表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

完全犯罪

作者: 青井 ふれあ

初投稿です。

 新宿駅にほど近い安居酒屋。週末ということもあり仕事帰りのサラリーマンや学生であふれている。

 まだ19時を少し過ぎたくらいだが、すでに出来上がっている人たちが多数いてかなり騒がしくなっていた。

 そんな中、一人の女性が入ってきた。服装から察するにOLのようだ。

 カウンターもあるため一人の客も珍しくない居酒屋ではあったが、その日はたまたまカウンターには誰もいなかった。

 女性は常連なのか店員に軽く挨拶をすると、迷わずカウンターの端に腰かけた。

 コートを脱ぎ、かけ、座るという動作だけなのにどこか気品を感じさせる。そんな美人女性が一人で入ってきた。それは男たちにとって格好の酒のさかなだった。

 ほとんどの集団は女性を話題にあげるもののわざわざ声をかけに行くことはしていなかった。しかしどこよりも出来上がっていたあるサラリーマンの一団は、男だけで飲んでいたこともあって女性を自席に呼ぼうということになり、新人である遠藤をナンパに向かわせた。

 ナンパなどしたことがなかった遠藤だが、酔っていたこともあり、特に抵抗もせず立ち上がり女性の隣の席に向かった。もちろん玉砕前提だったため、行くだけ行かせて上司たちは遠藤を忘れたように再び盛り上がり始めた。

 なんも期待してないなあのおっさんたち。こっそり成功させてやると心に決めた遠藤は早速声をかけた。

「こんばんは。おひとりですか?」

「…えぇ」

 静かに答えた女性を見て、改めて美人なお姉さんという印象を受ける。仕事場で見るおばさんたちとは異なり気品がある振る舞いに、遠藤はしばし見惚れていた。

「……何か御用事ですか?」

「あ、いえ、特に用事ってわけでもないんすけど……」

 見惚れて動揺をしたのか、先ほどまで考えていた誘い文句は完全に飛んでいた。

「……よければお座りになったら?」

 どぎまぎしている遠藤を見て余裕の笑顔で席を勧めてくる美人女性。余裕のある女性とはこうも美しいのか。若い遠藤には免疫のないタイプの女性で、この時点で遠藤は彼女に惚れていたのかもしれない。遠藤は彼女との出会いに感謝していた。

 彼女との出会いが、自らの運命を大きく変えるとも思わずに。


 それからしばらく遠藤は彼女と二人で飲んでいた。

 彼女、山内は大手企業に勤めるいわゆるキャリアウーマンだという。見た目だけでなく能力も優秀であることを知り、遠藤はますます彼女の虜になりつつあった。

「遠藤さんって面白いね。うちの会社にはいないタイプ」

「山内さんの会社にはどんな人がいるんすか?」

「そうねぇ。資格ばっかり取ってる人とか、言ってることは立派だけど行動が伴わない人とか。そういう人たちってユーモアがないからつまらないのよね」

 グラスをかき混ぜながらため息をつく山内。美人はこんな動作ですら絵になるのがずるいと、遠藤は男ながらに嫉妬した。

「でも遠藤さんはあの人たちとは違う感じがするわ。人を楽しませる才能があるみたい」

 酒が入っている状態で美人に褒められたら調子に乗るのも仕方ないだろう。

 もっと山内のことを知りたいと遠藤が質問をしようとした矢先、唐突に異質な話題が振られた。

「ねぇ…殺したい相手っている?」

「……え?いきなりどしたんすか」

 まっすぐに見つめられ固まる遠藤。山内は先ほどまでの笑顔と異なり、とても冷たい表情をしていた。遠藤が今まで見た瞳の中で最も冷たく暗い瞳。じっと見ていると吸い込まれていくような気がした。

