飲み比べ
「さて、お待たせしました。時間になりましたので、本日のイベントを開始させていただこうと思います。ドリンクは行き渡っていますでしょうか」
凛とした声がマイクで拡張され店内に響く。
マイクを手に司会しているのは、由愛さんと話していた長い黒髪が特徴の女性だ。隣には由愛さんの姿もある。こちらの視線に気が付くと、小さく手を振りながらウインクを飛ばしてくれる。可愛い。
「それではみなさん。おいしい食事とお酒、おしゃべりを楽しみましょう」
大皿が振る舞われ、様々な料理が並ぶ。お洒落に盛り付けられた生ハムや肉厚スペアリブが目に飛び込んでくる。
サラダやポテト、パスタにカルパッチョなど次々運ばれて歓声が上がる。
「乾杯!」
音頭に合わせて大勢の声が重なる。
吉岡先輩が頼んでくれたマティーニは飲みやすく、軽く喉元を通り過ぎていった。グラスが空いてしまうが、どうにも物足りない。気分が高揚しているが酔いは感じられない。大皿前には行列ができている。取りに行くのは空いてからでいいだろう。となれば飲み物だ。バーテンダーに声をかけようとすると、顔をしかめた吉岡先輩が制止する声を出した。
「待て待て、空きっ腹にカクテルは悪酔いする。なにか取ってくるからそこで待ってろ」
面倒見の良い性格なのだろう。立ち上がって行列へ向かう吉岡先輩。いきなりの行動には面食らったが、親身にしてくれるのは非常にありがたい。
「やー、飲んでるね。ウチも隣で飲もっと」
吉岡先輩が立ち去ってすぐに由愛さんが寄ってきた。遠慮なしに吉岡先輩が座っていた席に腰かける。
「広瀬君イケる口なんだね。ウチ、飲んでる男の人好きなんだ」
語尾にハートマークが付きそうな甘い声で由愛さんが囁く。
吐息がかかりそうな距離で囁かれると身体が緊張で震える。如月が抱きついてくることもあり身体接触には慣れてきた俺だが、年上の女性からの色気にはクラクラしてしまう。
「目がとろーんってしてるよ。かわいいんだから」
揶揄うような由愛さんの声。バーの雰囲気と空気が酔いを進めたのか、はたまた俺に耐性がないのか目の前がぼんやり映り始めた。酔うとはこういうことか。それにしては思考はハッキリしてるし、歩くこともできるだろう。初めての感覚だがなんだかふわふわしている感じがする。
「お、由愛か。これ圭太に渡してくれ」
「ありがと、アッキー! 恩に着るね」
「先輩だっての! ま、いいさ。仲良くやれよ。じゃあな、圭太」
料理を取って来た吉岡先輩だが、話している俺たちを見てか料理だけ渡して他に移るようだ。わざわざ取ってきてくれたのに申し訳ないことをしたな。後でお礼を言いに行かねば。
「ねぇ、圭太君。次はなに呑もっか。カルーアミルクとかおすすめだよ」
「じゃあそれで」
勧められるがままカクテルを注文する。飲み放題なんだしなんでもいいのだ。好みがあるわけでもなく詳しくない俺より、由愛さんに任せた方が良いに決まってる。料理を食べつつグラスを傾けるが、ジュース感覚でグイグイ飲めて甘みがあっておいしい。
暫くすると覗き込むようにして上目遣いで由愛さんニヤニヤしながら
「ね、飲み比べしよっか」
手にしたグラスを一気に飲み乾しながら呟いた。口元を零れる雫が艶かしい。
新しく二人分を頼んだ由愛さんは張り付けたような笑みを崩さない。一瞬背筋がゾッと凍ったような錯覚を覚えたが、どうしてだろう。
「もちろんなんにも賭けないよ。ウチ、そこまで強くないし」
自虐風に大げさなリアクションを取る由愛さん。くりっとしていた黒目が鋭い肉食獣のように見えたのは勘違いだろうか。あまり良い予感はしない。
「ねぇ、いいでしょぉ? ウチ圭太君と楽しく飲みたいなぁ」
カウンターに乗せていた手がそっと重ねられる。いじらしげな仕草に思考をかき乱される。注文したドリンクが届けられ、ほらほらと由愛さんに勧められるがまま口へ運ぶ。じわりと身体の奥から熱いものが広がっていく感覚に包まれる。
「じゃあ少しだけ……」
「やたっ! ウチに任せてよ。け・い・た・くん」
平静を装うとするが、どうにもうまくいかない。そういえば由愛さんの呼び方が変わっているような気がするが、いつからだっけ……
ふわふわくらくら。
ぼんやりと視界が歪む。現実感がない。空に浮かんで融けてしまいそうだ。
飲み比べを始めてから何杯飲んだだろう。酔いというものは回り始めてからでは、抑えられないのだと理解した頃には手遅れだった。
心臓の鼓動が煩い。白かった腕は赤くなり、顔も同じようなものだろう。呼吸も乱れ始めて深呼吸しなければ少し辛い。
隣で飲んでいる由愛さんは変わらない様子でグラスを空けていた。俺と同じ量飲んでいるはずなのに顔色一つ変わってない。どれだけ強いんだこの人。
「あはは、そろそろ圭太君は限界かな? 顔真っ赤になっちゃってるよ。杯を乾すと書いて、かんぱーい。なんてね」
笑いながら次も一気飲みする。とてもじゃないが真似できない。なにが強くないだ。思いっきり騙された。
ポケット入れていたスマホが振動する。如月からのラインだったがいま返信する気力はない。
「どうしたの? 彼女からでも連絡きた?」
「いませんよ……かのじょなんか」
「えー。圭太君カッコいいのに彼女いないなんて意外だね」
「からかわないでくださいよ……」
ダメだ。身体を起こしておくのも辛くなってきた。力が抜けてカウンターへ倒れ込む。隣の由愛さんが背中を優しく撫でてくれていた。
「ごめんね、眠ってくれてもいいよ。お姉さんがきちんと面倒見てあげるから」
かけられた声に返事することもできなかった。酔いが回り過ぎた。世界がグルんぐるん回って、目を開いていられない。
「もしかして、けーちゃん!?」
微睡みに落ちる少し前、どこかで馴染みある声を聞いた気がした。
飲んで吐いて飲んで吐いてからが本番のサークルで鍛えられましたが、いつも男しかいませんでした(血涙)




