BARノモロック
たびたび訪れる駅ではあるが、決まった目的地にしか行くことがないため駅全体は詳しくない。南口北口中央口どれも広く、降りる場所を間違えれば合流も難しく、迷わないように向かうのは方向音痴の気がある俺に厳しいかもしれない。
正規の集合時間より半時間ほど早く駅に到着した。今日は学生コンパ当日、構内案内図を確認していたところに背後から声がかけられた。
「やー、待ってたよ広瀬君。もしかしたらドタキャンされるかなって不安だったからさ」
よかったよかった。とばんばん肩を叩く由愛さん。ラインでのやり取りは何度もあるが、顔を合わせて言葉を交わすのは数少ない。日暮れも大分遅くなり、心地よい風が頬を撫でる。ふんわりと安心する匂いが香る。初めて由愛さんにナンパされた時と同じ香りだ。
兼ねてから親交のある由愛はともかく、他は知らない大学生達が集まるコンパで不安がある。先に合流したいと告げると、すぐに了承してくれた。
由愛さんの桜色した唇が色っぽい。
前回出会った時とは打って変わって薄化粧に仕上がっていた。目じりが下がった垂れ目、甘々にくりっとした黒目が可愛さを強調し、アイラインは控えめで小顔に感じられる。綺麗な茶色に染まった髪も、お団子ヘアに編み込まれていて、丸っきり印象が変わっていた。女性の魅力に溢れ
て、つい見惚れてしまう。
「なに? お姉さんになにかついてる?」
「え、あ、その……すいません」
「あはは、広瀬君は可愛いなぁ」
笑うように応じた由愛さんはポンと俺の頭を撫でた。じんわりと暖かみが伝わってきて、髪型の心配も忘れてされるがままにされてしまう。
しかし、自分なりに恰好には気合を入れてきたのだが、子ども扱いされているようで面白くない。
ムスっとした表情に気が付いたのか、由愛さんはパッと手を離すと誤魔化すかのように頬を掻いた。
「ごめんね。カッコいい広瀬君に、可愛いとこ見つけたからつい」
「……別にいいですけど」
「うん。よく似合ってるじゃない」
にっこりと笑う由愛さん。
苦笑して自分の格好を見直す。着慣れない種類の服だが、似合っていると太鼓判押されたので受けは悪くないはずだ。普段付けないブレスレットの重ね付けが違和感あるが、新しい自分みたいで新鮮だ。レザートートにはサングラスも入れてきたのだが、似合わない気がして止めたのだが、正解だったかもしれない。
「ウチのサークルがインカレでさ。ほかの大学とも交流があるの」
インターカレッジ・サークル。複数大学の学生から構成されるサークルの事だ。
説明をまとめると、由愛さんの所属しているサークルの親睦会に近い飲み会だ。他大学だけあって同サークルでも交流が少なくお互い親交を深めるのが目的だが、知り合いを連れてきても良い。男女の参加比率を近くする。という話なので、別の目的が込められているのだろう。
つまり出会い目的。男の参加者が少ないことを幹事が憂いたため、俺に声がかけられたわけだ。
入学したばかりの一回生が幹事というのもおかしな話だが、本人は楽しそうに語っている姿から自ら幹事を志願した光景が目に浮かぶ。ノリが良くコミュ力も高い由愛さんに任せておけば万事安心なので、反対意見も出なかったものと想像できる。
会場はノモロックという名前の三十席ほどある隠れ家風バーで、一日貸し切って飲み放題だという。
連れられて到着したバーには既に大勢の人が集まり、少人数ごとのグループに分かれて会話を楽しんでいた。元より同大学の学生が集まる場所だ。開始が宣言される前に盛り上がってもおかしくない。
「おぉー、やってるね。まだちょっと早いけどいっか」
