106th BASE
お読みいただきありがとうございます。
2019年に入って早1ヵ月が経ちましたね。
ということは平成も残り3か月。
「平成最後の○○!」にも更に拍車がかかっていきそうです。
須知の放った鋭い当たりはレフトへ抜けていく。一塁ランナーまで還れば、亀ヶ崎の逆転サヨナラ負けだ。
「ファール、ファール」
しかし三塁塁審は両手を大きく広げ、ファールの判定を下す。ほんの数十センチだが、ボールの弾んだ位置は白線より外側だった。
「危ね……」
打球の行方を見届けた葛葉の口から、思わず言葉が漏れる。ホームで見ていた優築も心の中で溜息をつく。一球で勝敗が決まる状況。今のような投げミスは命取りになる。
(ほんの紙一重だった。勝利の神様はまだこちらに味方しているということか。でも次の球はどうする? この際ストライクが取れれば何でも良いけど、続けてフォークは怖い)
三球目、優築は低めのスライダーを要求する。だがまたもや葛葉は投げ切ることができず、大きく高めに外れる。
(これも駄目か……。もしや葛葉さん、去年のこと気にしてるのか?)
優築は一年前の敗戦の瞬間、ベンチの中にいた。そのため葛葉の暴投も目の当たりにしている。生還したランナーを迎えて喜び合う花月ナインの横で、呆然と立ち尽くす葛葉の姿は、今でも目に焼き付いている。
(あの時、私がマスクを被っていたら逸らさなかった、なんて失礼なことは言えない。けど今なら、同じ結末にならないように導くことはできる)
「葛葉さん!」
優築が葛葉に呼びかける。いつになく熱のこもった声に、葛葉の身体は若干びくつく。
「私は絶対に後ろにやりません! どんな球でも止めてやります! だから葛葉さんは何も怖がらず、全力で腕を振ってください!」
「優築……」
絶対に後ろに逸らさない。そんな優築の力強い叫びが、葛葉の胸に突き刺さる。そしてそこに棲みついた恐怖の塊を、一気に砕いた。
(何生意気なこと言ってんだよ、全く。じゃあほんとに暴投しても、全部のお前の責任にするからな)
葛葉は微かに口角を持ち上げ、優築のサインを確認する。球種はスプリット。葛葉は迷わず頷く。
(低めに投げ切ればきっと振ってくれる。あとは優築を信じるのみだ)
四球目、葛葉の投じたスプリットは、綺麗に真ん中から沈んでいく。打ち気に逸っていた須知は咄嗟に手を出し、空振りを喫する。ボールは優築の手前でワンバウンド。少々不規則な跳ね方となったが、優築は懸命に前へと弾く。
「ストップストップ」
これでは三塁ランナーは突っ込めない。優築は辻本を目で牽制しながらボールを拾い、葛葉に返す。
「ナイキャッチ」
「そっちもナイスボールです。これで追い込みましたよ。次も頼みます」
「おけ」
カウントはツーボールツーストライク。次が勝負の一球となる。優築の出したサインは、スプリットだった。
(もちろんそうなるよね。分かりました)
葛葉はゆっくりと首を縦に動かす。腰の具合を考えると、もうそんなに球数は投げられない。ここで終止符を打てるか。
(大丈夫。抑えられる。一年前の屈辱を、今ここで晴らすんだ!)
葛葉が投球モーションに入る。腰の痛みを振り切り、彼女は全身全霊を傾けて五球目を投げた。
先ほどとほぼ同じコースから、切れ味鋭くボールは落ちていく。スプリットが来ることは予測していた須知だが、それでも反射的にスイングを始めてしまう。
(くそっ、終わってたまるか……)
須知は必死に食らいつき、何とかバットに当てた。三塁とホームベースを結ぶ中間点辺りに、弱々しい飛球が上がる。
「サード!」
サードの杏玖が咄嗟に前に出る。ただ彼女ではノーバウンドで捕れそうにない。仮にワンバウンドになれば、一塁は際どいタイミングとなる。最後の最後で、非常に憎たらしい打球が飛んだ。
「オーライ!」
しかし杏玖より前に葛葉が反応良く動き出していた。痛む腰を持ち上げ、浮遊する白球に向かって飛びつく。
(今日は皆に支えられてここまで来た。それをこんなしょうもない当たりで無駄になんてさせない。入れ!)
葛葉の体はお腹から落下。彼女の腰に今日一番の痛みが走る。グラウンド、ベンチ、球場内にいた者全員が、息を殺して葛葉に視線を注ぐ。
「はあ……はあ……、これでどうよ?」
葛葉は丁寧に左腕を翳す。その手に付けた紺碧のグラブの中では、白球が確かに姿を覗かせていた。
「アウト。ゲームセット」
「おお!」
決着が付いた。五対四。一点差で、辛くも亀ヶ崎は逃げ切った。
「うう……」
「く、葛葉さん⁉」
アウトのコールを聞いた後も、葛葉は中々起き上がってこない。優築を筆頭に、葛葉の元に亀ヶ崎ナインが血相を変えて集まる。
「大丈夫ですか?」
「ノープロブレム。へへへ」
心配そうに尋ねる優築に、葛葉はにっこりと笑いかける。おまけに右手で勝利のピースサインを作った。駆けつけた仲間たちが皆、胸を撫で下ろす。
「あ、けどこの体勢楽だし、もうちょっとこうしていたいかも」
「何馬鹿なこと言ってるんですか。整列しますよ」
「えー。ケチだなあ」
優築に手を引かれ、葛葉がゆっくりと起き上がる。そうして、仲間と一緒にホーム前に並んだ。
「ありがとうございました!」
天色の空に、少女たちの煌びやかな声が響く。
好リリーフを完遂した葛葉。代打で値千金の勝ち越し打を放った洋子。控え選手たちの躍動が勝利を呼び込んだ。亀ヶ崎高校は見事に一年前のリベンジを果たし、チームの最高成績を更新するベスト四に進んだのだった。
See you next base……
WORDFILE.42:完全捕球
野手がフライを完全に捕球、つまりアウトになるかどうかの基準は二つある。
・審判が捕球を確認し、アウトを宣告する。
・フライを捕球した選手が次の送球動作に移る。
例えば一度はフライを捕球したが、地面への着地や他の選手との接触の衝撃でボールを落とした場合、完全捕球は認められない。
一方、フライを捕球後に送球しようと、投げる腕にボールを持ち替えた時に溢した場合は、完全捕球として認められる。ただし素早い動きの中ではボールを捕ったかどうかが分かりにくいこともあるため、その時は審判の判断によって完全捕球が認められない場合もある。