「私の話を聞いてくれたから、今度は聞いてあげようかなって。殺したいくらいむかつく相手がいたらその愚痴が一番発散になるでしょ?」

「あ、あ~そういうことっすか!いきなり言うからびっくりしましたよー」

 我に返り問いかけの意味を理解して笑顔を取り戻す。ごめんね、と山内も微笑み返した。

「少しボリュームを落としましょうか」

「そうっすね。自分の上司たちもその辺にいますし」

 久しぶりに元々自分がいた席を見る男。上司たちは遠藤が戻ってこないことも気にせず、ずっと盛り上がっているようだった。あの騒ぎようであれば多少大声になったとしても聞こえないだろうが、聞かれたら困るので遠藤は言われた通り声を潜めた。

「殺したいってのは大げさですけど、やっぱうちの課長はむかつくっすかねぇ」

「どういうところが?」

「無駄な話が長いんすよ。要領を得ないししゃべってる時間のわりに情報が少なくて何言ってるかわかんないし。そのくせ聞き返すと怒鳴ってくるんすよ」

「それはひどいわね」

「あと一番ひどかったのは、自分が指示するのを忘れたせいで会議の資料が間に合わなかったことがあったんすけど、全部おれのせいにして部長に報告したんすよ!そのせいで見たこともない上の人たちからもできないやつ扱いされて…それにほかにもあるんすよ!」

 しばらく熱弁をふるう遠藤の愚痴に付き合っていたが、話を止めるためか山内が遠藤の頭をなでた。

「かわいそうに……よしよし」

 にやつく顔を必死に隠す遠藤。そのとき、山内の目つきが変わった。先ほど遠藤が感じた冷たい表情。その瞳は深い黒、ただの黒ではなく様々な色を混ぜたような黒で光が宿っていなかった。

「ねぇ……その課長さん。私が殺してあげようか?」

「……は!?な、ななな何を言ってるんすか!?」

 驚いた拍子にジョッキを倒してしまう。店員が雑巾をもってきてすぐさまふき取り、新しいビールもすぐに持ってきた。その数分にも満たない時間で遠藤は若干ながら冷静さを取り戻した。

「山内さん、いくら美人で優秀だからって言っていいことと悪いことってあるんすよ?」

「じゃあ課長さんに死んでほしくないの?」

「・・・そりゃあ、死ねって思ったこともあったすけど・・・そもそも人を殺すって・・・」

 動揺を隠すように、男は新しく注がれたビールを半分ほど勢いよくに飲んだ。

「てか、山内さんはなんでそんなこと言いだしたんすか?」

「あなたに惚れちゃったから」

「え!?」

 まさか。

「っていう冗談を言ったら、あなたは信じるかしら?」

 そんなわけない。

「し、信じないから真面目に話してもらえないっすかね・・・」

 一瞬信じて喜びの表情になりかけたこと、そして落胆したがその気持ちを隠そうとしたところまで、山内には手に取るようにわかった。いじりがいがあるんだから。

「ごめんなさいね。かわいいから、ついからかいたくなっちゃって」

「まったく。やめてくださいよ」

「…話を戻すけど、確かに私だけがやるってのはメリットがないわね」

「私だけやるメリットがないってことは、まさか……?」

 山内は光の宿らない瞳のままにやりと笑い、遠藤の予想通りの言葉を口にした。

「…そ。私の殺したい相手を殺してほしいの。いわゆる交換殺人ってやつよ」

「ちょ……じょ、冗談でしょ?やだなぁ、年下からかって」

 遠藤は笑いながら言ったつもりだったが、笑い切れずひきつっていた。

「私の目を見て。冗談に見える?」

 言われたまま山内の瞳を見つめる。先ほどのように吸い込まれるような感覚に襲われる。景色がゆがんだところで頭を振って我に返り、彼女の瞳から視線を外した。彼女の瞳を見ていると平常な思考が奪われていくようだ。

