お出かけ
夏目いろはは剣道部である。
中学から始めた剣道だが、高校一年生の個人戦で県準優勝するぐらいには強くなった。他部員はサボらず練習するが朝練するほどやる気がないため、早朝は自主練習で走り込みを行うようになった。
素振りや筋トレも良いのだがいろはの持論だが試合で大切なのは体力だ。疲労でどれだけパフォーマンスを落とさないかどうかが勝敗に分けることになると信じているため、走り込むことにしているのだ。
その判断に感謝したくなる出来事があった。圭太との再会である。
女子高は出会いがなく癒しもなにもない。教室ではナプキンが飛んだりエロ本を読んでいたりと、男がいないと女子力の欠片もない。
灰色の学生生活が続くことになるだろうと諦めていたのだが、久しぶりに会った圭太は立派に成長し男の色気を漂わせていた。
女とは違う逞しい胸板、筋肉質な身体、抱かれたらどれだけ心地よいだろう。共学の中学では剣道に集中していたため男のことを考えることもなかったが、失った今ではわかる。あれは貴重なチャンスだったのだ。
これまで意識したことはなかったがこれから圭太をそういう目でみてしまうだろう。環境は人を変えるというが本当なのだ。女子高で飢えて肉食獣と化した以上、男は捕食する獲物になってしまった。
だが惜しいことにこれまでまともに男と話していなかったこともあり、男とどう話していいかわからない。昔から知っている圭太なので会話が止まることはなかったが、次へ続くよう話題を誘導することはできなかった。去り際に連絡先を聞くことはできたのは幸いだったが、それだけである。
積極的に話してウザいと思われたらどうしよう。と心配が頭の中をぐるぐると回って止まらない。
行動しなければ進まないと自分を鼓舞して遊びに行こうと送ることにする。今まで使ったことなかった絵文字を使ってみたがうまくできているだろうか。男慣れしていないのがバレバレで内心笑われたりしていないだろうか。
圭太の前で必死に表情を隠していたが、実は少しでも気を抜くとデレデレした顔になってしまうのだ。男慣れしていない自分が嫌になってくる。
返信はまだ来ない。不安を打ち消すために庭に出て竹刀を振ることにした。素足の道場と違い靴を履いていると摺り足が難しく感覚が変わるため好きではなかったが、そうも言っていられない。
素振り中は意識が竹刀や身体に集中され余計なことは頭から抜けてくれる。別世界に入り込むようなこの感覚は好きだ。
時間を忘れ素振りに没頭していると夕食ができたと呼ばれて中断する。用意していたタオルで汗を拭いながらスマホに目を落とす。
圭太からの快諾の返信が来ているのを見て、いろはは喜びを隠すことができなかった。
中間テストは無難な結果に終わった。大会も近く部活も忙しいのだが、絶対にこの日だけは埋めれない。そう、圭太とデートの日である。
軽くウィンドウショッピングしてカフェで休憩と軽食。それからカラオケに行こうと予定を立てた。
前日は緊張で眠れなかった。普段なら悩むことがない服をどうしようか延々と悩み、可愛らしい服やお洒落な服を持ってないことを初めて後悔した。
買いに行こうにもどこでどんな服が売っているのか、どんな服がいいのかが全く分からない。服選びは困難を極めた。
化粧や服、小物も興味がなかったのでいざ用意しようと思ってもどうしようもないのだ。流行を調べてみれば去年のお洒落も今年はダサくなることもあるそうで、とてもついていけそうにない。
「すまん。待たせたな。電車一つ乗り遅れちゃって」
「い、いや。そ、そんなことはないぞ」
待ち合わせ場所にきた圭太はスキニーにロングのTシャツ、さらっと羽織ったカーディガンで爽やかな雰囲気を醸し出していた。
すごい。カッコいい。今からこの人とデートするんだ……。
クラスの同級生がみれば羨ましがるだろう。思いっきり自慢してやりたいが圭太のことは秘密にしたいので黙っておこう。
「……それでだな、小学校にあった二宮金次郎像が問題になったらしくてな。なんでも歩きスマホを推奨しているとかクレームが入ったらしく撤去されたそうだ」
「そうだったんだな。卒業以来行ったことないが寂しいものだ」
移動中の電車内だが、なにも話せず気まずくなるのではないかと心配だったが杞憂だったようだ。次から次へと話題が出てくるわけではないが自然に話せている。
なにぶん初デートだ。昔何度か圭太と遊んだことはあるが、男子として意識して遊んだことはなかったのでこれが初デートだ。もしかすると圭太はその延長でこれがデートだと思ってないかもしれないが、いろはからすればデートなので初デートということにしたいのだ。
