メイド
「ねぇ、ご主人さまぁ……わたし、もうがまんできないです」
向かい合ったメイドさんが甘えた声で擦り寄ってくる。うん。めちゃくちゃかわいい。
時間をかけて作ってくれたメイドさんのおいしい手料理を存分に味わいながら、俺はイチャイチャしていた。
「こんなに美味しいもの作ってくれて。なにかお礼をしなきゃいけないな。なにがほしい?」
「えっとぉ、それならですねぇ」
照れ隠しに聞いてみると、頬を染めながら顔を近づけてきて
「ちゅーしてください♡」
このメイドさん甘え上手だなぁ!
今にも唇が触れ合いそうな距離まで顔が近づいてきて、俺は気が付いた。
メイドさんはよく知っている顔だったのである。小柄で溢れんばかりの胸。
「如月?」
「はぁい、ご主人さま」
普段と違う蜜のような甘い囁き声。
吐息も感じられる耳元で囁かれたことで、魅力が増して頭の血液が沸騰するような熱が高まってくる。
「ど、どうしてそんな恰好しているんだ?」
「やだご主人さまったら。ご主人さまが着てみてほしいって頼んだんじゃないですか」
とろんと蕩けた視線が俺の身体を撫でる。甘えるように密着されて、ふわふわとした重みがじんわりと伝わって理性がはじけ飛びそうだ。
「焦らさないで……ご褒美をください。ご主人さま」
ビクンと身体が衝撃に震えて、雰囲気に流されるままゆっくりと目を閉じて……
夢から醒めた。
「な、なんていう夢を」
ガンガンと痛む頭が先ほどの光景が夢であると証明していた。
寝起きからか記憶がぼんやりとして、あまり思い出せないが、確かバーで由愛さんと飲んでいて……
「潰れちゃったのか。俺」
どこかの寝室。やけに大きなベッドに寝かされていたようだ。少し向こうにはテーブルにテレビもあるし、枕元には電話やなにか見慣れぬものが置いてある。
そこで疑問が沸いた。寝室にしては豪勢に広く、生活感がない部屋なのだ。窓は閉め切られていて、外の様子が一切見えなくなっているし、なにか変だ。
「うわ、このまま寝ちゃってたのか」
しまったな。着たままの服で寝ていたからせっかくのカジュアルがシワが寄ってしまったかも。
少ない荷物だったからか、俺の荷物はまとめて近くに置かれていた。スマホを取り出すと、翌日の朝であることを示していた。完全に朝帰りである。
新着のメッセージは届いてないところを見ると、あまり口うるさいことは言われなさそうだ。放任主義である有難みを感じる。
帰宅して早々説教は嫌だからな。飲んだことがバレれば流石に小言も言われるので黙っていないといけないかな。
「って、そうじゃない。倒れてからの経緯がわからないと」
少なくとも昨夜からの記憶がないのだ。抜けない倦怠感を感じながら汗ばんだ髪を掻きむしる。
「ん……? んん」
呻くような声がすぐそばで聞こえた。
そこで気が付いた。俺の隣で誰か寝ている。布団にすっぽりと頭まで潜っており見えなかったが、もぞもぞ身動きする様子が見て取れる。
ひょっとして由愛さんか? あれから介抱してここまで連れてきてくれたのだろうか!?
女性と同衾して朝帰りなんて、嬉し恥ずかしイベントが起こったのにまったく記憶にないのが悔やまれる。大人の階段を登るにしても記憶にないんじゃ大して意味がない。
「ほら、起きてくださ…………」
ゆっくり布団をめくって。
メイド服を身にまとった姫ねえの寝顔に思考が固まった。
「つまり姫ねえがここに連れてきてくれて、着替えがなかったからサービスのコスプレ衣装を借りてここで寝ていたと」
「はい。その通りです。本当にごめんなさい。これしかなかったんです」
姫ねえは起きると土下座しながら事情を説明してくれた。土下座はやめてほしいと頼んだのだけれど、姫ねえは一向に頭を上げようとしなかった。姫ねえは倒れた俺を介抱してくれたむしろ恩人なわけだが、承諾なく男性とベッドを共にしたのだから申し訳が立たないと譲らないので諦めた。
この世界ではそういう風習でもあるのかもしれない。あったらドン引きだけど。
異性とはいえ、いとことラブホで一泊。世間的にはアウトかセーフか怪しいところだ。
このホテルには無料の衣装サービスがあるらしい。カタログ一覧を見せてもらったが、女性用コスプレ衣装が数多くそろえられていて驚いたね。
男性用の衣装もあったが、数はとても少ない。元の世界と同じような品揃えなので違和感があったが、姫ねえに聞いてみると
「ほら、もし男性がたたなかったら困るし……」
とのこと。なるほど、そういうことなんだろう。恥ずかしそうに頬を真っ赤にして説明する姫ねえが可愛かったことを付け足しておこう。
ちなみに一線は超えておりません。記憶はないけど、姫ねえを信じよう。いくらなんでも血縁関係がある相手と関係を持つ気はないし、責任取ってと言われても困る。由愛さんなら一夜の関係に一考の余地ありだ。
「あの……さ……」
おずおずと言った様子で頭を上げながら姫ねえが口を開く。明るく快活な姫ねえがこんなにシュンとしている様子は、場所も場所だけあってギャップになってとてもいいが、土下座の恰好だから様になってない。
「けーちゃんは……由愛のこと、どう思ってるの?」
「由愛さんのこと?」
関係を気にしているのだろうか。幼い頃から知っている弟分に近い知り合いがいたら気になるとは思うけど、どうと言われても答えに詰まる。
逆ナンされて、奢りの合コンみたいなイベントに誘われた関係? 具体的に言葉にしようとしても思いつかない。
「連絡先を交換した先輩……なのかな」
「なのかなって」
ゆっくり立ち上がって困ったような表情を浮かべながら、姫ねえは言葉を紡いだ。
「あのね、けーちゃん。わたしがいなかったら、由愛に何されていたかわかんないんだよ」
「それは」
「そうなの。けーちゃんはもっと自分のこと大事にしなきゃだめだよ」
男の子なんだから。と頭を撫でられた。気恥ずかしいのだが、包まれるような安心感にされるがままになってしまう。
「恋人でもない相手の前でそんなに飲んじゃダメ。襲われるところだったんだから」
「うん……」
一度ぎゅーと俺の頭を抱きしめて、パッと離れる。
「あはは。湿っぽいお話はおしまい! さ、帰ろっか」
わざとらしく明るい声を出して雰囲気を変えようとしてくれる姫ねえ。思いっきり伸びをしてから、スカートに手をかけて
「って待って待って! なんでここで着替えようとしてんの!?」
「え? だって帰るんだからメイド服返さなきゃ」
「いや、そうなんだけど俺の目の前で!?」
不思議そうに首をかしげながら着替えを続けようとする姫ねえから逃げ出すようにして、俺はドアを挟んだ奥の浴室に逃げ込んだ。
この世界だとおかしくないのかもしれないけど、未だに目の前で女性に着替えられるのは心臓に悪い。反応してしまうところも反応してしまうし、自衛のためにも逃げるしかなかったのだ。
せっかくなので寝汗を流したのだが、浴室にもテレビがついていて驚いた。ラブホって想像以上に快適で過ごしやすいところなんだな。