店内を見渡しながら由愛さんが微笑む。
少し薄暗い店内にはシャンデリアが煌めいている。静かに染み入ってくるようなジャズが流れ、所々ブルーなど間接照明が照らし出し雰囲気が出ている。カウンターの上には大型モニターが何台か設置されており、洋楽のPVが映し出されていた。
お洒落な空気に躊躇する俺とは対照的に、慣れた足取りで由愛さんが奥へ消えていく。付いて歩くだけでも精一杯だ。
「ここで飲み物は注文してね。挨拶が終わったら大皿が置かれるからバイキング形式になるの。ウチはちょっと打ち合わせしてくるから好きにしてて」
「はい。わかりました……」
由愛さんは一通り説明すると、ひらひら手を振って前の女性たちの会話に加わった。幹事の最終打ち合わせなのだろう。挨拶や名簿の確認する話し声が耳に届く。
誰も知らない場所に踏み込むのは不安だが、打ち合わせの邪魔するわけにもいかない。バーテンダーにソフトドリンクを頼み、適当なカウンターに座る。ソファーや複数席は居心地が悪い。開始すれば指示やイベントもあるだろうし、席替えはそれからでもいいだろう。
初めてバーに来たが外の喧騒を忘れさせて独特の世界が演出されている。非日常を想起させるバーの空気は落ち着いて飲むのに心地良い。ちらちらと周囲を伺うと、誰もが会話が弾んで楽しそうだ。一人な俺は少し寂しさを感じなくもないが、誰かに声をかける勇気もない。
「よぉ、新入生。隣失礼するぞ」
返事する間もなく、ガタイのいい筋肉質の男性が隣に座る。手にしたグラスにはウィスキーと思われる液体がワンショット注がれており、祖母の家で見掛けた度数の強い酒に酷似している。まだ乾杯も始まっていないのに大丈夫なのか心配になる。
「一人とはお前、人見知りのシャイボーイだろ。ここには気のいい奴が揃ってるから安心していいぞ!」
活気のある笑い声を上げながら、俺の肩へ手を回しグラスを傾けた。
力強い腕が少し怖い。初対面でやけに馴れ馴れしいが、大学生だとこれぐらいが普通なのだろうか。
「自己紹介がまだだったな。俺は吉岡彰隆。三年だ。よろしく頼むわ」
「一年の広瀬圭太です。由愛さんに誘われて参加しました」
こっそりと腕を外しながら決めていた紹介を返す。嘘をつくのは罪悪感があるが、事情があるので許してください。
そうかそうかと吉岡先輩は再びグラスを傾ける。明らかにペースが速いが酒の経験のない俺が指摘するわけにもいかない。親族の集まりでなら一時間もしない内に潰れるペースだが、先輩には先輩の考えがあるのだろう。
「圭太でいいか? 飲んでないようだがどうしたんだ」
「飲んでますよ。ほら、これ」
「こんなもん水とおんなじだろ。酒の話だ」
掻っ攫うように俺のコップを掴むと、吉岡先輩は一気に飲み干した。なにしてくれてるんですか……
「こっちまでシャイだといかんぞ。丁度いい機会だし、慣れるのも大事だ」
バーテンダーを呼び、こちらの話も聞かず新しいドリンクを注文した。
清涼感溢れる顔には迷いが一切ない。善意での行動なのかこれは。
「初めてならマティーニ辺りが飲みやすいだろう。ジンとベルモットで作られたカクテルだ。知ってるか?」
「名前は聞いたことがあります」
「漫画なんかで有名だからな。さ、飲んでみろ」
……飲む気はなかったのだが。
誘われてしまったからには仕方ないよな。
これは付き合いだ。頼む気はなかったが注がれてしまったからには、飲まねば失礼だろう。これは不可抗力、不可抗力。
「新しい出会いに乾杯!」
ふたりが打ち鳴らしたグラスの音が、喧騒に紛れながらも微かな音を立てて静かに鳴った。
ノモロック=Nom Rock=呑もう!ロック!