電車から降りて目的の商業施設マルコへ向かう。地方の田舎には遊ぶ施設はあまり多くない。この辺りの学生が遊びに行くとなると、マルコか飲み屋やショッピングモールが並ぶ繁華街ぐらいだろう。
マルコにはボウリングにカラオケ、映画館など娯楽施設が揃っているしショッピングも楽しむことができる。繁華街ほど店舗は多くないが、一か所に集まっているため買い物するにも便利だ。ここならば圭太にも満足してもらえるだろう。
ちらちらとカップルと思われる男女とすれ違う。傍からみれば同じように見られているのだろうか。誇らしさと恥ずかしさに赤面してしまいそうだ。
先導するように少しだけ前を歩いている圭太の腕がふらふら動いている。腕なんか組んでみてもいいのだろうか。是非とも組んでみたいが、もし圭太が嫌がるなら嫌われてしまうかもしれない。
せっかくのデートなんだし(圭太がそう思っているかわからないが)圭太から手をつないでくれてもいいのに。
あわよくばの希望を持ってもやもやしながらも最後まで行動に移せないいろはであった。
普段のいろはならば昼食は油マシマシのラーメンや牛丼で済ませるのだが、今回はそういうわけにはいかない。小洒落たカフェやお洒落な店を選ぶべきである。
そのため、あらかじめよさそうな店を決めていた。普段使わないイタリアンカフェである。
初めて行く店だが慣れている風を装う。雑誌によれば優しくエスコートできる女性が好印象を与えやすいのだそうだ。がっついて食べるのもNGだと書かれていたので控えめにする。成長期で運動部の女子には物足りない量だが、お洒落なカフェだと満腹まで食べるものでもないのだろう。
はじめて食べた! と圭太の喜んでいる顔だけで満足したし、この店を選んでよかった。昨日の自分にグッジョブをおくりたい。
初デートして感じたことがある。時間が潰れないのだ。
服や靴など選んでいれば時間がかかるのだろうが、一時間もあれば見終わることになる。カフェで話すのも良いのだがそれだけで一日が潰れるわけもない。遊園地やスケートなんかだと違うのかもしれないが、誰もが行ったことがある地元の商業施設だと端から端まで行っても時間を持て余してしまうのだ。勿論楽しい。楽しいのだが手持ち無沙汰というか、どこ行こうかとなると行くところが思いつかなくなって困ってしまう。
と、いうわけで少し予定より早いがカラオケである。
フリータイム歌い放題は学生の味方だ。今回のデートで一番楽しみにしていたことでもある。
なにせカラオケは薄暗く狭い個室である。薄暗い個室で男女が二人きり、胸も高まるというものだ。
「ちょっと暑いな」
部屋に入るなり脱いだ! 少し汗ばんだTシャツ一枚のまま隣に腰かけた。
肩が触れ合うかどうかの近さに圭太がいる。香水や制汗剤も使ってないだろうから生の芳しい体臭まで感じられそうだ。
やばいやばすぎる。警戒もなく近くに男がいると思うと、女として滾るものが込み上げてくる。
圭太の歌う低音が耳に飛び込んでくる。やっぱり男の歌声はいいものだ。生で聞くのはまた格別である。
「おい、次いろはだぞ」
「え、あ、そ、そうだな」
つい聞き惚れてしまい曲を入れるのを忘れていた。二人なんだからすぐ自分の番が来てしまう。正直ずっと圭太の歌を聞いていたいのだが、残念だ。
慌てて曲を入れようとしてピタと止まる。しまった。歌える曲がない。
最近流行りの曲やドラマの曲などなんにも知らない。テレビもあまりみないので今どき流行りの曲が分からないのだ。クラスではうろ覚えだったり、サビしか知らない曲でも話を合わせることはできるのだが、カラオケでは歌えない。
持ち歌はあるのだがアニメやボーカロイドの歌だ。圭太の前で歌えばひかれてしまうに違いない。
冷や汗が流れる。二人のカラオケだと歌う番が回ってくる回数も多い。デート自体に浮かれてしまって歌う曲のことまで考えてなかった。
世間でも有名になったアニメ映画のオープニングを入れる。これなら大丈夫だろうが、これからどうしたらいいのだろう。
「お前って歌上手いんだな。女子とカラオケ来るのなんて初めてだが楽しいもんだ」
背筋に電撃が走るような衝撃が走る。自慢ではないが不器用なのは自覚しているので、空回りしているのではないかと不安だったのだ。それが楽しいと感じてもらえるなんて感無量である。
なんだか報われた気がする。友達同士らしく健全なデートで、もう少し先まで進みたかったなんて欲望もあるけどもう満足だ。
その後は知っている一昔前のアイドル曲や、懐かしの名曲なんかを必死に探し、なんとか趣味の曲を歌うことなく過ごすことができた。
次にカラオケ来るときまでに流行りの曲や、異性と盛り上がる曲を練習しておこうと心に刻みながら幸せな一日を過ごしたのだった。