「なんとなく本気なのは感じましたが……だけど、殺したい相手っていったいどんな相手なんですか?」

「……あまり話したくないの」

「それはずるいっすよ!こっちは話したし、それに殺すほどの事情は知った上じゃないと……」

 持っていたジョッキを強く机に置いた。先ほど一回こぼしているので今回はこぼすことはしなかった。

「あら、じゃあ話したら殺してくれるの?」

「あ、いや、それは……」

「いいわ。聞いてから決めて頂戴」

 山内は光のない瞳に合う暗い表情になった。遠藤はこれから彼女が話すことの深刻さを感じた。

 この時点であれば、遠藤はまだ戻ることができた。

「殺してほしいのはとある男。どこの誰だかわかってはいるけど、特に職場の人とか友人とかそういう関係ではないわ」

 しかし聞いてしまった。

「あの、それってどういう……」

「私はその男に、夜道で襲われたの。男が女を襲ってすることなんて、言わなくてもわかるわよね?」

 もう後には戻れない。

「仕事帰りに暗い夜道で突然襲われて、抵抗することもできず……」

 なんと声をかけていいのかわからず、遠藤は自らの器の小ささを思い知った。

 いじける遠藤と対照的に自ら重い空気を出していた山内は、ケロッと表情を明るくし続けた。

「といっても、もう吹っ切れてるけどね。でもあいつは警察にも捕まらずなんの制裁も受けていない。けじめをつけたいと思う私はバカかしら?」

「そんなことは!ないっすけど……なんで俺なんすか?」

 パニックを起こしている中、遠藤にとってそれは純粋な疑問だった。今日会ったばかりだし、自分でいうのもなんだが頼りがいのあるところはかけらも見せていない。そもそもあるのか怪しいが。

「私ってね。いろいろけじめをつけてから新しいことを始める女なの。新しい男を見つけたら…けじめをつけないと次にいけないのよ」

 まっすぐに見つめられた瞳に遠藤は吸い込まれていった。

 直接的な表現ではなかったが、意味がわからないほど鈍感ではなかった。

 自分との出会いを運命と思ってくれている。そして彼女の過去との決別は二人のこれからのための儀式なのだと。

「いつもなら別れるとか縁を切るとかなんだけど……ね。事情が事情だから」

 再び遠藤をまっすぐ見つめる山内。とうとう遠藤は山内の瞳に飲み込まれ、通常ではありえない結論を出してしまった。

「……わかりました」

 決心のためか遠藤は大きくうなずいた。

「僕に、任せてください」

「ほんと?」

 それを聞いて安心したのか山内は最初と同じ笑顔に戻り瞳にも光が戻っていた。表情ははじめの楽しい時間と同じだったが、遠藤から見る彼女の印象ははじめと変わっていた。見た目通りのただの美人ではなく。つらい過去を背負って、それでも前を向こうとしている、けなげな女性。そしてーーー

「ほんとに、私の、私たちのためにけじめをつけてくれる?」

 ーーーこれから大切にしていきたいと思える女性だった。

「あぁ」

「うれしい!お願いね。代わりに課長の件は私に任せて」

「あ、いや。課長はそこまでじゃないですし」

「そういうわけにはいかないでしょ。交換なんだから」

「でも……」

「ちゃんと交換した方が、お互いに後ろめたい気持ちが無くなると思うの。一方的じゃなくて……」

 山内は顔を赤らめて言葉を濁した。そこまで自分とのことを……遠藤は運命のようなロマンスにおぼれていた。。

 素面の時であればここまでとんとん拍子では進まなかっただろう。

 酔っていたから。一目ぼれしていたから。パニックを起こしたから。

 そして彼女の吸い込まれるような真っ黒の瞳。あらゆる要素が、遠藤の思考を奪っていた。

「わかった。じゃあ、交換しよう」

 何も知らない人が聞いたら連絡先としか思われない会話。しかしここで交わされた交換は、まぎれもなく殺人の交換を約束するものであった。

 その後二人は詳細まで話し合った。相手の情報を交換し、実行の日時を決め、再会する日時も決める。再会までは連絡先すら交換しない。それは足がつかないようにと彼女からの提案であった。

 すべてを綿密に計画し終え、惜しみながらも別れた二人。

 男は再会する日を夢見てにやつく表情を抑えながら、少しずつ覚悟を決めていった。


 数日後。遠藤とは別の男と二人で居酒屋にいる山内。

「殺してほしい人っている?私はいるわ。自分のミスを押し付けてくる上司なんだけど……」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