインし、仲間たちと大袈裟にハイタッチを交わす。地獄の底にいたチームを、一振りで救ったのだ。これだけ喜ぶのも無理はない。
反対に、亀ヶ崎は一瞬にして地獄の淵へと突き落とされる。痛恨の一打を献上した真裕。受けたショックの大きさは、打たれた本人以外に図り知れるものではないだろう。彼女はがっくりと肩を落とし、膝に手を付く。そのまま崩れ落ちてしまいそうだ。
「優築! 真裕をフォローしろ!」
「あ、はい」
隆浯に我に返らされ、優築は慌てて真裕を助けにいく。だが、その必要は無かった。
「ああ!」
なんと真裕は自分で顔を上げたのだ。マウンドに向かおうとしていた優築も、これには思わず後ずさる。
「ま、真裕……」
「私は大丈夫です。早く次に行きましょう」
真裕は鬼気森然とした面構えで優築を追い返す。逆転を許した。けれども、彼女の心はまだ折れてはいなかった。
(まだだ。まだ終わってない。私はまだ、投げなくちゃいけないんだ)
己の力のみで真裕は再び立ち上がった。そんな彼女を見ていた舞泉は少しだけ驚くと共に、心臓が加速を始めるのを感じる。
(へえ、やるじゃん。ちょっと遅すぎたけどね)
ランナーがいなくなり、打席には五番の島谷が入る。亀ヶ崎はこれ以上傷口を広めないよう、この島谷で切らなければならない。
初球、アウトコースにストレートを投じる。島谷は打ちにいくも、空振りを喫する。
(あれ? 打てると思って振ったのに当たらなかった。まさかここにきて、スピードが上がったっていうの?)
二球目。高めにストレートを続ける。ボール気味のコースだったが、島谷は思わずバットを出してしまい、ハーフスイングを取られる。
(島谷を力で押してる。あんな手痛い一発を食らった後に、これだけの球が投げられるのは本当に感心するわ。だったら私は、それが活かされるようなリードをしないとね)
三球目、バッテリーは外に逃げていくカーブでタイミングを狂わせる。直球に押し込まれるイメージが残っていた島谷は、咄嗟に反応してしまい、バットの先端に引っ掛ける。
「オーライ」
高く跳ねた当たりがショートに飛ぶ。合わせ辛い打球だが、前進してきた風はショートバウンドで捌き、素早く一塁へ転送する。
「アウト。チェンジ」
これでスリーアウト。真裕は寂し気にマウンドを降りていく。ホームランを引きずり、気持ちが切れてしまってもおかしくなかった。しかし彼女は踏ん張った。その熱投を称え、スタンドから労いの拍手が起こる。中でも飛翔は我先にと手を叩いていた。
だが打たれた投手にとって、そんなのは何の気休めにもならなかった。
See you next year……
PLAYERFILE.48:小野琥珀
学年:高校二年生
誕生日:1/28
投/打:右/右
守備位置:一塁手
身長/体重:158/57




